第8話 サラの首飾り
「ルアン様、もういいです」
「でもサラ、思い出の品なんだろ? お母さんの」
「それはそう、ですけど……」
ルアンとサラの二人は質屋の店先で、何か探しものに疲れたような会話をしていた。今日、二人してアデリーの街で廻った質屋は、朝から都合六軒目。ここでも情報は捕まらず、サラはもう半分諦めかけていたのだ。
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一日を掛けて二人が探していたものとは、質草にとられていたサラの首飾りのこと。それはサラの亡き母の形見でもあったのだけれど、妓館に入る時に借金返済の一部としてサラの身から剥がされていたのだった。
品物の価値としては金貨一枚になるかどうかの首飾りではあったとしても、サラにとっては思い出の品。この街を離れてルアンと旅に出る前に、もしも自分の手元に帰ってくるのならと、首飾りを入れたとされる質屋をルアンと訪問したのであった。
しかしなにしろ質に取られたのが三ヶ月も前のこと、同じ質屋にそんなに長く残っている訳もないだろうと、二人は半分諦めながら訪れたのだけれど――。
店に入るなりサラの姿を眺めた店主が忌々しげな顔つきに変わる。いまにも唾を床に吐きそうな口元で「チッ、ジェリスの女か……」と、小さく悪態をついた。
異国人のルアンにはこの国の多数派の人々と、いわゆるジェリスと呼ばれているサラのような人たちの区別が、その見た目では分からなかった。昨日その違いをサラに聞いたところ、「私は平均以上に小柄なのですが、だいたい微妙に身体が細い人が多いです。でもこれが一番見た目が……」と、サラは少し寂しそうに笑いながら左手をルアンに見せた。その親指近くに入れられていたのは三日月のマークに似た刺青。妓館の部屋では気にもとめなかったその刺青が、つまりはジェリエラの信者であることの印であった。
質屋の店主が確認したのもサラの手元。小柄なサラの身体を見て、それから三日月の印に視線を移して忌々しそうな顔に変わったのだ。
「すいません、ここに私の母の形見の首飾りが流れてきたはずなのですが……。銀の指輪が真ん中につけてあって、その指輪には小さな鳥のような絵柄がついていたものですけど」
小さな声でサラが問いかけると、禿げた頭の店主はやる気のない返事を返す。
「はあ? ジェリスの女の首飾り? 鳥の絵柄? ああ、あれか。長え間ウチに置いてあって、ジェリスの持ち物だってわかると誰も買わなかったお荷物か……」
「あるんですか!?」
「ねえよ、昨日の昼に流れちまった。売れねえ不要なもんと一緒に同業者に流しちまった。じゃなきゃジェリスの女の首飾りなんて覚えてねえよ」
「えっ、昨日のお昼に流れた?」
昨日の昼という言葉に思わずサラとルアンは顔を見合わせ、そしてなぜか両者とも顔を赤く染めた。なぜなら昨日という日を振り返ると、朝からサラの身請けをした後は二人とも前夜の名残の筋肉痛に悩まされ、旅の準備は翌日からということにして早々に宿を決めた日だったのだ。そして――、体が筋肉痛だというのに二人は飽きもせずに、宿の部屋で昼過ぎから男と女の甘い時間を過ごしていたのだった。
そんなことをしていた昨日の昼間、大事な思い出の品が質から質へと流れていたのだとすると、それはもう何かの罰が当たったのではないかとサラもルアンも思ってしまう。
「……ごめんな、サラ。昼間っから俺が、誘ったから」
「……いえ、私も、その……」
目の前のジェリスの女と異国の青年が赤い顔で意味不明なことを言い出したのを不審に思ったのか、質屋の店主は胡散臭そうな目でサラとルアンを眺めている。そんな中で、ようやく店主に向かって口を開いたのはルアン。
「あの、すいませんオヤジさん。同業者に流したって言われましたけど、どこに売ったんですか?」
「なに? ああ……、ふらっと来た流しの同業者だよ。それにしてもアンタ、異国の人だろ? なんでジェリスの女の質流れ品なんて一緒に探してるんだ。探してどうする?」
