第38話 到着
翌朝、少々寝不足気味のルアンと健康そのものに戻ったサラのふたりは、海沿いの街道を通ってセレスティア公国へと向かった。
いまは乾期、空は晴れ渡り今日は一滴の雨さえ降りそうもない。何事もなく進めば夕刻前にはセレスティアに着く予定だった。時々サラが嬉しそうに荷馬車から顔を出し、見え隠れする海の景色を眺めているのに対して、ルアンはやはり寝不足なのか少し眩しそうにしながら荷馬車を御している。
あくびをする度にルアンが思い出すのは昨日の夜のこと。サラの唇が軽く開くたびに漏れる寝息を聞きながら、悶々とした時間を夜半すぎまで過ごしたのだった。
いよいよ今日着く予定のセレスティア公国の領土は狭く、都市国家に毛が生えたようなものではあるが、領域内に大陸有数の銀山を有しており比較的裕福な国家といえた。いまルアン達が進んでいる街道の右手に見える山にその銀山はあり、その銀を使った銀細工や銀製品はセレスティアの名産品であった。銀の燭台や銀の皿、それに技巧を凝らした装飾品など、まさにセレスティアは銀の国といえた。
その銀の国の領主であるセレスティア公爵家にまつわる銀の指輪を、サラは持っている。銀の指輪に施されたセレスティア公爵家の紋章、その指輪の由来についてセレスティアで分かることは何かと、二人は期待半分、不安半分で目的地に向かっていた。
セレスティア領と寺院の自治領との国境は河の上だった。山から流れ下る河に沿ってセレスティアと自治領の国境線が決められ、河に架かる橋の両側に関所がある。毎度のこととはいえ関所で通行料を払い、荷物の検査を受け、二人は昼過ぎにセレスティア領に入った。この関所からセレスティアの中心部までは半日足らず、予定通りの行程にルアンは一応ホッとする。
「ルアン様、セレスティアに着いたら最初にリディルさんの伯父さんっていう人に会うんですよね。どんな人なんでしょうね」
いよいよセレスティア領内に入ったあと、サラは再確認するようにルアンに訊ねた。
「うん、リディルさんから聞いた話だと両替商をしてるらしい。リディルさんのお母さんのお兄さんみたいだし、紹介状も書いてもらってるから安心していいと思うけどね。紹介状にはその指輪のことも書いてあったし」
リディルはその伯父が国の役人と懇意だから頼っていいと言っていた。つまりはセレスティアに縁もゆかりもない自分たちが直接役所なり官憲に乗り込んで、指輪について聞くのは不味いということだ。それほどまでに公爵家の紋章の偽造が大罪なのだとしたら、おそらくはサラの持っている指輪は本物だとルアンは思う。そして本物であればあるだけ、その出所については問題になるだろうということも理解していた。
「ルアン様?」
「ん?」
「あの……、もしこの指輪が本物だとしたら、その持ち主は私の本当のお父さんなのでしょうか?」
午前中まで海を見て喜んでいた様子と違って、サラは不安そうに首飾りを握る。ガラガラと音を立てて進む荷馬車の中、二人が黙れば他に喋る同乗者などいない。
「……そう、だな」
しばらくの沈黙のあと、ルアンはそれだけを言って次の言葉を探した。
その先は、これまでルアンが言いたくても口に出せなかったことだった。いまサラが知らないことをルアンは知っている。それはサラへと繋がるかもしれない赤い髪の系譜のこと。現国公の正妃であったオラシア大公妃、そしてその息子であった前公太子のソフィリアス殿下、いまは亡き二人の系譜に、もしもサラが繋がることがあったのなら――。
リディルは赤毛のことは偶然の確率の方が高いと言っていた。けれどもしそれが偶然ではなくて、紋章の入った指輪と赤い髪の系譜がセットで繋がっていたとしたら。その先はもう考えるまでもない、目の前のサラは紛れもない公爵家の落とし子なのだ。
