第56話 再会
失意にも似た感情を引きずったまま、ルアンは宮殿の門までやってきた。同行していたシモン・ガルボは未だ舞踏会の場にいるはずで、何も言わずに消え去るように会場を去った自分のことが、ルアンはみすぼらしく思えてたまらない。
ルアンはサラの幸せを願い、あの妓館から彼女を連れ出した。その気持ちは今でも変わっていないと自分を信じるからこそ、この公国で、この街で、サラが不自由なく生きて行ければそれが一番だと思っている。
今夜のサラはルアンが見てきた中で一番綺麗に輝いていた。元々美人な彼女だ、夜会用のドレスを着てあの場所に立てば見栄えをして当然。それに加えて庶子とはいえ大公家に繋がる血脈があるとなれば、有力貴族の加護があっても決して不思議なことじゃない。ルアンはそんなことを漫然と思いながら、衛兵の前を通り過ぎ宮殿の門をくぐる。振り返った夜空には満月に近い月。それが今宵は珍しいことに薄赤い色に輝いていた。
「赤い月……、エルテシア……」
ルアンが何気なくそう呟く。それはサラがあの妓館にいたときの源氏名。つまりは彼女と初めて出会った時の名であった。それを思い出したルアンの頬に二筋の涙がこぼれだした。男が泣くなんて情けない、そう思いながらもサラと過ごしたこの一月以上の日々が、ルアンの熱い胸の中に溢れてくる。妓館での出会い、アデリーでの首飾り探し、村人との騒動、エルドリカ家での楽しい夜、サラに初めて見せた海。もうあの想い出をサラと語ることもなく、サラを独り占めなんてできない。それどころかもう一度顔を見ることもなく自分はこの地を去るだろう。そんな敗残兵のような気持ちになったルアンは、いっそのこと今夜のうちにセレスティアを後にする決意をし、涙で濡れた顔を袖口で拭いた。
「もういい、これでよかったんだ」
門の上の薄赤い月を見上げ、涙を拭いていたルアンがそんな呟きとともに宮殿に背中を向けた時だった。
「おい、お前。なんだそのしょぼくれた顔は? まったく、なにがよかったんだ? 情けねえ」
そんな男の声が、月明かりの影になっている部分から聞こえてきた。ルアンは宮殿を出るときに返してもらったばかりの剣の束に手をかけ、そのまま身を構えて鯉口をきる。どこかでこの声を聞いたような覚えはあるものの、咄嗟のことでルアンは思い出せず、とにかく暗がりに向かって誰何をした。
「誰だ!?」
「誰だ……って、お前。剣に手をかけたって、そんな泣きっ面で俺様が切れるのかよ」
「なに!」
「フッ、すごすごと負け犬みてえに尻尾を巻いて女を諦めて、舞踏会を途中で抜け出してるじゃねえか。おまけに女々しくメソメソ泣きやがって、そんな未練がましい剣で俺様に立ち向かおうってか?」
「うるさい! 誰だ、姿を見せろ!」
たまらずルアンは叫び、細身の剣を抜刀する。自分のことを負け犬だの、泣きっ面だのと嘲るこの男は、間違いなくこちらの素性を知っているはずだ。ケンカや剣を交えるときにやってはいけないことの一つが、我を忘れるほど心を乱すことだとは知っていながら、『負け犬』と図星を指されてルアンの心は乱れに乱れている。
「なんだ? 負け犬と呼ばれたのがそんなに悔しいのか? 今のお前が剣を振るったってなあ、隙だらけだ。冷静さの欠片もねえ。アデリーでお嬢ちゃんに『傷物』って口を滑らした時には、剣を抜かなくても凄みはあったぜ」
「お嬢ちゃん、傷物? アデリーで……」
まったく想像だにしない話を振られ、ルアンの脳が切り替わる。さっきまで頭を支配していたサラに対する心の葛藤や、負け犬と罵られたことが一瞬消え、ルアンの頭の中はアデリーでの記憶をたぐり寄せること一色に染まった。そしてアデリーでの記憶の一部と、いま暗闇にいるであろう人物との声色が一致をみる。
それは確かにサラがこのセレスティアに導かれるようにして近づいた原因とも、切っ掛けともなった男の声にそっくりだった。
「まさかあの時の……、お前は、マリク?」
薄赤い月夜の下、ルアンは目を細めて暗闇を見定める。その闇の中、コツ、コツとゆっくりとした足取りで相手が近づく。やがて足元、両足、そして胴体の順番でぼんやりと姿を現したのは、間違いなくルアン自身よりも背が高く、痩身の男性だった。
「ようやく思い出してくれたのか、ルアン。そう、俺様だよ。マリクだ」
そう言ってニタリと笑う男は見まがうことなくマリクだった。しかしあのアデリーで出会った時のような巻き帽子に商人服姿ではなく、夜会にでも出られそうな正装に剣を差している。
「マリク! なんでお前がここに」
「ほう、今さらそんな質問か? 一から十まで説明してやらねえと駄目か? お前、あんな首飾りに金貨十枚も払ったんだろう? 馬鹿じゃねえ限りは十枚も払わねえよな。セレスティアとあの嬢ちゃんの関係に気づいたらここに来るだろうって、あの時から俺様はお前をある程度は買ってたんだぜ」
意味ありげに、とはいえ不快ではなさそうにマリクが頬をゆがませて笑みを漏らす。そんなマリクを見て、ようやくルアンの脳は普段に近づいていく。
「なるほどそうか、やっぱりな。あの時から指輪がセレスティア大公家に繋がるものだと知っていて、サラがその血縁だと感づいていたんだな? だから母親や父親の話を不自然に」
「ああそうだ」
「旅の道中で俺たちを監視していたのはお前の手下か?」
「もちろん」
「トキナーの街で指輪の話をした老夫婦も仲間か?」
「ん? ああ、そういえば金で雇って夫婦に指輪の話をしてもらったって言ってたな」
「どれもこれも全部セレスティアに俺たちを呼び寄せるために?」
多少の怒気をはらんではいるものの、ルアンの声はほぼ冷静に戻っていた。そんなルアンに満足したように、マリクは三度ほど手を叩いて拍手をする。
「わかってるじゃねえか。そうだ、俺が見込んだ通りにお前はあの嬢ちゃんをここまで連れてきてくれた。事故も起こさず、夜盗にも襲われず、宮廷に直接行って門前払いを喰らうこともなく、俺が望んだようにここまで来てくれた。見込んだ通りに優秀だよ、お前は」
「くっ……」
ある意味褒められているのであろうが、結果としてはマリクの手のひらの上で自分は踊っていたことになる。そんな屈辱にルアンは思わず歯ぎしりをした。
「なぜだ! なぜ俺たちをセレスティアに呼んだ、いや呼び寄せた!?」
「そうだな、それは知りたいだろうが、ここで全部話すには時間がねえな。ただこれだけは言っておこう、俺の復讐のために利用をさせてもらった。悪く思うなよ」
「復讐……、だと!?」
「そうだ、十八年前の復讐だ」
十八年前という言葉がどこかで聞き覚えがあったものの、それ以上に復讐という強烈な単語を耳にして、ルアンは月夜に光るマリクの目を凝視してしまったのだった。




