幕間<サラの発熱 その2>
「ル、ルアン様。あの……昨日と一昨日の私は、熱があったから、あの……すごく嫌なことをルアン様に言ったような……気が。あの……私がヘンなことを言ってたとしてもそれは全然私の本心じゃなくて、ルアン様をそんな風に見ているなんてウソで、だから」
それは先に目が覚めたルアンが宿の食堂に降りて、ひとりで朝食のパンをかじっていた時だった。赤い顔をしたサラが入って来て、朝の挨拶もせずにいきなり言い訳を始めたのだ。
「サラ、おはよう。熱は下がった? それから、えっとそれって、サラが俺の子どもを身ごもったら、とかいってた話?」
「ひいいっ……」
赤みがかった髪の毛以上に真っ赤に染まった顔を両手で覆い、サラはその場にうずくまってしまった。やっぱりあれは全部夢ではなくて、現実にルアンに言っていたことなのだとわかると、どんな顔をしてルアンの目を見たらいいのか、サラには分からなかったのだった。
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一昨日の昼、草原でぼんやりとしていた時から結局サラは発熱をしていた。旅の疲れに生理痛、おまけに体調を崩しての発熱、宿屋に入った時のサラは赤い顔でぐったりとしていた。驚いたルアンは早速商売品である薬草を煎じて飲ませたり、額の濡れた手ぬぐいを取り替えたりとサラを看病した。その時もサラは『私、ルアン様が羨ましいんです』だとか、『ルアン様には私は迷惑ですか』などと、意味のわからないことを寝言のようにルアンに言い、ルアンを困惑させたのだった。
一方のルアンはルアンで彼なりに、サラを看病しながら思うところはあった。ルアンはいい雰囲気になるとサラを誘い、彼女が拒絶をすることもなかったので当然のようにサラを抱いてきた。しかし熱にうなされるサラを見て、果たして自分にそんなことをする権利があるのだろうかと自らを振り返ったのだ。
確かにルアンは自分の金を使ってサラを身請けはした。けれどそれはサラに金を貸しているだけで、サラがルアンの思い通りになる女性という訳ではない。ところが自分はサラと十日以上も一緒に旅をするうちに、この大人しくて優しい少女が自分の思い通りになるものだと勘違いをするようになったのではないか、とスピルスにも言ったような反省に似た感情を持ったのだった。
サラが風邪を引いた原因にしても、もしかすると裸で寝ているときに身体が冷えたのかも知れない。一つの布団で寝ているとどうしても身体の大きなルアンが掛け布団を引っ張り、サラは布団について来るようにしてルアンの腕に抱きついて寝たりしている。布団からはみ出たこともあるだろうけれど、だからといってルアンの布団を横取りするようなサラではない。そんなこんなで涼しい明け方に布団からサラの半身が出て風邪をひいてしまったのではないか、というようなことまでルアンは想像をした。
『サラを守るって言っておきながら、このザマって。俺、やっぱり勘違いしてたんだろうなあ』
ぐっすりと眠るサラの寝顔を見ながら小さく呟いたルアン。サラの身体は十八歳の女の子にしては華奢だ。それは遺伝的に華奢な体格なのかもしれないけれど、ここ数ヶ月のあいだ十分な食事を摂っていなかったことも大きな要因だろう。ルアンは出来るだけ気をつけているつもりだけれど、もしもいまサラが自分の子を身ごもったら――。そんなことを想像すると、さすがに危険日も考えず好き勝手にサラを誘うのはやめようと、ルアンは思うのだった。
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「サラ? そこまで落ち込まなくてもいいよ。ごめんなサラ、そういうのは俺が考えなきゃいけなかったんだろうけど……。とにかく食欲はあるか? スープ貰ってきてやろうか?」
顔を覆ってしゃがみ込んでしまったサラに、ルアンは優しく話しかける。それでもサラはルアンの方を手の隙間からチラチラと窺うだけで、立ち上がってテーブルに着くことが出来ない様子。そんなサラにルアンはクスリと笑いかけ、「サラ、本当に気にしてないから座って。スープを持ってくるから」と言い残して席を立った。
やがて約二日ぶりにテーブルを挟んでの二人の朝食が始まった。サラの目の前にはコーンスープと柔らかめのパン、そして昨日ルアンが煎じてくれた薬草茶が置かれている。
「神のお恵みに感謝いたします……」
いつも通りにジェリエラの神に祈ったサラは、コーンスープから口につけた。昨日ルアンに飲ませてもらったカボチャのスープは味を感じなかったけれど、今朝のスープはちゃんと味がする。ようやく人心地のついたサラは、上目遣いで確かめるようにルアンの方を見た。
「まあサラが元気になってよかったよ」
ニコリと笑いながら話しかけるルアンに、「はい……」とだけ返事をするサラ。
「ああ……、で、さっきの話だけど」
「ひっ」
また変な声を出して、サラは手に持った木のスプーンを落としそうになる。ルアンの言うさっきの話とは間違いなく、子どもを身ごもるとか身ごもらないとかの話に間違いない。一旦普通の色に戻っていたサラの顔が再び真っ赤になった。
「その……、ごめんなサラ。謝る! 許して!」
「へっ?」
