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第51話 豹変

 サラが公太子宮に閉じ込められてから一週間が経つ。最初はあれほど代わる代わるにサラを呼びつけ詰問していた公太子夫妻が、気がつけば一昨日からまったくサラを呼びつけなくなっていた。


 サラ自身にしてみれば呼びつけられてもセレスティア公国と亡き母との関係など何の知識もなく、母との会話でセレスティアのことが話題にのぼった記憶もない。知らないことは知らないとしか言えず、思い出せと言われても思い出しようもない。そして詰問の最後には決まって薄汚い言葉で罵られて終わる。そんな一種の苦行のようなものから解放されて安堵が半分、しかしこの先どうなるのかという不安が半分の二日間を、サラは公太子宮の小部屋で過ごしていた。


「ルアン様はどうしてるのかな……」


 粗末な椅子に座っていると、鉄格子こそ嵌められていないものの、決して一人では抜け出せそうもない高い位置にある窓から外の世界が見える。


 遠くに見えるのは宮殿の物見の塔だろうか、青い空に円錐状の白い先端が太陽光を反射していた。その様子をただぼんやりと眺めていると、思わずサラの目から涙がこぼれていく。この温かい日差しの下、つい一週間前まで自分はあの優しいルアンと一緒に旅をしていたのだ。それがどれほど楽しいことだったのか、そしてどれほど自分がルアンのことを好きだったのか。そんなことを思い出すと、自然と涙も溢れようというものである。


 何も要らないからここから出して欲しいと言っても、あの二人はまったくもって聞き入れはしてくれなかった。それどころか自分とセレスティアの関係を白状しないのなら、ルアンの粗探しをして捕まえるとの脅迫まで受けたのだ。相手はサラでは抗いようのない公国の権力者。そんな脅迫まで受けてしまえば、ルアンを庇うために何かを白状しなければならなかった。


「ルアン様……、私、何を言ったらいいんだろう……。お母さんは何か知っていたの? でもどうして何も……」


 サラは決して愚鈍な方ではない。口が上手という訳ではないけれど、どちらかといえば頭は良く回る方だし人の気持ちを察することにも長けている。つまりサラはあの公太子夫妻が自分に望んでいる回答が何かをサラなりに探していたのだった。しかしサラが十八年前の母と故ソフィリアス殿下との関係をすべて知っているはずもなく、更には同じ年に謀られた陰謀の裏に現公太子夫妻が関わっていたなどとは、神ならぬ身の想像の及ぶところではない。結局サラの懸命な努力もむなしく、一週間が経ってもここから出して貰える気配は微塵もなかった。


「やっぱり今日も無いのかな……」


 流れ出た涙をひとしきり拭ったサラが、入り口の扉を見てポツリと呟く。公太子夫妻による詰問というか尋問があるときには、扉の向こうからザワザワと喧噪が聞こえて来る。それが無いということに半分は安堵するものの、もしかしたら次は拷問のような仕打ちがあるのではないかと不安も募る。そして、本当に自分は何も知らないのに拷問の果てに命を落とす――などという、最悪の想像まで頭をよぎった。


 そんな恐怖に怯え目を閉じたサラの脳裏に浮かんだのは、母でもなくルアンの顔。出会ってからまだ一月だというのに、あの優しく自分を包み込んでくれた異性のことが頭から離れない。


「お願い、神様。もう一度だけでもルアン様の――」


 ――顔が見たい。


 手首に印された三日月の意匠を額にあて、サラがジェリエラの神にルアンとの再会を必死に祈ったその時だった。


 扉の外から例の喧噪が聞こえてきた。ガヤガヤとした人の話し声に続いて足音も近づいてくる。


「出ろ」


 三日前と同じように監視役の役人が面倒くさそうに扉を開ける。


 ジェリエラへの祈りすら邪魔をされたサラは、うなだれて部屋を後にしたのだった。


 ◇  ◇  ◇


「あの……、いま何と?」


 公太子夫妻の前に引きずり出されるようにして跪かされたサラが、聞き取れなかった様子で問いかける。確かいま公太子の口からは『舞踏会』という聞き慣れない言葉が飛び出したようにサラには聞こえた。しかしセレスティアの訛りで別の言葉かも知れないと考えたサラは、壇上に座る二人の様子を窺いながら聞き返したのだ。


「まったく、儂の話は耳を澄ませてよく聞け! 明日、宮殿で舞踏会がある。お前はそれに出るのだ。衣装などもっておらぬだろうからこちらで準備をする。あとで侍従に採寸をしてもらえ。話はそれだけじゃ」


 いつも以上に冷たい視線でサラを睥睨した夫妻が、それだけを言って立ち去ろうとする。呆気にとられたサラは一瞬頭が真っ白になったものの、すぐに気を取り戻して声をあげた。


「ま、まって下さい公太子さま。私は舞踏会など出たこともございません。踊りを踊ったこともありませんし、何をどうしたら良いのか見当もつきません! それも宮殿でなどと突然申されましても」


 悲鳴に近いようなサラの叫びに、マルセルムは大げさなため息とともに振り返った。


「ああそうであろうな、お主のような小娘が宮殿の舞踏会など出ておったら片腹痛いわ」


「ではなぜ?」


 続いて声を上げたサラの全身に、公太子妃であるエメイラの苛立った声が降り注ぐ。


「よいのじゃ! お主は我らの言うことを聞けばよいのじゃ。綺麗な衣装を着て舞踏会に出させてやろうというに、なにを不満げに。そのように口を尖らせて!」


「……でも」


「ええい、口答えをするでない! よいか、舞踏会では話しかけられても喋ってはならぬぞ! ただニコニコとして壁際で立っておればよい。誘われても『踊れませぬ』と言え。後のことはその侍従に申しつけておるゆえ、簡単なしきたりを覚えておけ」



 言いたいことを言い切ったマルセルムが、今度こそサラの前から立ち去ろうとする。続いてエメイラもサラの方を一瞥し「身ぎれいにだけはしておくのじゃぞ」、と優しいセリフを冷たく言い放つ。


「あ、あの、今日は母の話はせずとも……」


 最後にサラが思い出したように発した言葉に、部屋を出て行こうとしたマルセルムがピクリと背中を揺らし、首だけをサラの方へと向ける。その目には一昨日まで宿っていたサラへの疑惑や憎しみに似た感情が一切消え失せており、あれほど拘った母親の話など興味が無いようにサラの目には映った。そしてそのサラの直感通りに、公太子の口から出た言葉は――。


「ああ……、もうそんなことはどうでもよい」


 残されたサラは聞いたばかりの信じがたい言葉に口を閉じきることもできず、ただ「もう、どうでもよい、って……」とだけ呟いて夫妻の出て行った方を呆然と眺めるだけであった。


<第八章 蠢動 終わり>

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