この大陸の諸国家で庶子にまで王位なり大公位なりの継承権を認めている国を、少なくともルアンは聞いたことがなかった。遙か過去の時代、統一国家がちりぢりに乱れた大動乱の時代ならいざしらず、いま現在ではそれぞれの王室公室は血縁で繋がっている。庶子に継承権を認めれば国が乱れることが分かっている各国は、そうやって王室同士で王権を保ち合っているのだ。
つまりはサラが落とし子であっても継承権などあるはずもなく、公爵家の一員として迎え入れられる可能性は薄いだろう。正式に落とし子と認められても手切れ金として銀貨を渡されて終わり、そんな未来さえ容易に想像ができるのに、ルアンはなぜか自分の心が乱れているのをどうしようもなく自覚する。
「……ルアン様?」
次の言葉を探し続けるルアンのことを不思議に思ったのか、サラが声をかけた。
「ああサラ、ごめん。ちょっと考え込んでた。そうだな、指輪が本物でサラのお父さんが本当の持ち主だったら……」
「だったら?」
「いままで貰ってなかった養育費を、お母さんの代わりに請求してやったらいいのさ」
まったくの本心ではないことを言ったルアンに対して、サラは「まあ!」と、大きく口をあけて驚いた表情をみせる。
「ふふふっ、でもルアン様、それがいいかも知れません。そうしたらルアン様からお借りしている金貨三十枚もすぐに返せますし!」
「ああ三十枚ね。そうだな、十八年間の養育費だからな、金貨百枚でも破格に安いくらいじゃないかな」
ルアンは自らの心の不安を打ち消すようにわざと明るくサラには言ったのだけれど、セレスティアの城壁が近づくにつれて、また言葉数が少なくなってしまったのだった。
△
太陽が西の山並みに沈む前、二人を乗せた荷馬車はセレスティアの中心である城壁の中へと入っていた。城壁内に入る際の簡単な審査を終え、いよいよ目的地であるリディルの伯父さんの家を探す。
ルアンにとっては十数年ぶり、サラにとっては初めてのセレスティア公国。城壁に掲げてあった紋章はサラの指輪とそっくりで、確かに右と左の小鳥の柄が違うだけだった。
「本当に、これと同じ紋章ですね。ルアン様」
サラが首飾りの先を握りしめて言う。
「ああ、本当だな。ここに来てようやく昔のことを思い出したけど、昔々に父親とここを通って城壁内に入ったんだ。なんとなく覚えてるよ」
どこか遠い目をしたルアンの表情に、サラはセリアから聞かされたことを思い出した。ルアンの父親はもう亡くなってる、しかもそれは突然のことだったらしい。
『きっとね、いつかサラちゃんにならルアンは家族のことも全部話すと思うから』
セリアと一緒にお風呂に入った時に聞いた台詞、それを思い出しながら、サラはチラリとルアンの様子を窺った。ルアンは既に遠い目の表情から元に戻り、リディルに書いて貰った地図を頼りに伯父さんの家を探していた。
「……ルアン様?」
「うん?」
「ここ、お父様との思い出の場所なんですね」
サラの口調が悲しげだったからだろうか、少々困惑したルアンの黒い瞳が振り返る。
「サラ、誰かに聞いたの?」
「え? だって、ルアン様がお父様と一緒に来たって」
「いや、違うよ。そうじゃなくて、俺の親父がもういないのを知ってるような口ぶりだったからさ」
「えっと、いえ、なんとなく……、そうかなって」
ウソをつけないサラは咄嗟にセリアを庇って誤魔化したけれど、そんなサラの動揺をルアンが見逃すはずもなかった。
「ああ、そっか。セリアだな、アイツしょうがない」
一瞬ルアンが怒るかと思って身構えたサラの耳に、自嘲気味に笑うルアンの声が聞こえてくる。
「俺が十八のときだったよ、親父が死んだの。いろいろあってね、だから俺は旅に出ている間のほうが気が楽なのさ。あ、ここだ。サラ着いたよ、この家だ」
ニコリと笑いながら、いつものようにルアンがサラの手をとって荷馬車から降ろしてくれる。サラはセリアが言っていたように、いつかルアンが家族のことを言ってくれるまで何も聞かないでおこうと心に決めつつ、その身をルアンに預けて荷馬車から降りたのだった。




