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第26話 サラのお父さん

「サラのお父さん」


「私の死んだお父さん」


 二人は特に叫んだ訳でもなく、かといって嬉しそうに言った訳でもない。ただサラもルアンも、なんとなく気まずい雰囲気を漂わせてその人物の名をあげた。


「ルアン様。やっぱり、そうでしょうか?」


「わからない、でも多分状況的に本当の指輪の持ち主はそうなんだろうなって思うし、サラのお父さんってもしかして……」


 若い二人が三たび黙ってしまうのを見て、老夫婦は顔を見合わせる。なにやら触れてはいけない話題に触れたような気がした老夫婦ではあったけれど、このまま話を終わらせていいとは思えなかった。


「サラさん。お嬢さんはアデリーの人じゃったのう、するとお母さんもアデリーに住んでいらっしゃったのか?」


「はい、私の知っている限りではずっとアデリーで」


「それで失礼じゃが、お母さんは何をされておったのかのう? いや言いたくなければ言わんでもよろしい。しかし、わざわざお母さんがセレスティアに行かれたことがあるとは私にも思えん。逆に、セレスティアの人間がアデリーに行くことは……あるやも知れんが」


 老紳士が親身になって話を聞こうとする様子が、サラにはよく理解できた。少なくともセレスティア公国についてはサラよりも老紳士の方がよく知っているし、これまでの長い人生経験もある。サラは踊り子であった母親の若い頃から、サラを産み育てて疫病で亡くなるまでの話を思い切って老夫婦に語った。サラの話に老夫婦二人は涙ぐみ、「いいお母さんじゃったなあ」とサラを何度も慰めたのだった。


 サラの話を聞き終えた老紳士は深く長いため息をついたあと、ゆっくりと茶を飲み干して自説を語り始める。


「おそらく――」


 おもむろに老紳士がそう切り出した話は、サラにも、そしてルアンにも頭の片隅にはあったことではあった。けれど、まさかという思いで二人とも口には出せないことだった。しかし今、それを第三者である老紳士に語られるとそれが事実、もしくは確率の高い事象であると言わざるをえなかった。


「おそらく――、サラさんの父親はセレスティア公爵家に関わりのある人物なのじゃろうのう。公爵家の誰とはわからんが、セレスティア公爵家の人物がアデリーを訪れたとしても何の不思議もない。なにしろ大国テルム王国の第二の都市じゃからな。公的な行事で訪れたとしても、お忍びで行ったとしても……のう」


「お忍びで、ですか? そして、そこで……」


「サラのお母さんと出会った。踊り子だったサラのお母さんと」


 二人の言葉に老紳士は「まあ、人気の踊り子にはたまにあることじゃ」と、首を縦に振る。


「そこから先はもう十何年も前の話じゃ。サラさんを見ればわかる、サラさんのお母さんは若くて美人じゃったんじゃろう、そしてお相手の男性も若かったんじゃないかと思う。指輪を、そう大事な指輪をお母さんの手元に置いていったということは、その男性も一夜限りとは思っておらなんだように、私にはそう思えて仕方がないがのう」


 老紳士はゆっくりと瞼を閉じて、まるで過去を見てきたかのように二人に話をしたのだった。



 △



「眠れないのですか? ルアン様」


 夜も更けた宿のベッドの上で、何度も寝返りをうつルアンにサラが小さく声を掛ける。


「うん、まあ。でもそう言うサラだって寝付けてないだろ?」


 クスリと笑いながらルアンはサラの裸体を引き寄せ、ゆっくりと抱きしめた。


 一日中荷馬車で旅をして、そして夜ベッドの上で愛し合えば、普段なら二人とも疲れ果ててすぐに寝入ってしまうはずだった。ところが今夜はサラもルアンも眠れない、原因はもちろん夕食の時の話題。老夫婦から語られた銀の指輪についての話が、二人そろって頭から離れないのだった。


「サラ、起きて少し蜂蜜酒でも飲もうか」


 ルアンがサラの赤みがかった髪を優しく撫でながら言うと、サラはコクリと頷いた。


「私、取ってきます」


 薄い上掛け布団からスルリと抜け出たサラが、蜂蜜酒の入っている陶器の瓶を用意する。ランプの炎に照らされた白い裸体は傷や青痣もあまり目立たなくなっていて、サラ本来の綺麗な肌をルアンの前に晒していた。


 首筋を隠す程度の短めの髪、ほっそりとした肩と背中、そして強く抱きしめると折れてしまうのではないかとルアンが思うほどの細腰。陶器の瓶を持って少し恥ずかしそうに微笑むその姿は、本当に穢れを知らない少女そのものだった。さっきまでルアンの腕の中で蕩けるような甘い声をあげ続け、濡れた鳶色の瞳で口づけを求めていたサラ。そのサラと、いま陶器の瓶から小さなコップへと蜂蜜酒を注いでいるサラが、本当に同一人物なのだろうかと一瞬ルアンは不思議な感覚にとらわれる。


