第61話 因縁の果て
「マリクよ、話が違うではないか」
首を捻ったマヌスールが男に向かって語りかける。
「はあ、申し訳ございません伯爵。なにぶんその男がいきなり」
「まあよい。それより公太子殿下は証拠を欲しがっておるぞ、ハハハハ」
闇から現れたのはまさしくラグゼルことマリク。まさかのことに公太子夫妻は完全に虚を突かれた様子で口もきけない。
「あ、あなたはアデリーの……」
男を見たサラも一瞬見間違えたかと思ったものの、アデリーでの記憶を蘇らせて呟き出す。
「おう、嬢ちゃん。久しぶりだな、綺麗な服着てると貴婦人さながらだな。それからルアン。締め上げるのはいいが、剣は仕舞え。大丈夫だ」
サラに軽口を叩き、ルアンに指示を出すマリクを見て、ようやく事態を悟った公太子夫妻は我を忘れて喚きだした。
「お……、おのれラグゼル! おぬし裏切ったかああ! よくも儂らにのうのうと近づいてきおって、裏ではマヌスールと繋がっておったとは! この裏切り者がっ、儂にたてついた裏切り者の末路がどうなるか、あとで思い知れ!」
「ラグゼル……、お前という男は……、殿下のご厚情を仇で返しおってからに……。もう許せん! ぐぎいいいい」
奇声を発したエメイラは、何を思ったかマリクに走り寄り、手に持った扇子で殴りかかろうとした。
「きえええっ、このっ、裏切り者め! 裏切り者めっ!」
ところがあまりの体格差もあって、あっという間に両手を掴まれ、そのまま片手で捻りあげられてしまう。
「痛い離せっ、離せ下郎め!」
「まあまあ公太子妃殿下、そう興奮なさらずに。お離ししますので」
そんな二人のやりとりを、歯ぎしりしながら見ていた公太子が叫ぶ。
「そのイルタシアの商人の何が証拠ぞ! 偽名を使って儂に近づき、コソコソとマヌスールの密偵をしておった奴ではないか! こいつの証言など信用に足らぬわ!」
「ほう、それではサラ殿襲撃を命じたことはお認めになりますか?」
冷ややかな目で問う伯爵。
「ふんっ、そんな命令は下しておらん。そもそもこのセレスティアの公太子である儂より、我が国に縁もゆかりもないイルタシアの商人の言うことを信じるとはな! その男の出自も怪しいものよ。そうかマヌスール、わかったぞ、お前が裏で糸を引き、公太子である儂を追い落とそうと仕組んだことじゃな! 誰がそんな策に引っかかるものか、この狼藉の責任はとってもらうぞ、マヌスール!」
ようやく喉元から剣が離れた公太子は、その太った身体をルアンの腕の中で揺らして言いたいことを言う。
「縁もゆかりもない……とは、なあマリクよ」
マヌスールの意味ありげな視線を受け、マリクは苦笑した。
「ハハ……。多少どころか、縁深き、いや因縁深き間柄なのですがね、私とセレスティアとは」
「なに?」
「ラグゼルことマリク、私の本当の名はマリク・デラルシュ。イルタシアの商人です」
「それがどうした」
マリクのもったいぶった言い方にマルセルムは苛立ちをつのらせる。
「おや? お気づきでない。それは残念ですなあ、でもまあしょうがない。十八年前のあなたにとって、ソフィリアス殿下以外は路傍の石と同じでしたでしょうからなあ」
「意味のわからんことを……」
「それでは申し上げましょう殿下。十八年前あなたが毒を盛って殺めたソフィリアス殿下には給仕役の娘がいたでしょう。その娘はイルタシアから出稼ぎにきておりました。もちろんソフィリアス殿下に対しては敬愛を抱いておりましたが、生粋のセレスティア人ほどではありませんでした。それなのにソフィリアス殿下が亡くなったあと、責任を感じて殉じるように自害したのですよ、殿下の死から四日も経ったあとで。しかも、どこから手に入れたのか毒を飲んで……。当時のことは、殿下もご存じのはず」
ラグゼルを名乗っていた時とは違い、北方訛りなど無しの完璧な大陸公用語を使うマリクの弁舌に、マルセルムはやや押され気味となる。
「ふんっ、自分が給仕した貝毒でソフィリアスが死んだのじゃ、その娘も後悔したのであろう」
「ほう、果たして後悔して殉死など致しますかな。先ほど殿下が『信用ならぬ』と断じた異国のイルタシア人が、ですぞ」
「そ、その娘はお主と違って善良なイルタシア人だったのだろうよ」
「ハハハ、なるほど……」
マリクはそう言って一旦呼吸を整え、公太子に向かって冷笑を浴びせる。
「その娘は善良なイルタシア人で、私は裏切り者の信用ならぬイルタシア人ですか」