奥歯に物が挟まったように言いながら、店主のオヤジはサラの赤みがかった髪とルアンの黒髪の対比をたいして面白くもなさそうに見比べている。
「ですから、さっき言ったように首飾りがこの子の母親の形見なんですよ。形見を探すのを手伝ってるんです。で、その首飾りを売った流しの同業者って、教えてもらえませんか?」
「教えてもらえませんかって……、知らねえよ。いや意地悪で言ってるんじゃねえぞ、たまに同じようなヤツが来るんだよ。で、フラッと来て『動かねえ質入れ品を買いますよ』って仕入れていく業者だからな。アンタとは違うけどあいつも異国人なんだろうな、顔も違うし言葉に訛りがあるんだ」
「異国人の流しの業者か……」
質屋のオヤジの話を聞いたルアンの顔がゆがむ。
「あの、店主さん。その人の名前とか聞きませんでしたか?」
「ああサラ、多分オヤジさんに聞いても無理だよ……。オヤジさん、その流しって『裏』ですよね」
サラの質問をルアンが止めて、質屋のオヤジに『裏の業者』なのかと確かめた。それを聞いたオヤジは、禿げた頭をポンポンと叩きながらニヤリと笑う。
「なんだよ異国の兄ちゃん、アンタよく知ってるじゃねえか」
「まあ、一応俺も商売人だから」
「なるほどな。そうだよ、こういう商売っていうのはなあ――」
質屋のオヤジの言うことには、質屋だの買取商だのという商売では贋作や盗品が持ち込まれることもあり、そういう危険なものを引き取る裏の流通経路も当然あるという。そういう専門の業者は多少の危険を顧みずに厄介な商品を買い取っては、裏から裏へと流していくといった話だ。彼らは現金一括払いで商品を仕入れ、苦情も返品もしない代わりに自分たちの身分や正体を聞かない約束で商売をするらしい。つまりは非常に怪しい商売人という訳だった。
そういう業者があることを知っていたルアンは、流しで、しかも異国人ということから、その流れ先の正体を質屋のオヤジに聞いても無理ではないかと考えたのだ。
「オヤジさん、じゃあこれだけ教えて欲しいんだけど、その同業者ってこの街の他の質屋にも同じように行ってるよね? どんなヤツだったか、特徴を教えてくれる?」
「はあ? 知らねえよ。そもそもなんでジェリスの女の質流れ品のことでアンタらに色々教えてやらなきゃ……、ん?」
頬をゆがませ、嫌そうな表情で喋っていた質屋の店主の口が急に止まる。止まった原因はルアン。
ルアンは懐から取り出した銀貨一枚をオヤジの手に握らせて、「頼むよ……、それを言ってオヤジさんの金が減る訳でもないし、どんなヤツだった?」と、いかにも困ったような表情で迫ったのだ。
質屋のオヤジは自分の手に握らされた銀貨をチラリと見ると、やれやれというように大げさにため息をついて、もっともらしくそれを自分の懐に仕舞う。それからわざとルアンからもサラからも視線を外し、さも独り言を呟くように話をはじめた。
「そういえば頭に柄物の巻き帽をかぶって、あごひげを生やしてるヤツだったなあ。痩せて背が高くて……、それから店先に人力荷車を止めてたような気がするが……。まああの様子じゃあこの街の他の質屋を廻ってるんだろうなあ。ああやれやれ、忙しいのにジェリスの女の質流れ品の話ですっかり時間を取られちまった」
さも独り言を言い終えたという様子を演じた店主は、ルアンの様子を流し目で窺いながら二人に背を向けた。
「ありがとうオヤジさん。柄物の巻き帽とあごひげの男だね、探してみるよ。行くぞサラ!」
「え? 探すって、この街の質屋を巡ってその男を探すんですか?」
「ああ、この街に質屋が何軒あるか知らないけど、百軒も二百軒もあるわけじゃないだろう」
「でも、旅の準備が……」
「いいから、そんなの少しくらい遅れたっていいんだよ」
そうして、サラとルアンの二人はこのアデリーの城壁内で営業をしている質屋巡りを始めたのだった。サラの母親の形見である、首飾りの流れ先を見つけるために。