第55話 舞踏会 その2
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サラは空腹をかかえ、なぜこんな場違いなところに自分がいるのかを考えていた。
今まで着たこともないようなドレスを着て、履いたこともないような靴を履き、さらには付けたこともないような髪飾りをつけている自分は、本当にサラ自身なのかと自分で疑いたくなる。
目の前で演奏している楽団はさも名のある楽団なのであろう。サラがアデリーの街角で聞いたことのある楽器の音色とは、天と地ほども違う音を奏でている。それに給仕役の女性や男性が運んでいるデザートや軽食のなんと美味しそうなことか。近くを通るたびに漂ってくる甘い香りや、蒸し上がったばかりと思われるホクホクとした湯気に、思わず手袋をはいたサラの手が伸びそうになる。
「はあ……」
サラは周囲に聞こえないように小さくため息をついて、グウと情けない音をたてそうなお腹へと手をやった。その腹囲はギュッと締められてはいるものの元々が華奢なサラである、衣装係の女性が言っていたように食事を摂ったからといって苦しくなるとはとても思えなかった。逆にどちらかというと、ほとんど昼から何も食べずに立っている今の方が辛い。
なにしろ舞踏会が始まる前には見ず知らずの大公と伯爵に会わされ、しかもその場の緊迫した空気に胃が痛くなる思いをさせられた。それが終わればあからさまに機嫌が悪くなった公太子に小部屋に閉じ込められて、散々待たされたあげくの舞踏会本番である。
まったく何をどうすればわからないサラは公太子夫妻から少し離れた場所に立ち尽くし、舞踏会の流れをただ眺めているだけだ。着飾った紳士淑女があちこちで集まりをつくり談笑に励んでいるのを見ては、自分は何のためにここにいるのかと虚しくなる。
――ルアン様はどうしているのだろう
まさかそのルアンがこの会場にいると思いもしないサラは、離ればなれになって一週間にもなる男性の顔を思い出した。この大陸の人に比べると少し褐色に近い肌で、顔つきも実年齢よりは童顔に見える。かといって頼りないということはまったくなくて、出会ってからのサラはルアンに頼りっぱなしで旅をしてきた。
生傷や青あざのあった自分の身体をルアンは嫌がりもせず、それどころか売り物でもある高価な薬をずっと塗ってくれていた。おかげで頬の傷も含めてマジマジと見ない限りは、虐待の跡も目立たなくはなっている。あんなに優しくしてくれたルアンと、次にどうやったら会えるのか。そんなことを考え、今度は先ほどよりも大きなため息をついた時だった。
「サラ殿、お疲れかな?」
サラの身長よりもかなり上の方から声が降り注ぐ。
「えっ、いえ……」
思わずサラが顔をあげて声の主を見ると、その人物は先ほどゼノス大公の隣に立っていたマヌスール伯爵であった。伯爵は片手に葡萄酒のグラスを持ち、幾分上気した頬を緩ませてサラを見下ろしている。
「なるほど、間近で見ればその鳶色の目、ソフィリアス殿下にもよく似ている」
「そ、そうですか」
サラは続けて「ありがとうございます」と言うべきかどうか迷ったものの、不要なことを言って公太子に睨まれるのも怖くて何も言わずに頭を下げた。
「そなたの母は、ソフィリアス殿下とどこで知り合われたのかな? 殿下は公太子としてテルム王国には何度か訪問していた。ご自分の母親の血脈に繋がる国ですからな、テルム王国は。そこでサラ殿の母に出会ったのであろうが……。そうそう、ソフィリアス殿下の指輪を「母親の遺品」と言っていたそうじゃが、母上はいつ亡くなられたのかな?」
何の他意も無さそうに聞いてくるマヌスール伯爵に対して、サラはどう答えるべきかを必死で考えた。『喋るな』と公太子にはきつく言い含められ、喋りかけられてもニコニコとしておけ、などとも言われている。しかし自分の母がいつ死んだか、という質問に対して何も言わずにニコニコなどしていれば頭のおかしい娘だと思われるし、『不慣れなもので』などと言っても意味が通じない。最後に残されたのは『公太子殿下に呼ばれておりますので』と言ってその場を離れることだったけれど――。
