第46話 疑いと恫喝
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「――して、そなたの母親は踊り子をしておったと申したなあ?」
公太子妃のエメイラから質問を受け、サラは一層身を硬くする。丸い大きなテーブルの向こう側には、口元にだけは笑みを含ませた表情のエメイラがこちらを見ていた。その目は冷たく、なにやら自分を憎んでいるようにさえ思え、この部屋に連れてこられてからどんどん息苦しさが増しているようにも感じる。
「はい……、若い頃はアデリーの街で踊り子をしておりました」
サラはエメイラの方を向いて返事をした。が、冷たいエメイラの目を直視することなどできず、公太子妃の向こう側にある壁や装飾品をチラチラと見ながら返事をしたのだった。
サラが一人で連れてこられたのは公太子宮の一室。公太子夫妻が私的な友人との用談を済ますような部屋だった。この部屋は公太子宮の中では小ぶりな部屋に類するものではあったのだが、贅をこらしたその造りにサラは圧倒され、なぜ自分がこのような場所にいるのかと不思議に思えるほどだった。金糸銀糸を織り込んだタペストリーに、これまで見たことがないほどの楕円形の大きさの姿鏡。背の高い窓から心地よい夜風が入ってきては、見るからに上物のカーテンを揺らしている。
侍従が先ほどから焚いているのは何かのお香だろうか、本来であれば胸いっぱいに吸い込みたい芳香が充満しているのに、二人に圧迫されるような息苦しさにサラは小さい身体をさらに小さくしてた。
「ふふふ、もしそなたが本当に我が弟の娘ならば……、弟も弟だ。異国でなんという破廉恥なことをしでかしていたのやら」
「……弟?」
でっぷりと太った公太子が言った台詞に思わずサラが呟き、そして昨夜シモン・ガルボから聞いた話を思い出した。この目の前にいる現公太子のマルセルムは、自分の父親かもしれない故ソフィリアス殿下の腹違いの兄であったことを。
「そうよ、腹違いの弟よ。儂よりも半年ばかり年下だった。母親がテルム王国の王族の娘だったおかげで世継ぎにされたが、なに、その母親の血筋には下賎の血が流れておったらしいのう、ふふふ」
公太子の蔑むような目が自分の右手首、それも親指の付け根あたりを意味ありげにジロジロと見るのを感じて、サラは思わず俯いてしまった。そこにはジェリエラの信者であることの印、つまり三日月のような形をした刺青があったのだ。
「そなた、アデリーでは虐げられておったのじゃろう? なんの生業をしておったのじゃ?」
「……はい、裁縫の仕事を」
「ほう、針子をのう……。母親が死んでからはどうしておったのじゃ?」
「それは……」
サラは返答に詰まった。借金のために身体を売っていたとは言えない。そんなことを言えば嘲笑を受けるに決まっているし、「親が親なら娘も娘だ」などと母まで笑われることになる。とはいえジェリエラの神に誓ってウソをつくこともできず、サラは声に詰まったまま誰もいない隣に顔を向けた。
いつもならそこにはルアンがいるはずだった。この半月以上ずっとサラの側にいてくれた優しい異国の男性が、……いまはいない。この目の前の公太子夫妻によってサラとルアンは別行動をとらされてしまったのだ。
サラが何も言えないのを見てエメイラは耳障りにも思える笑い声を出し、今度は口元だけではなく目元にも微笑をたたえてサラに声を掛けた。――ただしその笑みはサラを嘲るようなものであったが。
「ホッホッホ。そなた、あの異国の男のもとに身を寄せておったのか? それともあの男をたぶらかせたのか? なんとあさましいことよのう、ホッホッホ」
「そんな……」
「まあよいではないか、そなたが我が国に指輪を売りつけに来たのは事実じゃ。あの男にどのようにそそのかされたのかは分からぬがのう、ホッホッホ。あの男も金が目当てだったのじゃろう? 異国の商売人は金のためには親も売るというし」
「ルアン様はそんな人じゃありません!」
半分腰を浮かせながら反論するサラの方を、部屋にいた侍従がジロリと睨んだ。自分のようなものが公太子妃殿下に反論するなどもってのほかだろうかとサラは一転萎縮し、「申し訳ございません……」と小さく弁解をする。
「まあよい、エメイラも言い過ぎではないか? それよりお主、その指輪のこと本当は母親から何か聞いておろう? 先ほどは何も知らぬと言っておったが、母親より譲り受けた時に何か聞いておろう。そうでなければなにゆえこの地まで来た?」
