第53話 ゼノス大公
その老人(少なくともサラにはそう見えた)は、サラを見た瞬間、「ほうっ……」と驚きともとれる小さな息を吐き出した。老人の顔を仰ぎ見たサラはその目の端に映った公太子にギロリと睨まれ、再びその小さな頭を下げて平伏する。
「よいよい、もう一度顔を上げよ」
老人、つまりこのセレスティアの元首であるゼノス大公はそうサラに声を掛け、再び顔を上げさせた。
「はい……」
小さく呟いたサラが控えめに頭を上げると、やはりその目の端には不満げなマルセルムの顔が映る。何も無駄口を叩くな、と言い含められていたサラは、大公の目をまともに見返すことも出来ずに視線を左右に彷徨わせた。
いまサラの目の前の一段高い所に座っているのはゼノス大公。その右には公太子のマルセルムが立っており、そして大公を挟んで左の方には見たこともない中年男性が物珍しそうにサラを見つめていた。背丈は公太子よりも高く、横幅は公太子ほどには太ってもいない。
最初サラはその男性が大公の侍従か腹心の臣下かと思った。けれどその身につけているきらびやかな装飾品や出で立ちから見て、どうやらセレスティア貴族、それも大公家に近い家柄なのではないかと思い直していた。
「そなた、名をなんというか?」
そうこうする間に、老大公は幾分慈しみを感じさせる眼差しでサラに問いかける。答えてよいものかどうかを確認するためにサラがマルセルムの方をチラリと見ると、マルセルムは口の端を結んだままサラから視線を外した。
特段咎められた仕草でもないと感じたサラは、「サラ・エルジェと申します」と短く返事をして顔を伏せる。
「そうか、サラと申すか。歳はいくつじゃ」
「十八でございます」
「ほう……、十八か」
そう言ったきりゼノス大公は目を閉じ、何かを思い出すように深い息を吐き出す。顔を伏せたままのサラは、公太子の方から何やら怒りの感情にも似た圧迫感を受け、このまま自分が周囲の沈黙に押しつぶされるのではないかという錯覚すら覚えた。
と、そんな沈黙のなか、大公の老いた声でもなく、公太子の不機嫌な声でもない人の声が部屋に響き渡る。
「よく似ていらっしゃいますな、大公殿下。特にオラシア妃殿下に似ていらっしゃる。もう遠い昔のことですが、私もよく覚えております。髪はもっと長い髪をされていましたが同じような色で、目元も優しくそれでいて聡明そうな――」
部屋の中に充満していた圧迫感を消し去るかのように男性の声は続いていく。その予想外のことにサラが上目遣いに顔を上げてみると、老大公の左側に控える中年男性が場違いに思えるようなにこやかな表情でゼノス大公に話しかけていた。
サラが戸惑いつつも反対側の公太子の方を目で追うと、その公太子が苦虫を噛み潰したような顔で中年男性を見つめている。サラにしてみれば名前と年齢しか言っておらず、それが公太子夫妻に言い含められていた「余計な事」ではないと信じるしかなかった。
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一方公太子であるマルセルムは、サラが思っている以上にこの部屋に着いたときから不機嫌であった。なぜなら謁見会場となった部屋には、なぜか既に従兄弟のマヌスール伯爵がいたからである。大公にはそれとなく人払いを求めたものの、出て行ったのは伯爵の従者や大公の執務官のみで、伯爵自身は堂々と残ったのだった。しかも伯父であるゼノス大公に「しかし本物でありましょうか?」などと、今から会うであろう少女のことを話していたのである。
面倒くさいことになった、と思いながらもマルセルムはそれ以上に人払いを求めることはなく、そのままサラを引き合わせた。これが大公位の継承権もない貴族であったならばマルセルムも一喝したところであるが、実質上このセレスティアで三番目の権力者である従兄弟には自重したのである。
そんなことは知るはずもないサラは、目の前の中年男性がペラペラと喋る様子に興味が湧き、いったいこの人物は誰だろうと小首を傾げた。その瞬間、中年男性とサラの目が合い、男性がニコリともニヤリともとれる笑みをサラに向ける。
「ふむ、本当にオラシア様に良く似ている。サラ、と言ったかな、私はマヌスール。大公殿下の甥で、そこにいらっしゃる公太子殿下の従兄弟だ。しかし今の角度で見ると、ソフィリアス殿下のお顔にも似ているな。忘れ形見と言われても不思議ではない。大公殿下、どう思われます?」
「そうよのう……。オラシアにも似ておるが、ソフィリアスの面影もどことなしにあるのう」
そんな甥と伯父の会話に加わることなく、サラが見る限りマルセルムは口を真一文字に結んで感情を押し殺している様子。そんなことを知ってか知らずか、マヌスールと名乗った男が公太子に問いかけた。
「公太子殿下。殿下はどう思われます、自分の姪であると思われますか?」
話す調子は柔らかいものの、核心をズバリと聞くその態度にマルセルムは少々目を細めて不満を表した。が、その質問をあらかじめ予想していたかのように、口を開く。
