第32話 あの子をどうするつもりなんだ
「おいルアン。お前あの子をどうするつもりなんだ?」
テーブルの向こうに座るルアンにスピルスが声をかける。
「あの子って、サラですか?」
「他に誰がいるんだよ」
少々不機嫌そうな声のスピルスに、ルアンは小さなため息で応えた。そんなルアンを見てスピルスも低いため息を出す。
サラとセリアの二人が風呂に入っている間のこと、エルドリカ商店の奥にある部屋にはルアンとスピルスの二人が残っていた。幼少の頃にはエルドリカ家に何度も何度も世話になり、実の子ども同様に扱われたルアンにとってここは第二の実家のようなもの。夕食をとったテーブルも、椅子から見える景色も変わってはいないけれど、ルアンが世話になった叔父さんや叔母さんはもういない。
「なあルアン、あの子、嫁さんにするつもりか?」
炭酸水で割った蒸留酒をガブガブと飲みながら、再びスピルスがルアンに聞く。
「そんな先のこと、わかりませんよ」
ルアンは背もたれに身体を預けながらそう答えた。その視線の先にあるのは東屋のようになっている庭の一部、そこは遠い昔にルアンがセリアからレモンの果汁を掛けられた場所だった。
「そんな先のことって言ったって、お前もう二十四だろ?」
「そういうスピルスさんは今年で二十九じゃないですか? 俺より早く身を固めないと、この家だって今はひとりで住んでるんでしょ?」
「あのな、セリアが片づくまでは俺もおちおち身を固められなかったんだよ」
「ウソばっかり」
「おい! ウソって言うなよ、方便って言え」
そんなことを言い合った二人はどちらからともなくクスクスと笑い出す。ルアンの父が死んで六年が経ち、スピルスの父が死んで二年になった。ルアンが預けられている間、毎日おいしい食事を作ってくれた叔母さん、つまりスピルスやセリアの母親が亡くなったのは四年ほど前。たった十年もしない間に、ルアンやスピルスたちの置かれた環境はすっかりと変わってしまっていた。
「まあセリアが花嫁姿を見せてやれたのが、親父にとっては冥土の土産だったな。相手がお前だったらもっと安心して旅立ったんだろうけど」
「だから――」
「ああ、もう分かってる。だからお前はサラちゃんをどうするつもりだ、って聞いてるんだ。セリアと違ってあの子はその気になりゃあシェルムに連れて帰れるんだろ? あの時はウチの母親も病気だった、そんなウチからセリアを遠くに連れ出すなんてお前には出来やしない、それは俺にも分かってたさ。それが一段落したら今度は親父だ。本当にな、人の縁っていうやつは時期を選ぶんだな」
ガラスのコップに浮かぶ炭酸の粒をぼんやりと眺めながら、スピルスが独り言のように話を続ける。ルアンは椅子に深く座り直し、目の前の葡萄酒に口をつけた。
「なあルアン。あの子に外の世界を見せてやりたいっていうのはウソじゃないだろうけれど、その先に何かアテはあるのか? サラちゃんが自立できたり、どこかで働けたりするまでお前がずっと面倒をみるのか?」
兄のように感じているスピルスの質問に、ルアンは答えあぐねていた。さきほど四人で夕食をとっていた時にはサラ本人がいたのでスピルスも言えなかったことなのだろう、ルアンと二人きりになったスピルスは真面目な顔でルアンの返事を待っている。
「わからないんですよ……」
「ん?」
「いやスピルスさん。本当にね、わからないんです。アデリーでのあの子はジェリスと呼ばれて最低の扱いを受けていました。でも俺にはサラがそんな扱いを受けるような女の子には見えなかった。俺でもジェリスのことは知ってましたよ、とはいっても実際に身近に触れ合ったこともなければ話をしたこともなかったけどね。まあ知らないってことは便利なものだと思いましたよ。だからサラに出会って、サラをそんな状況から救いたいと思ったんですよ、それは本当です。でもね――」
でもそれはルアン自身の独りよがりで、つまりは偽善なんじゃないかと今も心の奥底では思っている。と、ルアンはスピルスに力なく告白をした。最後まで責任を持てるかどうかなんて分からない、それなのにサラを自分のもののように扱っている自分が嫌になる時もある。と続くルアンの台詞に、スピルスは首を横に振りながら肩をすくめる。