今度は気の抜けたような声でサラは返事をした。ルアンがいったい何に謝っているのかがサラにはさっぱり分からない。
「あの、ルアン様。謝るって、何を」
「だから、いろいろだよ。サラが風邪をひいた原因だって多分寝てる時に俺が布団を引っ張って冷えたんだろうし。それからサラが子どもを身ごもることを心配して、俺にあんなことを言ったのだって――」
「あっ! あんなことって!! 私、あんなことって!?」
椅子をキキッと鳴らしてサラが立ち上がる。
「どんな……ことを、ルアン様に?」
上目遣いにルアンを見るサラの目を見て、ルアンはしばらく考え込んだ。ありのままをサラに伝えるべきか、それとも適当に誤魔化すべきか。別にルアンはサラが熱の影響で言ったことをそれほど気にしている訳ではない、けれどこの調子ではサラは気にしている様子。いろいろ考えたルアンは、一昨日から昨日にかけてのことをサラがどれだけ覚えているかを聞いてみることにした。
「サラ、一昨日水辺で休憩したときに泣いたの覚えてる?」
「なっ、泣いた!?」
口をポカンと開け、サラは鳶色の目を見開く。
「ああ、やっぱり覚えてないか。あの時から手が熱いとは思ってたんだよなあ」
背もたれに身を倒しながら天井を見上げるルアン。
「あの……、ルアン様。私、本当にどんなことを言ったのですか……。うっすらと覚えているのは、ルアン様の子どもを身ごもったらどうしましょう、というようなことなのですが……」
ボソボソと呟くように言い終えたあと、ストンと椅子に座り直すサラ。
「まあね、そんなとこだけどね」
頭の黒髪を少し掻きながらルアンはそう答えたものの、『私みたいなのが――』とか、『私は迷惑ですか』などと、サラが言っていた部分は結局伏せることにした。つまるところサラを不安にさせているのはルアン自身であり、自分の力不足がサラを不安にさせているのだと判断したのだった。
「サラは、不安?」
「はい?」
「いや、ごめん、忘れて」
キョトンとしたサラの顔をみると、そんなことを面と向かって確認する自分が馬鹿だとルアンは思い、慌てて言葉を取り消す。熱が下がっていつものサラに戻ったこの子が、『不安で不安でたまらない』などと心の奥底を明かすとは思えなかった。結局は熱にうなされながら弱音を吐いたサラの気持ちは本当で、でもそんな弱い部分を必死に乗り越えてルアンに迷惑をかけまいとしているサラも本当のサラで、つまりはそんなサラを守るといいながら自分は全然守れていないと、最後にルアンは多少自己嫌悪に陥る。
「とにかくサラ、もし身ごもったみたいだったら早く言えよ。俺は、まあ無責任なことはしないし、サラを傷つけるようなことはしたくないし。あとは、俺とするのがイヤだったらイヤってはっきり言ってくれたらいいからな、たとえば、危険日だったりとかして――」
同じようなことをサラに言うのはこれで二回目だな、とルアンが思いながら静かに語っていると、突然テーブルの向こうから大きな声が響いた。
「イ、イヤなんかじゃありませんから!!」
「へ?」
ルアンが顔をあげると、真っ赤な顔をしたサラが立ち上がってルアンの方を見ている。
「わ、私、ルアン様のことをイヤだとか、そんな風に思ったことないです! ルアン様は約束通り優しいですし、いつも私のことを大事にしてくれてますし、よ、夜だって、一緒のベッドで……い、一緒のベッドで」
その瞬間だった、食堂のドアがバタンと大きな音を立てて開く。
「あら~、お嬢ちゃん、熱が下がったのねえ~。ん? でも顔が赤いわねえ。で、一緒のベッドがどうしたの?」
「ひいいいぃ」
「ああ、あばさんおはよう。ありがとう、サラは元気になったみたい」
宿のおかみさんの乱入に、サラは再びしゃがみ込んでしまったのだった。
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「サラ? 怒ってるのか?」
「怒ってません!」
「怒ってるだろ?」
「怒ってなんかいません!!」
宿を出発し、荷馬車で旅を再開し始めた二人。先ほどから同じようなことを繰り返している。
「だってしょうがないだろ、おばさんが急に入って来たんだから。だから、続きが言いたいんだったらここで言っていいよ、って言ってるのに」
しょうがないなと言うようにルアンが肩をすくめるのを見て、サラがまた小さな頬をプックリと膨らませる。
「ほら、やっぱり怒ってる」
「怒ってません! ルアン様は優しいけど意地悪です!!」
「なにそれ、矛盾してるじゃないか」
「ムジュン? またそうやって難しい言葉で誤魔化すんですから」
「え? 矛盾しらない? こっちの大陸では言わないのかなあ。何でも貫く矛と、絶対に貫けない盾を売ってる商人がいてさあ」
「何でも貫く矛と、絶対に貫けない……盾? ですか」
「そうそう。で、その矛と盾を売ってたんだけど、客に言われたのさ、『その矛でその盾を刺したらどうなるのか?』って」
「で、どうなったんですか!?」
「ん~、知らない」
「もう! ルアン様の意地悪!」
セレスティア公国まで、残すところ三日の距離に二人は迫っていた。
そして二人は気がつかなかったことではあるけれど、一人の小柄な男が街を出る二人の荷馬車を無表情で見送っていたのだった。