「そうだ、お前は裏切り者だ! お前にソフィリアスの死の責任をとって殉死した娘の爪の垢でも――」
「その娘の名前は!」
よく回る公太子の弁舌を遮ってマリクが大声をあげた。夜の回廊に響き渡ったマリクの声に一同はピクリと身体を揺らす。
「その娘の名前はルシア・デラルシュ。私の実の姉だった。婚約者もいてイルタシアに帰れば結婚するはずだった。誰が異国で殉死などするものか。どこで毒を手に入れることなどできようか。もうすぐ俺がセレスティアに着くと知っていながら、遺書など書いて死ぬはずがあるかっ! 爪の垢だと……、馬鹿にするのもいい加減にしろ!!」
あまりの剣幕にマルセルムの顔面は蒼白となり、エメイラなどはヘナヘナと芝生に座り込んでしまった。
「マルセルム」、とマリクが公太子のことを呼び捨てにする。
「マルセルム、お前の自分勝手な行いのせいで人生が狂った奴がここに三人はいる。俺と、その可愛い嬢ちゃんと、それからお前の後ろに立っている男だ」
誰も気づかないうちに、マルセルムの後ろには男が静かに立っていた。それはマルセルムを拘束していたルアンも気づかないほどで、振り返ったルアンが男を見て「あっ!」と叫ぶ。その男は間違いなく港町でルアンが見かけた監視役の小男だった。
「……だ、誰だ、お前は……」
小男の冷ややかな視線を浴びたマルセルムが、震えそうな唇を動かす。
「その男の名前はベルム。覚えておられませんか? ソフィリアス殿下の毒味役の男も背格好は小さかったらしいですなあ。本人が言うには、『自分は死んだ兄によく似てきた』と」
「そ、それでは……」
「ええ、ソフィリアス殿下と一緒に毒で死んだ男の弟ですよ。私の……同志です、復讐をするための」
復讐と告げられたマルセムルは口をあんぐりと開けたあと、その太った身体を揺らして叫び出す。
「し、知らんぞ! 儂は知らん! 十八年前の事件など今さら知ったことか! 儂が毒を盛らせた証拠などどこにある!? 儂がソフィリアスを亡き者にした証拠がどこにある!!」
その暴れようは尋常ではなく、力を込めたルアンを振りほどこうと必死に動く。
「十八年前の証拠など、どこにも無かろうが!!」
叫ぶ公太子を必死に抑えるルアン。そしてその公太子を相変わらず冷え切った目で眺めるマリク。
「公太子殿下、先ほどから証拠証拠とおっしゃいますが、今となってはさすがに十八年前の事件の証拠はありますまい」
「ほら見ろ、離せ異国人め!」
「しかし十八年前の手紙ならございましょう。故ソフィリアス殿下がそのサラという娘の母親に差し出そうとした手紙が、公太子ご夫妻のお手元にはあるはずです」
「なに……」
しまった、という顔をしたマルセルムの動きが止まる。
「殿下は、そのサラという娘がソフィリアス殿下の忘れ形見だと見当をつけておられた。そのことはこのラグゼルめが一番知っております。なにしろそのご報告を致しましたのは、このラグゼルめですので。踊り子をしていた母親、赤い髪、鳶色の目、そしてソフィリアス殿下の手紙に書かれていた『指輪の契り』。殿下はサラ殿がソフィリアス殿下の庶子であると知っていて、その命を亡きものにしようとご命令を下さった。これは間違いのない証拠でございましょう。さあベルム、公太子宮から失敬してきた手紙をマヌスール様にお渡ししろ」
「はっ」
マルセルムの後ろに立っていたベルムは、見下すような一瞥をマルセルムに残して去って行く。
「どうぞ伯爵様」
「ふむ」
マヌスールの手に渡った手紙を凝視する公太子夫妻。
「ぬううう、この、コソ泥が!! 神聖な我が宮殿から盗みを働くとは何事ぞ! その手紙は公太子宮で見つけたもの! つまりは公太子である儂のものじゃあ」
もう何度目になるだろうか、声が枯れそうなほどの大声を公太子が出す。
「と、公太子殿下は仰っておりますが、伯父上はご覧になりたいでしょう。亡くなったソフィリアス殿下が出されようとした手紙ですので。ねえ、伯父上」
マヌスール伯爵はそう言って、背後のあまり光の当たっていない空間を振り向く。そこには伯爵配下の衛兵が数名いて、さらにその奥にフードを目深に被った男がいた。
「伯父上、じゃと……」
つられるようにマルセルムがゆっくりと視線を動かしたその先には。
「マルセルムよ……、まさかとは思ったが……」
衛兵に囲まれるようにしながらフードを脱ぎ、ため息ととともに疲れた顔を見せたのは、間違いなく現国公でもありマルセルムの父親でもあるゼノス大公であった。