「はい、公太子殿下。それは……その、アデリーの街からルアン様と旅に出る前にいろいろありまして。私は本当に指輪の意味は何も知らなかったのですが、指輪を質から買い戻そうとしたら既に質流れしておりまして……」
サラはできるだけ妓館のことを省いて訥々と話を進めた。ところが話し始めた途端に「なにっ!」、と形相を変えたのは公太子のマルセルム。太った身体をブルンと揺らし、顔をゆがめて怒声をあげたのだった。
「お主! 我が国にまつわる由緒ある指輪を質に入れておったと申すのか!? なんと不届きな! 下賎の者はものの道理を知らぬっ」
「いえ、あの、ですから私は本当に何も知らずに」
「なにを言うか、何も知らぬ者がなぜ我が国を訪ねて来た!? 指輪を質に入れるような扱いをしておったクセに、なぜそれを持って金をせびりに来るようなことをした?」
「そ、それは、旅の途中で……。いえ、最初金貨十枚でルアン様が買い戻した時にこの指輪は何かあると……、それから国境の街で出会ったご老人がセレスティア公爵家の紋章だと仰って――」
怒った公太子に詰問をされたサラは、唇を震わせ言葉に何回も詰まりながら、おぼつかない説明を繰り返した。
その間、公太子も、妻のエメイラも、そして側に控える侍従でさえ冷ややかな視線でサラを見ていた。彼らにとっては最初からサラは清廉潔白な少女などではなく、その意志があろうが無かろうがセレスティア公爵家、なかでも公太子夫妻をゆすりに来た存在に映っていたのだ。
「ほう、金貨十枚で買い戻したじゃと? あの男がカネを出したと申すのか? なるほど、それではあの男の方が指輪の価値に気づいたというのじゃな。そして男にそそのかされてこの地に来たと……。フンッ、儂には到底信じられん。お主、本当は死んだ母親から何か聞いておろう? それをあの異国の商売人に寝物語にでも話したのであろう? さあ、早く母親から聞いたことを申せ。さすれば手切れ金なり何なり渡してやろう」
「は、母から聞いたことなど……、なにも。ほ、本当に何もございません。私の存在が殿下にとってご不快でしたら、所払いを仰っていただければ、セレスティアから引き払いますが……」
サラにとっては雲上人である公爵家の世継ぎから受ける取り調べは、恐怖以外のなにものでもなかった。確かに自分の父が何者か、そして母親が愛した人物はどういう男性だったのかに興味はある。それは誰しもが持つ自分の血脈へ関心であり、なにも公爵家に取り入ろうという魂胆などサラにあるはずもなかった。
仮に自分が故ソフィリアス殿下の忘れ形見であったとしても、ルアンからもシモン・ガルボからも聞いていたように『庶子であれば相続権はない』はずの自分が、なぜ直接公太子から意味不明の質問を受け、恫喝とも言える扱いを受けなければならないのかがサラにはわからない。こんな恐ろしい目に遭うのならば、庶子とも何とも認めて貰わずともよいのでセレスティアから離れてしまいたかった。
「不快じゃと? フンッ、不快とは申しておらん。素直に儂らの言うことを聞けば、ここに住まわせてやってもよいとすら思うておる。お主、これまで貧乏暮らしをしておったのじゃろう? ここに居て、儂らの言うことを素直に聞いておれば、なに不自由なく住まわせてやろう。どうじゃ、母親からなにか聞いたことを思いだしたか?」
公太子はニヤリと笑いながらサラに問いかけたものの、その目が本当に笑っているようにはサラには見えなかった。それどころかサラの返答次第では再び罵声を浴びせて来そうな気配さえ感じる。
「いえ……、あの、いまは緊張しておりまして、まったくその、気が動転しておりまして、母との会話も思い出せませんので、しばらくご猶予を頂ければと……」
「うむ、そうか。しかればしばらくこの宮殿にて休め。そして母親から何を聞いたかを思い出すがよい。それから厳に申しつけるが、このことは他言無用ぞ。もしも他人に漏らすようなことがあれば……、そうじゃな、あの男の生命は保証できぬのう。商売人など叩けばホコリが出るものじゃ」
ルアンは真っ当な商売人であるけれど、まったく法に触れずに商売をしているということでもない。特に便宜を図って貰うために役人に袖の下を渡している場面もサラは見てきた。誰もがやっていることとはいえ、その罪を公太子に繋がる組織に咎められたらどうなるだろう。
そのことを想像したサラは、ただ震えながら「誰にも漏らしません」と返答をするしかなかった。
<第七章 ――宮廷―― 終わり>