「あの、公太子殿下に呼ばれておりますので……、あれ?」
サラは最後の手段としてその場を離れようと公太子の名前を出し、公太子夫妻がいた場所を目で追った。が、その場所に公太子夫妻はおらず、誰とも知らぬ貴族が楽しそうに酒を酌み交わしているだけ。
「えっと、公太子殿下のご夫妻が……、そこに」
慌ててキョロキョロと辺りを見回してもあの太った公太子と、公太子より背の高い公太子妃の姿が見当たらない。
「公太子殿下かな? 殿下なら先ほどご夫妻でゼジル卿と酒を飲んでおられたが、新たな銀の採掘権の話だとかで上機嫌でどこかに消えましたな。ご立派なことで。のう、サラ殿」
ニヤリ、と笑いながら自分の方を見た伯爵の顔つきを見て、サラはこの人物がわざわざ公太子夫妻がいなくなったのを見計らって自分に近づいたのを確信したのだった。
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一方ルアンは舞踏会が始まって以来サラの居場所を探そうとしたものの、サラを見つけるのに苦労していた。というのも、あからさまに動いて自分がサラに見つかるような行動をとれば、あの公太子にルアン自身が発見される危険があり、そうなった場合に公太子がどう動くかが不透明なためであった。実際にはマリクの策略により、ルアンがこの舞踏会に来るであろうことをマルセルムは予測していたのであるが、そんなことを神ならぬ身のルアンが知るよしもなかった。
「しかし、本当にサラは来てるのか?」
いよいよ宴もたけなわとなった会場を、用心深くルアンは進む。いつの間にか周りは男女のペアが踊るようになっており、仕方なくルアンは壁伝いに螺旋階段のところへと身を潜めた。
色とりどりのドレスを身に纏った貴婦人達が、男性に先導されるように優雅に踊っている。どちらかというより、この貴婦人達の中でもサラの身長はあきらかに低い方になるだろう。そう考えると人の壁の隙間から覗き見るようにして探すよりも、二階から探した方が効率的ではないかとルアンは考えた。
見上げると会場の二階は三方に張り出しがあり、それぞれに手すりがついていて会場を見下ろす事が出来る。「よしっ」とルアンは小さく呟き螺旋階段を昇ることにした。
「ああ、これは」
手すりから見下ろすルアンの目に映ったのは、五十組はあろうかという男女のペアが音楽に合わせてクルクルと回っているようす。ひとりひとりの顔は見えないものの、ここからならサラの赤い髪がよく目立つと期待する。
広めのキャットウォークになった張り出しを歩いて、ルアンはなかなか近づけなかった壇上の方へと向かう。
「赤い髪、赤い髪……と、うん?」
ルアンが気づいたのは幾人かの男性貴族が一人の少女を囲んでいるところだった。その少女は薄いベージュのドレスを着ていて、髪には見事な花飾りをつけている。囲んでいる男性貴族にくらべると明らかに小柄で、そして、髪の色がいつもルアンが見ていたアノ色だった。
「サラ、か?」
そう呟いたルアンは、なぜか膝から下の力が抜けていく気がした。
自分が見ているのは見間違うことなくサラである。一ヶ月ほど前までアデリーの街角で虚ろな目をしていたサラである。自分が救い出し、外の世界を見せてやると言って妓館から連れ出した少女が、いま自分の目の前で可憐な姿に変わっていた。しかも身なりの立派な貴族の若者に取り囲まれている。
――『その忘れ形見が故ソフィリアス殿下の娘ということが証明されれば、その娘を妃として迎える貴族がいないこともない、ということらしいのです』
呆然とサラを見下ろすルアンの頭に蘇ったのは、一昨日シモンから聞いた宮廷の噂。
「サラの、将来……」
力なく唇を動かし、手すりに手をかけてうなだれてしまったルアン。
そんな気力を失ったようなルアンの姿を、反対側の二階から隠れるようにして見ていた男がいた。その男は一部始終を見終えたあと、「チッ、情けねえ奴だ」と口汚く罵ったのである。それは誰あろう、ラグゼルことマリクだった。




