第28話 レモンの人
「サラ? 本当に大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですっ!!」
「でも、髪の毛に干し草がまだ付いてるぞ」
ルアンにそう言われたサラは慌てて自分の髪を手で梳いた。赤みがかったサラの髪にはまだ干し草の切れ端がくっ付いていて、手で梳く度にポロポロと落ちていく。サラはルアンの目から隠れるようにして、髪の毛と肩についた干し草を取っていった。
先ほど服の裾を踏んで干し草に飛び込んだところを、ルアンにも役人の男にも見られ、特に役人の男二人には吹き出して笑われた。お嬢さんではなく「お嬢ちゃん」などと役人にはからかわれるわ、大きく開けていた口の中にも干し草が入ってくるわで、サラは穴があったら入りたい気持ちになる。その口に入った干し草を、人前でペッと唾を飛ばすように出すわけにも行かず、かといってそのまま飲み込む訳にもいかず、サラは真っ赤な顔をして荷馬車から降り、物陰に隠れて口の中の干し草を出したのだった。
そして、その役人による荷物の検査が終わったのが五分前。いま二人を乗せた荷馬車はレブラルタの城壁の中に入り、例の『レモンの人』のところへと向かっているのだが――。
サラはチラチラとルアンの方を窺いながら、自分の髪にも服にも干し草が残っていないことを確認した。南国の日差しはレブラルタの街を照りつけて、人々の生活を生き生きと映し出している。サラの目に映るのはアデリーでは見かけない珍しい果物や野菜などを売る店、それから変わった柄の生地を並べている織物屋。耳に聞こえるのはますます強くなっている南方訛りで、鼻で感じるのはなんだかよく分からない料理の匂いだろうか……。とにかくサラは自分が異国に来たのだと、外を見ながら実感していた。
荷馬車の中から立ち並ぶ商店の数々を見ていたサラの耳に、ルアンの声が届く。
「サラ、もうすぐだから」
「え?」
「いや、もうすぐ着くから。準備してて」
「あ、はいっ」
サラは忘れていた訳ではないけれど、『レモンの人』のことを考えたくなかったのかもしれない。いよいよ得意先である『レモンの人』のところに着くのかと思うと、サラの胸のモヤモヤが蘇ってきた。準備してて、などとルアンに言われてもサラが出来るのは心の準備くらいのもの、もしかしたらルアンは「心の準備をしろ」と言いたかったのではないかと疑うくらいだ。
そっと荷馬車から外の様子を窺うと、段々と荷馬車の速度が落ちてきて、一つの商店の前で止まった。看板に書いてある文字は大陸公用語なのでサラにも読める。看板には『エルドリカ商店』と書いてあり、香料・薬草の文字も横には見受けられた。この旅でルアンの商売を手伝ったこともあるサラには見慣れた店構えで、薬草などが入っている木箱なども同じような作りだった。
「着いたよ、サラ」
ルアンはサラの方を向いてそう言い、荷馬車を降りた。そして店先にある柱に馬を繋ぐと、店の奥の方へと声をかける。
「スピルスさん! お久しぶりです。ルアンです、ルアン・イル・ジルです」
サラも続いて荷馬車を降り、用心深くルアンの背中に隠れるようにして店の奥を覗く。明るい南国の日差しの中から奥を覗くと、サラの目が慣れるまで店内が薄暗く映る。サラの目の見える範囲でエルドリカ商店の中は誰もいなかった。外は明るいのに誰も居ないというのは、少々不気味に感じるものだ。「おかしいな……、いないことはないと思うんだけど。すいませ~ん、スピルスさ~ん!」などと言うルアンの服の裾をなんとなくサラが掴んだ時だった。
「おう! ルアンか? いま調合してるから、こっちに来い!」
いつも聞き慣れているルアンの優しい声色とは違って、低く地鳴りかと思うようなドスの利いた声が店に響いた。
「ひっ!」
サラがルアンの裾を思い切り引くのと、ルアンが動き出すのが重なり、サラは服の裾に引っ張られてまたつんのめりそうになる。
「サラ、大丈夫だよ、今の声は店主のスピルスさん。まあ怖い声をしてるけど、見た感じは……やっぱり怖いかな、ハハ」
「ルアンッ! 聞こえてるぞ! それより誰か一緒にいるのか?」
再び奥の方から地響きのような大きな声が響く。二回目とはいえやっぱりサラはビクリとしてしまう。
「スピルスさん、地獄耳ですか? だったら最初の挨拶で返事をして下さいよ。大丈夫、サラ、怖い人だけど怖くないから」
そんなよく分からないルアンの説明を聞いたサラは、恐る恐るルアンの服の裾をつまみながら薄暗い店の奥へと進んだ。薬草や香料が並んだ棚を過ぎると帳場があり、その隣に人がひとり通れる程の通路が続いている。通路の奥が明るくなっているところを見ると、そこには自然光が入る窓があるのだろうか? そんな疑問を感じながらサラがルアンの後ろに続くと、突然その明るくなっている場所に大きな人影がヌッと現れた。人影がヌッと現れただけならサラも悲鳴を上げなかったかもしれない、けれどその人影はサラを見た瞬間、「オオオッ!」と野獣のような声をあげたのだ。
「ひいいいっっ、ル、ルアン様……」
腰が抜けたようにルアンの服の裾を持ったままへたり込むサラ。その涙目になった鳶色の瞳に映っているのは、縦も横もルアンの倍くらいありそうなひげ面の大男。
「もうスピルスさん、脅かさないで下さいよ。いつも言ってるでしょ、声が大きいんですから」
「おいルアン! 脅かすも何もあるか、女連れとはどういうことだ!? 俺は聞いてねえぞ、ああ? どういうことだ!?」
「だから、説明する前にスピルスさんが大声出したからサラが腰を抜かして――」
「サラ? その子はサラっていうのか? なんだ華奢な子だなあ。お前こういう子が好きだったのか? そうか、だからセリアのことを断ったんだなお前。確かにアイツは女にしちゃあ背がでかいし、お前より歳はひとつ上だし……」
「ちょ、ちょっとなに言ってるんですか! 昔からここに来る度にセリアに酷い目に合わされてたのは俺なんですよ。子どもの頃から背が大きかったセリアにずっと下僕みたいに扱われてたんですから! 知ってるでしょ」
「ああ、知ってるさ。だからセリアみたいな跳ね返り娘じゃなくて、その子みたいな大人しそうな子を選んだんだろ? ルアン」
「ス、スピルスさん、なっ、なにを言って」
へたり込んだサラの目の前で、タジタジとなりながら必死にセリアなる女性のことを否定するルアン。当然サラにはそのセリアなる女性はまったく知らない存在だったのだけれど、心の中では「レモンの人」とセリアなる女性がすっかりと繋がっていたのだった。




