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第5話 涙の跡

 翌日、夜が明けた部屋でサラは目を覚ました。カーテンの向こうから陽が差し込んで明るくなった部屋の床には、昨夜脱ぎ散らかした二人の衣服が無造作に落ちている。身体の下にあるシーツはやはりグチャグチャで、昨夜の激しい二人の痕跡がいやというほど残っていたのだった。


 隣ではルアンが既に目を開けて起きていた。漆黒の瞳でじっと天井を見て何か物思いに耽っていたルアンではあったけれど、サラが目を覚ましたのに気がついたのか、サラの身体に手を伸ばしそのまま軽く抱きしめる。


「おはよう、サラ」


「おはようございます、……ルアン様」


 抱き寄せられたサラの太股に、見事にルアンの硬い物が触れた。寝起きながらもそれが何なのかがハッキリとわかったサラは「あっ……」と小さな声をあげ、上目遣いでルアンを見あげる。


「まあ、俺も男だから。朝は……ね」


 ルアンは寝癖で乱れた自分の黒髪を触りながら、少し恥ずかしげにつぶやく。


「そうなんですか」


 いままで男と朝まで一緒の布団で寝たことなどなかったサラは、ルアンの言っていることの半分も意味を理解出来ずに相づちだけをうった。


「そうなんだよ」


 照れ隠しにルアンはそう言ってサラの身体を強く抱きしめて寝転がり、そして明るくなった部屋の中でサラの顔を上から見下ろした。寝起きの素顔を明るい部屋でジロジロと見られるのが恥ずかしいサラは、枕の上ですこし首を横に振ってルアンの視線から目を外す。ルアンはそんなサラの寝起きの顔に、昨日流した涙の跡がはっきりと残っているのを見逃さなかった。


「サラ?」


「はい」


「昨日の最後の方、泣いてただろ」


 唐突なルアンの質問にサラは横を向いたままで、ゆっくりとうなずいて答える。


「なんでずっと泣いてたの?」


 昨夜どうして泣いたのかなどと聞かれても、サラには本当のことが言えるはずもない。胸の奥の痛みを紛らすために昨日のサラは必死にルアンを求め続けたのだった。もう明日の朝にはルアンと別れなければならないことに気づいたサラは、ルアンとともに過ごした夜の記憶を自分の身体に必死に刻み込んだのだ。


 サラは初めて女としての自分を大切に扱ってくれたルアンのことを、本気で好きになってしまっていたのだった。けれど、それを言ってもサラにはどうしようもない。自分は妓館に売られた妓女で、ルアンは一夜限りの異国の人。今夜からはまた、感情を押し殺してこの国の男の相手をしないと生きてはいけない。


 今更ながら、もう昨夜のような幸せな時間は訪れないのだと再確認したサラは、ルアンに真上から見つめられていると分かっていても、再び枕を濡らし始めていく涙を止められなかった。


「ごめんサラ、でもなんでまた泣いてるの?」


 涙を見て慌てたルアンに優しくされればされるほど、胸が詰まったサラは自分の気持ちを口に出せない。


「サラ?」


 慣れ親しんだ自分の本当の名で呼ばれ、赤みがかった短めの髪を愛おしむようにルアンの手で梳かれたサラは、ついに耐えきれなくなって恋しい人の胸に抱きついて号泣を始めた。しゃくり上げるように声を出して泣くサラを、ルアンは柔らかく抱きとめる。


「サラ、どうしたの、大丈夫か?」


 突然泣き始めたサラに驚きながらも、ルアンは冷静にサラを慰めた。そんなサラの口からルアンの耳に、途切れ途切れではあってもその本心が伝えられる。


「……すき、です、ルアン様……のことが、たった一夜で本気で……好きに」


「俺の、こと? 本気で?」


 聞き返したルアンの言葉に、腕の中で何度も何度も子どものように泣きながら首を振って答えるサラ。


「ルアン様は異国の人、あんなに優しくして頂いたのに……、もう二度と会えないなんて、私、それがいやで……」


 告白を続けるサラの様子にルアンの表情が変わる。


「そうか、サラはそう思ってくれてたのか」


 ルアンはサラを抱きしめたままゴロリと再び寝返りをうって、今度は胸の上に華奢なサラの身体を抱きかかえた。不意のことに泣き止んだサラが、抱きかかえられたままルアンの漆黒の目をじっと見つめる。


「なあサラ、俺さっきサラより早く目を覚ましたんだけど、隣で寝ているサラを見て思ったんだ。この子は、今日の夜からまた酷い扱いを受けるのかなあって。こんなにおとなしくて優しくて良い子なのに、生まれた場所がこの国だったっていうだけで、なんで酷い扱いを受けるのかなあってさ。それで……いまのサラの言葉を聞いて、俺はサラのことを助けたくなった」


「私のことを、ですか?」


 潤んだ目でそう聞き返すサラの方を見て、「うん」とルアンはうなずき返す。


「まあサラと俺、びっくりするほど相性が良かったっていうのもあるけどね、アッチの方も」


 サラの右の頬に軽く口づけをして、ルアンは話を続ける。


「ねえサラ、サラは外の世界を見てみたいと思わないか?」


「外の……世界」


「そう、外の世界。この国の外の、もっともっと外。俺は薬草とか香料の交易をしたりしてこの世界を旅してるんだ。この世界にはいろんな神様を信じる人たちがいて、いろんな言葉を喋る人たちがいて、珍しい食べ物や、どう考えてもそれって黒魔術じゃないかっていう伝説があったりしてね。で、俺の国はここから陸伝いだと二ヶ月、船だと風がよければ一月半くらいのところなんだけど、そこには――」


 ルアンはサラの頭を腕枕で支えながら、この国の外の話や、自分の生まれた故郷の話を面白おかしく話して聞かせた。それはサラにとっては全てが真新しく初耳のことばかりで、さっきまで泣き腫らしていた目には笑みさえ浮かべるようになる。


 初めての国で食べ物が辛すぎて全然口に合わなかった話や、ルアンだけ駱駝に嫌われて結局一日中背中に乗せてもらえなかった話、商品代に貰った金貨の半分が実は偽物で、客先に怒鳴り込みに行ったら既にもぬけの殻だった話など、ルアンの旅と商売の話は面白おかしくて、思わずサラは数年ぶりという程にケラケラと笑ってしまった。


 △


「なあサラ、君を身請けするのに、いくら必要かわかる?」


 泣いていたサラを和ませる話を終えたあと、ルアンはおもむろにそう切り出した。


「え? 身請け?」


「そう、サラを身請けする」


 黒い瞳のルアンにまっすぐ見つめられて、サラの息が一瞬とまる。お客に身請けをされて妓館で働かなくてもいい生活を始める。そんな妓女が実際にいるにはいたけれど、サラは自分には到底無関係なことだと思っていた。なんと言ってもジェリスと蔑まれ、差別をうけている自分を身請けしてくれるお客など現れるはずがないからだ。だから、黙って耐えていれば何とか生きていけるここで働き続けるものだと、ずっとそう思い込んでいた。


 ところが初めてサラが好きになった青年が、自分を身請けするという。そんな昨日の自分でも想像していなかった話を、目の前のルアンは口にしていた。


「あの、身請けって……、本当に私のことですか?」


「あたりまえだろ。仮に君の言っていることに騙されてたとしても、俺はサラを助けたい。身請けされるのは嫌か?」


 夜が明けての突然の展開にサラの頭は混乱し、ただ呆然とルアンの顔を見つめることしかできなかった。

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