「お前、相変わらず妙なところで真面目だなあ……、もっと単純に考えろよ。あの子、身寄りがないんだろ? お前が貰っちまえよ、何か不満か? 美人だし、性格だって素直そうじゃないか。ルアンにはもったいないだろ? いや、お似合いって言ったほうがいいだろうけどよ、ガハハハハ」
笑いながら炭酸水の酒を飲むスピルスに対して、ルアンはクスリともせずに小さなため息をつく。予想以上に深刻そうなルアンの態度を見て、スピルスは目を細めて訊ねた。
「なんだか深刻そうだなルアン。言ってみろよ、お前が本音を言えるのは俺か、セリアだろ? サラちゃんのことだったらセリアには言えないだろうから、俺が聞いてやる。今日あの子を連れて来たのだって、意味があったんだろ?」
そんなふうに訊ねられたルアンはテーブルに残った葡萄酒を一気に飲み干し、そして風呂に行っているふたりの気配を再確認してからスピルスに話をした。
「ひとつはね、言葉の問題ですよ。ウチに連れて帰ったらシェルムの言葉を覚えなきゃいけない」
「そりゃそうだ、でも慣れだろう?」
スピルスの言葉にルアンは軽く頷き、「まあ確かに慣れればね」と、一応肯定はした。しかしその表情は冴えず、スピルスは訝しげにルアンを見つめる。
「それから次の話です。話は二つあって、一つはスピルス兄だから話します。これは絶対にスピルス兄の胸の中だけでとどめておいて下さい」
ルアンがスピルス兄と昔の呼び名で呼ぶのは珍しい。スピルスはルアンの打ち明け話を受け止めるために、椅子に座り直して姿勢を正した。
△
「おいルアン、いまの話、本当か?」
ルアンの話を聞き終えたスピルスが、彼にしては小さく、そして震えるような声で確認をする。
「こんなことでウソをついて、俺になんの利益があります?」
「まあ確かにな」
「因縁って、こういうことでしょうかね。スピルス兄」
深刻な話題になって、初めてルアンが自嘲気味に軽く笑った。そのルアンの笑い顔を見たスピルスもぎこちない微笑みを返す。
「そうだなルアン、さっきも言ったけど、人の縁は不思議なもんだからな。そうか、サラちゃんがなあ。そういえば頬に傷跡みたいなのがあるなあとは思ってたんだ。でも借金のかたに身体を売ってか、嫌だっただろうな。この話は確かにセリアの前では言えんなあ」
「でしょう? だからセリアが帰って来てるって聞いてビックリしたんですよ」
四人で夕食を囲んだ時には、サラとルアンが出会ったのは飲み屋だということにしていた。そこの女給として働いていたサラをルアンが連れ出したのだと。
「まあこっちの話は俺の胸にとどめておくよ。約束する、ルアン。それと、もうひとつの話、それも本当か?」
「それはね、いまのところトキナーで出会った老夫婦の話しか情報がないんですけど、確かに子どものころ俺は見たんです、セレスティア公国の紋章でした。風呂からあがったらサラの首飾りを見て下さい、たぶん本物だと思います。誰かセレスティアに詳しい人がいればもっと話もわかるんですけど……」
半分諦め気分でそんなことを言ったルアンの耳に、スピルスから意外な返事が聞こえてくる。
「いるぞ」
「え?」
「セレスティアに詳しい奴なら身近にいる。本人はセレスティア人じゃないけど、母親がセレスティア人で、そいつ本人もセレスティアと商売をしてるからよく知ってるはずだ」
よほどの確信があるのか、スピルスは何度も自分で頷きながらルアンの目を見つめた。
「誰です?」
「うん、それはな……」
と、スピルスが口を開きかけたときだった。玄関兼店の入り口の方から男の声が聞こえてきたのだ。その声はルアンよりもさらに優しげで、男にしてはすこし高い声色だった。
「すいませ~ん、セリア、来てますよね……」
その声を聞いたスピルスが店の入り口の方を向いてニヤリと笑う。
「お迎えに来たな。彼だよ、セレスティアに詳しいやつは」
「え、誰なんですか?」
ルアンもつられて店の入り口の方を見る。
「リディルだよ。セリアの優しい旦那のお迎えだ」
そう言って軽くウインクをするスピルスを、ルアンはちょっと気色悪そうに眺めたのだった。