「故オラシア大公妃殿下には似ておると思いますな。しかし……、似ているからといってすぐに信じる訳にはいかぬかと。よって、我が屋敷に逗留のうえで色々と話を聞いておったところですな」
ウソとは言えぬまでもモノは言い様だ、などと思いながらサラは公太子の台詞を黙って聞いている。
「なるほど。それで殿下、何やら話によればそのサラと申す娘は証拠の品として指輪を持って来たと伺っておりますが……」
マヌスールが興味津々とばかりに言い出した話題に、老大公も「おお、そうじゃったのう」と老いた身を乗り出す。
「で、どうじゃった?」
何かを期待するかのごとく老いた目を見開いた大公に、マルセルムは舌打ちをしそうになる。とはいえ相手は父親でもありセレスティアの元首。たとえ世継ぎであっても聞かれたことには答えなければならない。
「父上、いえ大公殿下。確かにこの娘が持っておった指輪は本物であろうと、我が配下の鑑定士は申しておりました。指輪に彫られた公爵家の紋章とシスタリアの花の組み合わせは、――我が兄の持ち物に違いないと」
「おお、シスタリアの花か。オラシアが大層好んだ花じゃ。そうか、シスタリアの花が……」
遠い日の記憶を思い出しているのか、目を閉じたゼノスが椅子に深く座り直す。
「それでは公太子殿下、もうこのサラ殿は本物の忘れ形見ではありませぬか? 指輪が本物でこの容姿とは――」
眼下に控えるサラの方を指さし、追い詰めるようにそう言ったマヌスールに対して、マルセルムは公太子然として手をあげて発言を制する。
「マヌスール殿。この娘の容姿は置いておいて、指輪が本物であった、というだけでこの娘が正当に手に入れたかどうかはまだ不明。なにしろこの娘自身が我が兄との関係をまったく知らなかったのじゃ。入手経路を尋ねてみたものの、母の遺品というばかり。その死んだという母親が盗んで手に入れたやもしれぬかとおもえば、早々に断定はせぬほうが良い」
サラは母まで疑うようなマルセルムの言い方に憤慨し、思わず口を開けて反論をしようとする。自分がセレスティア公爵家に関係あろうが無かろうが、もうどちらでもいいので解放して欲しい、と言っても留め置いたのは公太子の方であろうとまで言うつもりで。
しかし口を開きかけたサラの目にはマルセルムの冷酷な瞳が映り、先ほど聞かされたルアンへの脅し文句が頭の中に蘇る。ここで反論したら最後、本当に彼らはルアンを捕らえるかも知れない。そこまで思い詰めたサラは開けた口を二度三度と動かしただけで、結局のところ何も言えずに沈黙を選んでしまった。
「なるほど、確かに公太子殿下の仰ることも道理はありますな。とはいうものの、更なる調査をして様子をみるにしても、マルセルム殿下のみが責任を負って調べる必要もございますまい。こちらのサラ殿は大公殿下の孫、このマヌスールの従姪かもしれませぬ。それに公爵家の相続権はなくとも亡くなったソフィリアス殿下の実子となれば、大公殿下の思い入れもあるとは思いますが……。いかがでしょうか、大公殿下」
甥であるマヌスールにそう言われ、老大公は「ふむ、そうじゃな」と同意をして頷いたのだった。
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「まったく! なにゆえマヌスールがあの場におったのじゃ! 一族とはいえ公爵家の傍流ではないか!」
大公との謁見を終えたマルセルムは舞踏会の控え室で大荒れに荒れていた。面会の場に彼がいただけでも不愉快であるのに、かの伯爵に言い含められるように場の流れが決定し、父である大公も最後にはマヌスールの言うことに従ったからである。
「なにが、『マルセルム殿下のみが責任を負って調べる必要もございますまい』じゃ。自分が一枚噛みたいだけではないか」
怒りが収まらずに部屋の中を歩き回るマルセルムに、妻のエメイラが一杯の葡萄酒を渡して宥める。
「まあ殿下、そう仰っても仕方がございませんではありませんか。私も見ておりましたけれど、あの娘を見た大公殿下の目、あれは孫をみる目でしたわ。マヌスール伯が横やりをいれなくても、あの娘を自分の孫と思っても致し方ないかと」
エメイラにあの娘と呼ばれたサラはもちろんこの部屋にはいない。面会が終わったあと、すぐに舞踏会会場近くの小部屋に閉じ込められてしまったのだ。
「ふんっ、確かにな。疑いの目で見る儂らから見てもよく似ておるのだ、まあしょうがない。それにここまでは儂の予想の範囲じゃ。いくらマヌスールが横やりを入れようとも、大公が娘に固執しようとも、今宵が済めばすべてが終わる」
「そうですわ、殿下の先手先手の策があったからこそです」
妻におだてられたマルセルムは少し気分をよくして葡萄酒を一気にあおる。
「しかしマヌスールめ、余計なことを言いおって。舞踏会でもあの娘に近づいて何を言い出すか分かったものではないわ。面倒なことになる前に、儂らの側から離れぬように小娘には言っておかねばならぬな!」
そう言ったマルセルムは空になったグラスを差し出し、怒りを静めるようにもう一杯葡萄酒を飲み干したのだった。




