第37話 眠れない胸騒ぎの夜
宿屋のベッドの上でルアンはまだ眠れずにいた。
眠れない理由は二つあり、ひとつは先ほどすれ違った背の低い男の存在が気になっていることと、そしてもうひとつは隣で可愛い寝顔を見せているサラのことだった。
ルアンは男として悩ましい夜をここ数日過ごしている。正直に言ってサラのような女の子と一緒のベッドで寝て、そういう気が起こらない訳ではない。サラが生理になったり体調を崩してから約一週間弱、もうサラを誘ってもいいんじゃないかとルアンの中の悪魔が叫んでいるのは事実だ、――けれど。
「……ん、ううん」
なにやら軽く寝言をいいながらスヤスヤと眠っているサラを見ていると、自分が性欲の塊のように思えてルアンは小さくため息をついた。
「たった一週間、経つか経たないか……、だよなあ」
ルアンは天井に顔を向けてそう呟く。たった一週間も我慢ができないほど自分は意志が弱いのだろうか、それとも隣に寝ているのがサラだから我慢ができないのだろうか。そんな想像で悩むルアンのことなど知らない様子で、またサラが寝言をいいながらルアンの腕にもたれかかってきた。
華奢とはいえサラの柔らかい身体が腕にからまるのを感じて、ますますルアンは眠れない。顔を傾けてサラの寝顔を確認すると、サラは唇を少し開けて完全に安心したような顔で眠っていた。
――半月前。そう、今から半月前にサラと初めて出会った時には、まさかこんなことになるとはルアンも思っていなかった。
いま思い出しても初めて出会ったときのサラの印象は、人形のように感情を表さない女の子だった。それが一夜で打ち解けて、いまでは安心して自分という男の隣で可愛い寝顔を見せてくれている。そんなサラがもしも本当にセレスティア公爵家に関係がある存在だとしたら……。
ルアンはサラの方へと静かに寝返りをうって、その赤みがかった髪を優しく撫でる。数日前セリアの夫であるリディルから聞いた話、『現セレスティア国公の正妃であったオラシア大公妃も赤毛だった、そして小柄で愛らしい女性だった』、そんな話を思い出して、ルアンの心中は揺れる。
可能性としてはごく低いかも知れない。けれど赤毛というのはこの大陸では珍しく、そして血縁的に繋がるのは知られていることだ。母から息子へ、そしてさらにその娘へ……。大公妃から公太子へと伝わった赤毛の血が、セレスティア公爵家の紋章とともにもしかしたらサラまで繋がるとしたら。
バカバカしいとはルアンも思う、思うけれど鼻で笑うこともできない、それどころかセレスティアに近づくにつれて何か胸騒ぎが大きくなっているような気さえする。
「サラ……」
ささやくような小さな声とともに、ルアンはもう一度その赤みがかった髪に軽く触れる。
「キミはいったい――」
そこまで呟いたルアンの脳裏に、今夜みかけた背の低い男の姿がまた蘇る。一瞬目が合ったときに見せた油断のならない目つき、更には一瞬にして人混みに紛れて視界から消える身のこなし。ルアンの胸には別の胸騒ぎが膨らんでいく。
あの背の低い男、今日初めて出会ったのではないとルアンの勘が言っている、絶対に過去のどこかで見かけているはずだと。サラとアデリーを出てから半月、決して気楽に旅を過ごしてきた訳でもなく、ルアンはルアンなりに周囲に気を配っていた。だからこそ不審な男はルアンの目について記憶に残るはずなのに、あの背の低い男をどこで見たのかはっきりと思い出せない自分自身が腹立たしい。
もしも自分たちが監視されているとしたらいったい誰なのか、それはやはりサラがセレスティア公爵家と関係があるからなのか。そんなことを想像するルアンの頭に浮かぶのはマリクの顔。あの自分よりも背が高く、ヒョロリとした痩身の髭男が何かを知っていて、監視しているとすれば合点がいく。金貨十枚のことと考え合わせれば可能性としては非常に高い。
「そうか、あのとき!」
ルアンは思わず少し大きな声を出してしまった。目の前のサラが少し動き「……ん」と、目を覚ましそうになる。
そのときルアンが思い出したのは遙か昔に思えるアデリーでの出来事だった。アデリーで常宿にしている宿屋のところで見かけた背の低い男、服装も被っている帽子も全く違うけれど、あの男の背格好が今日の男によく似ていた。
となると、自分たちがつけられていたのはアデリーからということか? 半月にも渡って尾行まがいのことをしながら、ほとんど気取られないあの男は本職の諜者かもしれない。マリクが言っていた「南へ」という言葉と、監視させているかもしれない状況を考え合わせると、セレスティアに行くのは不味いことなのだろうか。
ルアンの頭がいろいろな想像を働かせていると、もぞもぞとサラの頭がうごいて目を覚ました。
「……ルアン様、眠れないのですか?」
寝起きのサラが薄ぼんやりと鳶色の瞳をルアンにあわせ、小さな声で尋ねる。
「ああ、ごめん。サラ、起こしてしまって」
「いえ、お酒でもお持ちしましょうか?」
半分寝ぼけ眼ながらも気をつかってそんなことを申し出るサラを、ルアンはたまらなく愛おしくなる。
「いや、いい。サラはそのままで寝てたらいいよ、考え事をしてただけだから」
「考え事ですか? えっと……、今日私がカニを食べ過ぎたことですか?」
微睡みながらも無邪気に笑うサラにつられて、ルアンもクスリとしてしまう。
「サラはよほど気に入ったんだな、カニが」
「ええ、これも全部ルアン様のお陰です。ルアン様と一緒に旅をさせて頂いて、海も見ることができましたし、カニも食べることができました。ホントに……、過去に戻って半月前の私に『こんなことになってる』って言っても絶対に信じてもらえないでしょうけど」
「そうかもな。半月前の俺に同じようなことを言っても、とても信じないだろうな」
ルアンはそう言うとサラの身体を優しく抱きしめた。赤みがかった髪から漂う、甘いサラの香りがルアンの欲情を刺激する。布越しとはいえサラの柔らかい身体に触れ続けていると、この先何時間も眠れそうにはない。
我慢するべきか、それともこのままサラに口づけをと、しばらく悩んだルアンの腕の中から、また安らかなサラの寝息が聞こえてきてしまった。
「しょうがない、また今度に……」
サラの髪を二度三度触ったルアンは寝ることに決めたのだったけれど、その今度の機会はかなり先になることを、今の彼は知ることもなかったのだった。