「女の子は不思議だな……」


「え?」


 ポツリと呟いたルアンの言葉が耳に届いたのだろう、サラが陶器の瓶を置いてこちらを振り向いた。その表情は普段と変わらず、まだ多少の幼さを残した目でルアンを見つめている。


「いや、サラは美人だなって言ったのさ」


「ウソ、ルアン様! からかうのはやめてください」


 サラは少し頬を膨らませ、コップを二つ手に持ってベッドに帰って来た。その一つをルアンに渡し、そして残った一つを両手で包んで蜂蜜酒を温めるように胸の前に捧げる。


「でもさ、あのお爺さんだって言ってただろ? サラを見てればお母さんが美人だったのはわかる、って」


「もう、ルアン様は知らないだけです。私はお母さんとは全然似てません。お母さんの方が背だってもっと高かったし、目の色も髪の色も違っています。それにお母さんは体つきも女性らしくて、運動神経も良かったから踊り子で人気だったみたいで……」


 寂しげに、そして少しだけ羨ましそうにサラが言う。


「ふ~ん、じゃあサラはお父さんの方に似てるんだ?」


 相づちを打つように何気なくルアンが返すと、サラはちょっと驚いたように顔をあげ、そして小さく頷いた。


「ええ、お母さんはいつも『あなたはお父さんの血が濃くでているの』って私に言ってました、それも、なぜか少し嬉しそうに……です」


 最後はちょっと肩をすくめる仕草をするサラ。そんなサラの心の中が分かったルアンは、コップの蜂蜜酒を飲み干して微笑みながらサラに言う。


「それ、たぶんサラを見て、好きだったお父さんのことを思い出してたんだろうなあ。サラのお母さん」


「私もそうだと思います。きっと、髪の色とかも赤かったんじゃないかなとか、目の色だって私みたいな目の色だったんじゃないかなって、いつ頃からか私も思ってました。結局、お母さんには言えませんでしたけど」


 そこまで喋ったサラもルアンと同じように蜂蜜酒を飲み干して、ルアンの方を向いて笑いかけた。


「ねえルアン様。指輪の件で、本当にセレスティア公国に行っていいのでしょうか?」


 少し視線を下に落としながら、サラは眠れない原因になっている指輪の話を切り出す。


 今夜の別れ際に老夫婦から、セレスティア公国に行ってみたら、とサラとルアンは提案を受けていたのだった。行ってみて何かがわかるという確証はない、けれどサラの気持ちの中には行ってみたい気持ちと、行くのが怖い気持ちが半々で揺れているのだ。そんな不安な気持ちを吐露するように、サラは隣に座るルアンの肩に頭を預ける。


「そうだな、行って後悔するか、行かないで後悔するか、どっちがいいかっていう話だよな。行かなかったら確実に後悔しそうだけど、セレスティアに行ったらどんな後悔があるかなあ」


「もしかして、お父さんがセレスティアでまだ生きてて、お母さんのことなんて完全に忘れてるとか……」


 最後の方は消え入りそうな声になってサラが小さなため息をつく。


「う~ん、どうかな。それよりも俺が気になるのはアノ男のことさ」


「アノ男?」


「ああ、巻き帽子にひげ面のアノ男」


「巻き帽子に……ひげ面……、ああ、マリク!」


 サラはマリクに髪を触られ『傷物』などと言われたことを思い出し、ちょっと嫌そうな表情になる。


「そうマリク。それも本当の名前かどうか分からないけど、とにかくアイツは指輪について何かを知っていると、俺は思ってたんだ。アイツが金貨十枚でも安いとかなんとか言っていたのは、もしかしたら本当のことなんだろうな」


 と、ルアンはサラの首にかかっている首飾りを手に持ち、その先の指輪を手のひらに載せた。向かい合う小鳥の紋様さえ無ければ、なんの変哲もない銀の指輪。今から考えれば、自分はマリクに上手く操られているような気さえルアンはしてくる。


「そういえば……」


「え?」


「そういえばアイツ、『俺なら南に向かう』とか言ってたな。あの時はなぜ南と思ったよ、でもアデリーからみて南にはセレスティア公国がある。俺たちは真南に下ったけれど、南西に行けばセレスティアだ。そうか、絶対アイツはなにか知ってる、この指輪のことも、それからセレスティアのことも」


 自分の胸の前で指輪をギュッと握りしめるルアンを見て、サラはどこか不安な気持ちになった。本当にあのマリクという男が何かを知っていたとしても、それを無視したほうがいいのではないかとさえ思えてくる。


「ルアン様。私、なんだか怖いです。自分のことを知るのが……」


「サラ、大丈夫。俺がサラを守るから」


 ふたたびルアンに優しく抱かれ、二人が疲れ果てて眠るまでの数十分。サラはだたひたすらルアンの優しさに身を委ね、セレスティアに行くことの不安を心の中から追い出そうとしたのだった。


<第四章 ――国境の街―― 終わり>

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