第4話 サラとルアン
少女とルアンがこの部屋に入ってどれくらいの時間が経ったのだろう。外の祭りの喧噪は、宵が始まった頃に比べてもずいぶんと静かになっていた。
たまに遠くから聞こえてくるのは酔っ払い同士の喧嘩か、もしくは仲間連れの男どもの気勢。そんな部屋の中で少女は異国の青年の胸に頬をうずめ、半分まどろみながら胸から伝わる男の熱量と息づかいを感じていた。
あれから生まれて初めてと、そして二度目の女の喜びを少女は続けざまに経験していた。自分がこんな声を出すのかと自ら疑うほどの甘い声をあげ、ついには思わず爪を立てそうになりながら、必死に青年の身体にしがみついたのだった。こんな姿を彼に見せては恥ずかしいと思えば思うほど、自分の身体が熱くなるのがわかり、気を失う一歩手前の倒錯の中で少女は男の唇を自ら求めた。
疑いようのないことといえば、この夜に少女は初めて本当の意味で女になったことと、心の底からこの異国の青年を愛おしいと感じてしまったことだった。
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一方のルアンは事をなし終え、少女とは少し違う感情を持っていた。それは少し性急に動き過ぎたのだろうかという反省の念であり、自分の欲望をまともにぶつけすぎてしまったかも、という少々の罪悪感もあった。
それは行為の最中のことだった。ルアンが少女の右足を少し力をいれて抱き上げたとき、「痛っ!」と、少女が短い悲鳴をあげたのだ。右足を庇いながら少女が歩いていたことを思い出したルアンは、咄嗟に抱き上げるのをやめたのだけれど、そのときの自分が欲望のままに行動していたことを少しばかり反省したのだった。おそらくこの少女は右膝が悪い、まだ少し腫れが残っていることも手で触っている時にわかっていた、なのに――。と、そんなことを思い出しながら、ルアンは自分の胸に頬を埋める少女の髪を優しく撫でた。
お互いの身体は二度の交わりで汗が浮いており、乾いていたはずのシーツは二度ふたりが愛し合った結果、手で触ってもその湿気がわかるほどにじっとりと濡れていた。
ようやく動く気になったルアンが自らの上半身を持ち上げ、それと同時に少女の華奢な白い身体を抱き寄せる。ランプの炎に映し出された少女の顔は、濡れた鳶色の瞳で甘えるようにルアンを見つめていた。
「ごめんな、えっと、エルテシア。さっきの右膝、痛かっただろ? 俺、わかってたんだけど、ちょっと気が回らなくて」
一瞬少女は何のことかわからないといった表情になり、それから行為の最中のことを思い出したのか、また恥ずかしそうにうつむく。
「いえ、ごめんなさい。大げさに痛がって」
「そんなことないよ。ほら、両方の膝を見比べても右の方が少し腫れが残ってるし」
ルアンはベッドの壁際に背中をつけてもたれかかり、そのまま後ろから抱きかかえるようにして色白の少女を自分の膝の上に乗せた。お互いの汗で身体同士がスルリと滑る感覚が恥ずかしいのだろう、少女の顔が紅潮する。
「ねえ君、エルテシアなんていう縁起の悪い源氏名をつけられて、ひどいよね」
華奢な少女の身体を後ろから抱きしめたまま、ルアンは言った。
「君の赤みがかった髪の色に合わせたんだろうけど、それにしても赤い月なんて気味の悪い名前をつけなくてもいいのに。本当は俺、君のことをエルテシアって呼びたくないんだけど、君の本当の名前はなんていうの?」
そんなことを客に聞かれたのは初めてで、途方に暮れた少女が悩んで首を傾げたままでいると、「俺の名前はルアン。ルアン・イル・ジルって言うんだ。俺のことはルアンって呼んでくれたらいいよ」と、頭の後ろから声が聞こえる。
少女が少し顔を上向きにして後ろを振り返ると、ニッコリと笑った異国の青年の顔が見えた。それをしばらく見つめた少女は、ためらいながらも小さな声で自分の本当の名を告げる。
「私の名前はサラ。……サラ・エルジェ」
「そうか、サラっていうんだ、いい名前だね。エルテシアなんかよりもよっぽどいい名前だ、サラ……」
さっきまで名前も知らなかった男に、「サラ」と本名を呼ばれながら汗ばんだ素肌を抱きすくめられた少女は、胸の奥がギュッと痛くなる感覚をイヤというほど味わってしまう。
「サラはいくつなの? あ、ごめん、女の子に年齢を聞くのは失礼だけどさ、俺はサラのことを二十歳前で、十八くらいかなって思ってたんだけど」
サラの年齢はルアンの言い当てた通り、今年で十八歳だった。言い当てられたサラは少し満足そうに「ええ、当たり、十八です」とうなずいて、後ろから抱きすくめているルアンの方を振り返る。
「俺はいくつに見える?」
ルアンはいたずらっぽく笑うと、振り返ったサラに聞いた。
「えっと……、二十歳くらいかなって……」
「ああ、やっぱりそうか。この国の人たちには童顔にみられるんだなあ」
「もっと歳上なのですか?」
「うん、今年で二十四。ところでサラ、汗をかいて喉も渇いただろ? その水瓶の水は飲めるの?」
サラを後ろから抱きすくめていた腕を外し、ルアンがベッドから降りる。そのまま歩いて水瓶の方へと向かおうとするのを、サラが呼び止めた。
「あの、お客様」
「サラ。お客様じゃなくて、俺はルアン」
「あ、えっと、じゃあルアン……様」
初めて異国の青年をその名前で呼んだサラは、やはり胸の奥がギュッと痛んだ。
「ルアン様……。あの、その水は身体を流したり髪を洗ったりするために貯めている雨水ですので、飲み水はこちらに」
サラもベッドから離れ、右足を少しだけ庇うようにして飲み水の入ったボトル瓶の場所へと向かった。一本のボトルの水を、二人で代わる代わるグラスに注いで水分を補給する。サラは半分ほど水が残ったボトルを胸の前で抱え、ルアンは今自分が飲み干した空のグラスを手に持っている。
お互いに生まれたままの姿で行儀良く向かい合っている光景に気づいた二人は、同時にクスクスと照れ笑いをしはじめた。
「あの、サラ……。もう一回いい?」
グラスをテーブルに置いたルアンが、サラの抱えていたボトルを受け取りながら問いかける。サラは問われた意味を理解するとコクリと頷いて濡れた鳶色の瞳を閉じ、それからつま先立って背伸びをして、甘えるような口づけをルアンに求めたのだった。
三度目は二人ともお互いの本当の名前を呼んで愛し合った。ルアンは少女のことをサラと呼び、サラは恥ずかしそうにルアン様と小さく答える。お互いの名を呼びながらルアンと唇を重ねれば重ねるほど、先ほど感じたサラの胸の痛みは更に広がっていった。
その胸の痛みを無理矢理消すようにサラは泣きながらルアンを求め続け、ルアンはその泣き顔すら愛おしくて、サラを慰めるために抱き合ったまま、赤みがかったサラの髪を何度も優しく撫でたのだった。
やがて体力の限りを尽くした二人の交わりが終わる。いくら若い二人とはいえ、三度も激しい情交を重ねるとさすがに精も根も尽き果てていた。時間はもう既に夜半を過ぎていて、外から祭りの喧噪も聞こえてこない。
そんな静寂の訪れた部屋の中で、サラもルアンもお互いの汗や体液を気にすることもなく、温かい多幸感に包まれたまま抱き合って泥のような眠りに落ちていったのだった。