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第3話 少女

「これって、全部ここで付けられた痣や傷?」


 華奢な少女の身体はベッドへと倒され、仄暗いランプの下でもハッキリとわかる傷や痣のことをルアンに聞かれた。ベッドの周りには今まで二人が着ていた衣服が乱雑に散らばっていて、窓の外からは祭りの夜の喧噪が漏れ聞こえてくる。


 身体のことを聞かれた少女はコクリと頷き、静かに鳶色の瞳を閉じた。優しく抱きかかえられるようにベッドに倒されるときの感触や今までの会話から、この客人は乱暴な人ではないと思ってはいたものの、見知らぬ異国の男性のことを少女はまだ完全には信用しきれずにいた。


 △


 それは今から三ヶ月前のことだった。疫病で母親を失った少女は身寄りも無くなり、まさに天涯孤独となった。無理をして借りていた母親の薬代や生活費の借金は、少女に一括返済できる金額ではなくなっていて、その借金のかたに少女は妓館で働かされることとになった。


 妓女は借金を返すのには一番手っ取り早い職業であったとはいえ、いわゆるジェリスと蔑まれていた少女にとって、その商売は決してまともな精神では耐えられるものではなかった。


 最初の客は、でっぷりと太り赤みがかった顔をした泥酔客だった。客は酒臭い息を吐き出しながら少女と一緒に部屋に入るやいなや、いきなり少女を投げ飛ばすように乱暴にベッドへと放った。押し倒され、思わず抵抗をした少女の顔を泥酔客は何のためらいもなくいきなり殴った。生まれて初めて男に殴られた少女の意識は飛び飛びになり、気がつけば裸のまま部屋の隅に転がされていたのだった。その泥酔客は既にベッドでいびきをかいて寝ており、少女は殴られた身体の痛みと初めてを奪われた下半身の痛みに耐えながら、冷たい板張りの床の上で夜を明かした。


 それから三ヶ月の間、決まって粗野な客の相手をした少女ではあったけれど、ほとんどすべての男はジェリスである少女に対して性欲の解消だけにはとどまらない態度をとった。


 今でも残る頬の傷をつけたのは五人目の客で、パイプを口にくわえ、一見ニコニコとした笑顔の裏には嗜虐的な性格を隠していた。


 男たちは少女を抱いて自分の性欲を満たしながら、一方ではジェリスの女を抱いている自分を正当化するように、たえず少女を虐げたのだった。


 この妓館に入って三ヶ月の間というもの、客を取った夜に少女が客と同じ布団で一夜を明かすこともなければ、部屋で酒や食事をともにすることもなかった。どの客もどの客も行為を済ませれば、「ベッドから出ろ、このジェリスめ」と少女を布団から蹴って、冷たい板の上に放り出したのだった。


 客を取れない日は一日中妓館の下働きに追い回され休息も取れず、客を取れば取ったで暴行まがいの仕打ちを受けて満足に布団で寝ることも出来ない。そんな少女の辛い心を支えたのは、ジェリエラの教えへの信仰心だった。


 自らの命を自らで絶つことは罪、人を恨むことも罪、もちろん人を傷つけることや、他人の命を奪うことは重罪。全ては神様のお導きとして自分に清く生きよ。そんな教えを守ってはいても果てしなく続く絶望の日々に、少女の人としての感情は少しずつ失われていった。


 そして半月前、いつものように感情を押し殺して接客をしていると、その態度が気に食わなかったのか、大男の客に今までで一番の折檻を受けた。何度も失神するほど首を絞められ、「舐めやがって!」と、隠し持っていた警棒のようなもので至る所を殴打されたのだ。さすがに尋常ではない叫び声が妓館の外に漏れたため、店の男が止めに入ったものの、無理矢理ひねられた右膝は悲鳴をあげて、全身には青痣が残った。


 △


「そうか、傷はやっぱり全部この店でね。可哀想に……、まあ今日は心配しなくていいからさ」


 この三ヶ月間を思い出していた少女の耳に、ルアンの穏やかな声が響く。全身の傷がようやく癒え始めて少女が客を取るのは半月振り。呼び込みの男が言っていたように、異国人も多く集まるこの夜、少女は初めて異国の男性の相手をすることとなったのだった。


「君はどうして欲しい? この先は普通でいい?」


 優しくルアンに身体を抱きしめられながらそう言われても、少女にとっては何が普通の男女の営みなのかが分からなかった。


 いままでの半分の男は、まだ少女が何の準備も出来ていないうちに無理矢理行為に及び、残りの半分は性行為そのものよりもジェリスである女を折檻して楽しんでいる様子であった。その中で少女はひどく痛がったり、無理に抵抗したりすれば、ますます男たちを昂ぶらせることに気づいた。だから、あえて感情を表に出さないようにして身を守ってきたつもりではあったのだけれど……。


 何も返事が出来ない少女の顔を、ルアンの漆黒の目が不思議そうに覗き込む。そのルアンの手は先ほどから赤みがかった少女の髪を優しく撫でていて、時折右耳から頬へと伸びる傷を「可哀想に」と言いながら指先で触れる。


「普通でいい?」


 二度目にそう聞かれた少女は、結局青年の言う普通というものが分からないままでコクリと頷いた。おそらくこの異国の男性の言う普通のことが、これまで経験したことのない普通の男女の営みになるのだろうと、少しだけ安心をして。


「じゃあ嫌だったら、そう言って」


 そんなことを言われるが早いか、少女はルアンに唇を塞がれた。それは初めてのことだった。ジェリスの女と口づけをしようとする男などは、同じジェリエラを信仰する男以外には、この国のどこにもいなかったのだ。口づけは大切な求愛の行為で、この国では妓館の女ですら本当に心を許した上客にしかさせないものだった。驚いた少女が思わず身をギュッと硬くすると、あわてたルアンが唇を離して問いかける。


「ごめん、嫌だった?」


「いえ……」


 そう小さく呟いた少女は、再び静かに鳶色の目を閉じる。少女にとって初めて唇を交わしたことで、今まで微かに残っていた異国の男性への不安感は急速に薄れていった。


 自分の身体が妓女としては貧弱で、決して男を満足させられるものではないことを少女は自覚していた。それは今までの客に散々文句を言われながら小さな胸を荒々しく掴まれたり、棒きれのような脚だと叩かれたりしたことで少女の心に刻まれた、いわば心の疵でもあった。


 ところがいま少女を抱きしめている異国の男性は、小さな胸も、細身の脚も、身体中すべてを愛おしげに優しく手で触れている。今までそんな扱いを受けたことのなかった少女にとって、自分を愛おしげに抱いている男が本当に不思議な存在に思えてきた。


 閉じていた目を開けると、目の前にはその異国人の瞳がある。揺れるランプに照らされた漆黒の瞳にまっすぐ見つめられた少女は、思わずうろたえて目を逸らしてしまった。


 恥ずかしい。そんな感情をこのベッドの上で覚えるのは生まれて初めてのこと。今までこの妓女という生業をしながらの三ヶ月、客である異性に対しては怖いとか、嫌だという感情しか持っていなかった少女にとって、恥ずかしいなどという気持ちをどうすればいいのか、その答えを知っているはずもなかった。


 少女の身体の変化を感じ取ったルアンは、何度も優しく口づけを交わしながらゆっくりと身を重ねていく。やがて温かく瑞々しいものにルアンは包み込まれ、そして少女の口からは甘くて切ない吐息が自然と漏れ始めたのだった。

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