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第6話 身請け

 呆然とした目でサラに見つめられたルアンではあったけれど、そのルアンはルアンで、彼なりにサラの身請けについて色々と考えを巡らせていた。


 昨夜、泥のような眠りにつくまでは、ルアン自身も身請けのことなどを思いついてもいなかった。元来商売で各地を旅するルアンにとって、妓女や娼婦、それから酒場の女などと情を交わしても、それは一夜限りの関係でお互い納得ずくのこととしていた。中にはサラのような不幸を背負って身体を売っている女にも出会ってはいた、しかしその不幸を自分がなんとかしてやろうなどと、ルアン自身が思うことを避けてきたのだった。


 けれど今日の朝、陽光に照らされたサラの寝顔を見たルアンの心が動く。ここまで酷い折檻を受けながらもどうすることもできないこの少女は、いったいこの先どうなるのだろうとルアンは思ってしまったのだ。昨夜の寝物語で母親が死んで自分は天涯孤独だと言っていたこの少女は、今日の夜からまたあの感情を無くした表情で店先に座り、誰とも知らぬ男に酷い扱いをうけ、毎日を絶望の中で暮らすのだろうか。そして昨夜自分が何度も愛したこのサラの華奢な身体を、誰とも知らぬ男はまた痣をつけるほどに痛めつけるのだろうか。と、そんなことまで考えたルアンの心は少しばかり痛む。

 

 今まで女性と一夜をともにしたことは何度もあったルアンではあっても、昨日のように泣きながら必死に自分を求められたことはなく、その女性の今後の身の上のことを、敢えてそこまで深く考えることもしなかった。


 首をひねって再び隣を見ると、夜が明けつつある部屋で安心したように眠るサラの顔は、汚れを知らない少女のように綺麗だった。その健やかな寝顔を見れば見るほど、サラがいわれの無い迫害を受けるような少女だとはルアンには到底思えないのだ。


 この少女を自分が救うのは偽善なのだろうかと、再び天井を見ながらルアンは考える。そして何度考えてもやはりそれは偽善なのだろうという自身の結論に戻る。なぜなら自分はサラと肌を合わせたから、サラのような境遇の少女に同情をしたのだ。もしこれが昨日別の女を抱いていたのなら、ルアン自身にこんな感情は生まれようもなかったはずだ。


 たとえばいま他の妓館にサラと同じような悲しい少女がいたとしても、何も知らないルアンにはどうしようもない。自分が抱いたサラだけを救ってそれで満足するのは、――つまりそれは自分自身の偽善だと、ルアンは思った。


 だからルアンはサラが目覚めた後すぐに、サラを救うとか身請けをするとかという考えは一旦頭の外に放り出すことにした。そして目覚めたサラを抱きしめ、その素肌の感覚をもう一度確かめようとだけ思ったのだけれど……。


 ルアンは明るくなった部屋の中で、サラの顔に昨日の涙の跡を見つけてしまった。昨夜の最後、サラがあれほど涙を流した理由は何だったのだろうと、良い意味でも悪い意味でも女性を泣かせたことなどないルアンは、それが気になってしまったのだった。

 

 結果、まさかサラが朝から泣きじゃくるほどに自分のことを好きになったと聞かされたルアンは、たとえ偽善であろうともこの子を悲惨な境遇から救うのが自分に正直な話なのだろうと、偽善という自分の感情を一旦押し殺したのだった。


 △


「なあサラ、俺に身請けされるのは嫌か?」


 ルアンがゆっくりと二度目にそう言ったあとも、サラの頭はまだ混乱していた。どう返事をしたらいいのか分からずにサラの心は揺れる。確かにこの黒髪の青年のことは好きだ、こんなに優しくしてくれた男性なんて今まで他にはいない。無駄だとわかっていても泣きながら告白したその先に、こんな事態が待ち構えていようとはサラは想像もしていなかった。


「嫌なんかじゃありません。でも、私を身請けするって、私の借金をルアン様が代わりに払うなんて申し訳ないです。それに身請けをされても私にはいま住むところもありません。以前働いていた裁縫の仕事で生きていくにしても、住むところがなければやっぱりまた借金をするしか……。そんなことになったらルアン様にご迷惑をかけただけになって、やっぱり私は――」


「いやちょっと待ってサラ、混乱してるのはわかるけど、俺の考えを順番に一つずつ話をしていこう」


 ルアンはそう言ってサラの話を止めて、赤みがかった髪を優しく撫でた。


「まずサラ、君を身請けするのにはお金がいる。さっきいくらかかるかって聞いたけど、サラの借金はいくらだったの?」


「金貨……三十枚分です」


「だろうね、そのくらいかなと思った」


 それはルアンの予想の範疇だった。祭りの影響で値上がりした妓女たちのお代のなかで、サラについた金貨二枚という一夜のお代はべらぼうに安い。それはあの呼び込みの男の言った通りで、そこまで下げないとジェリスであるサラを買おうという男は現れないのだ。つまり通常サラのお代は金貨一枚程度で、それでも月に何人かしか客がつかないということだろうと想像はつく。


 一方で店はサラに日々の飯を食わせない訳にはいかないし、サラが使う部屋にも、粗末とはいえ衣服にさえも必要な費用はかかる。差し引きしてどう考えても金貨百枚などという借金はサラには返せないだろうし、そもそも差別を受けている彼女らにそれだけのお金を貸す奴もいない。金貨でいえば二十枚か三十枚程度、商売で旅を続けるルアンの生活費で丸々二ヶ月分くらいがサラの借金の限界ではないかと想像はしていた。


「そのくらいの金は、ある」


 ……商売用の金だけど、という言葉を胸の中にとどめてルアンが言う。


「そのくらいって! そんなお金を」


 目を丸くしたサラの唇を指で塞ぎ、ルアンは話を続けた。


「まあいいから。これからは下世話な話になるけれど俺の話を聞いて。俺は商人だから何でもお金の価値に代えるクセがあるんだ、正直に言って君には嫌な話だろうけれど」


 そう前置きしてルアンはサラの鳶色の目を見る。


「ねえサラ。俺は君を一晩金貨二枚で買った、だから金貨三十枚という君の借金は俺が君を十五日買ったのと同じなんだよ。つまりね、俺の側で明日からサラが十五日間相手をしてくれればそれでいい。その間、俺は商売の旅を続ける、もちろんサラと一緒にね。十五日もあればこの国を出て別の国にも行ける。サラはこのテルム王国を出たことはある?」


「いえ……」


 生まれてから十八年になるけれど、サラはこの国、テルム王国を出たことがなかった。この国を出るには街を出てから一週間の旅になる。母娘二人でそんな長旅に出る必要もなかったことに加えて、ここアデリーの街や近辺の都市部よりも、田舎の方がジェリスへの迫害が酷いという話を聞いていたこともあった。この街ではさすがに命まで奪われることはないけれど、実際に田舎町に行った時の身の危険は、サラには想像もつかなかった。


 この国の中でさえその程度の情報しか知らなかったサラである。さらにその外の国に行くなどと、考えたこともなかったのだ。


「じゃあ俺と一緒に来ないか? ここにいて、こんな酷い仕打ちを受けるのなら、外の世界を見た方がサラのためになると思うんだけど」


 ルアンは頬に残るサラの傷跡に触れながら、できるだけ優しくそう言ったのだった。

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