第45話 離ればなれにされた二人
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「ルアンさん、お疲れ様でしたね。と、申し上げたいところですが、お一人ですか?」
夕刻、シモン・ガルボの邸宅へと報告に戻ったルアンを前にして、シモンはいささか不審な顔でルアンの後ろを覗き込むような素振りをした。朝、この家を出て行った時には彼にぴったりと寄り添っていた赤毛の少女の姿が、どこにも見えなかったからだ。
「ええ、残念ながら一人です」
ルアンが肩をすくめぎこちない笑顔で返事をするのを見て、一瞬シモンは最悪の状況を想像する。指輪を偽物と鑑定されてサラが逮捕、拘禁されたのかと思ったのだ。
「まさか! 指輪が偽物だと言われてサラさんの身柄が!?」
「え? いえいえ違いますよ! 指輪は……。そう、サラの指輪は本物だと認められました。元の持ち主は、亡くなったソフィリアス殿下だというところまで判明して、それから――」
それから宮廷で面会した内務局の役人も、さらには故オラシア大公妃を実際に見たこともある老侍従の人たちも、サラがオラシア大公妃の血筋だとしても何の不思議もない、とサラの顔を見て口々に言ったのだった。
お抱え鑑定人による指輪の鑑定、内務局での尋問にも似た面談、そして老侍従たちによる面通し。サラを巡る環境は一時間毎に激変していったといっても大げさではなかった。ただその手順の良さにルアンの不安はどんどん増していった。あまりにもサラにとって都合のいい風が吹きすぎていると感じたのだ。
二人はもしも指輪が本物であっても、本物と認めるのを公国側は渋るだろうとさえ考えていた。さらには指輪を渋々本物と確認されるとしても何日かは待たされるだろうし、指輪が鑑定された後も相続権のない庶子としてサラが認められるかどうかはまた別のこと。それが朝からのトントン拍子で、若いながらも経験のあるルアンでさえ流されるままに事態が進んでしまったのだった。
前夜サラと話した『厄介払いに手切れ金を貰ってさようなら』という展開とは真逆に、ルアンは――、サラの身柄を宮廷側に預かられてしまったのだった。
「なんと! サラさんはいま宮廷に? なぜです?」
ルアンの説明を一通り聞きながら、サラの身がいま宮廷にあるというところでシモンは驚いて声を荒げた。大商人として公国政府と取引もあり、役所や宮廷といったところが迅速に対応する組織ではないことを、商売人として彼自身も身にしみて知っていたのだ。それが一日のうちでこの素早い対応である、シモンにとってもそれは疑問を通り過ぎて、不審さえ感じるところであった。
「ええ、実は……」
ルアンは昨日通された応接室の同じソファーに座り、隣に誰も座っていないことを再確認する仕草をしながら言葉を繋ぐ。
「実は内務局の部屋で老侍従の方々がサラの顔や姿を確認するようにして部屋を去った後でした、ある夫妻が部屋に入って来られたのです。私などまったく知りもしないことでしたけれど……、それが現在の公太子殿下と妃殿下のお二人とのことでした」
「なんですって!」
腰を浮かすようにしたシモンは先ほどよりも大きな声をあげ、そして大きなため息とともにソファーに深く座り直した。苦虫をかみつぶしたように顔をしかめ、「うーん……」と言ったきり次の言葉も出ない様子。
ルアンはルアンで、公太子夫妻が部屋に入ってきた時の様子を思い出してため息をつき軽く首を振った。
ルアンの記憶によれば、侍従が扉を開け先に入って来たのは太った中年の男だった。深い紫色の衣服を身に纏い、きらびやかな金銀の装飾具で着飾ったその男は無言でグルリと部屋を見回したのだ。それからサラの姿を見つけたのだろうか、まるで汚いものでも見るような目をしながら侍従に何事かを呟いたのだった。侍従はその呟きに何度か頭を下げ、サラの方を指さしながら何事かを二人に説明していた。その間、中年の男も、それから隣で同じような高貴な服を纏った女性も、サラとそしてルアン自身の方を冷たい視線で見つめていたのだった。
「それにしてもどうして公太子夫妻が?」
ようやく絞り出すように質問を投げかけたシモンの言葉に、ルアンは現実に引き戻された。目の前には心配するようなシモンの顔がある。ルアンはシモンを心配させまいと顔の筋肉を動かしたけれど、結局はうまく笑うことはできなかった。
「自分にもよくわからないんですけど、どうやらサラのことが宮廷内で話題になったようで、それで両殿下がいらっしゃったと……」
「話題に? でも今朝からのことでしょう? いくら宮廷の噂話は脚が速いといっても、その日のうちに公太子のところまでとは」
「確かに……、そうですよね」
自分と同じ疑問をシモンが抱えたことにルアンは納得し直し、やはり今日の成り行きはどこかおかしいと一日を振り返り始めた。
「シモンさん。実は私も今日の成り行きはおかしいと感じてはいたのです。失礼ですけど、いくら大商人であるシモン・ガルボさんの紹介があるとはいっても、朝から公室お抱えの鑑定士が我々の到着を待っていることがあるでしょうか?」
「ほう、鑑定士が待っていたのですか? 商務局の中で」
「ええ、商務局の応接室で局長と一緒に鑑定士の男性が我々を待ってくれていました。それから鑑定士による鑑定の結果、本物だと言われて、次に内務局へと回されそこでも内務局長が待っていました。さらには老侍従が何人かやってきて、極めつけが公太子殿下夫妻です。最初からうまく行きすぎていると不安ではあったのですが、なんだか勢いに流されてしまって……」
そこまで一息に喋ったルアンは、テーブルの上のお茶をひとすすり飲んだ。
「シモンさん、考え直してもやっぱりこれってちょっとおかしいですよね」
念を押すようにテーブルの上に身を乗り出したルアンの顔から、完全に笑顔が消える。それを聞いたシモンは目を閉じ、深く息を吐き出した。
「ふーん、そうですな。尋常ではないと言ってよいかも知れません。私の紹介状で商務局長のロウ・ハベル殿が待っていてくれるくらいのことはあるやも知れませんが、その日のうちに鑑定し、内務局に回され、さらには老侍従による面通しまではないでしょう。さらに行き着くところに公太子夫妻とは……。ところで話は戻りますが、なぜサラさんは宮廷に留め置かれたのですか? 誰の指図で?」
「ああ、それはですね、公太子殿下と妃殿下が……、もしかして自分の姪かもしれないのだったら話があるのでここに留まるように、と」
「公太子夫妻が自ら言ったのですか!?」
「ええ、そうです」
ルアンはそう頷いて返事をしながら、やはり汚いものでも見るかのような視線で自分とサラを見ていた公太子夫妻の表情を思い出し、不快感のあまりギュッと拳を握りしめる。
「で、サラさんは宮廷にお一人で?」
「……まあ、そんなところです」
シモンの質問が自分を責めているのではないと分かっていても、サラを一人で宮廷に残してきたことをルアンは今更ながら後ろめたく思っていた。たとえ「あなたは宮廷には泊められません」と侍従に言われたとしても、それならばサラも連れて帰るとなぜ強く言えなかったのかと唇を噛んだのだった。




