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第21話 関所の街

 街道に吹く風の暖かさに加えて肌に感じられる湿気、サラはずいぶんと南の地方に来たことをそんなことでも実感する。バルクの村で騒動を起こしてから四日、つまりアデリーの街を出てからもう一週間が経とうとしていた。


 今日の夕方には関所のある街、トキナーに二人は着く予定だった。そこを通っていよいよ明日には別の国に行くのかと思うと、サラの胸には不安が三割、期待が七割くらいの感情が湧いてくる。


 不安なこととは言葉の話。まだまだ大陸公用語が使えるとはいっても昨日あたりから南方訛りが強くなっていて、特に早口で言われると多少聞き取りづらい部分もある。ルアンに聞くと、この先海に出るまでは全然大丈夫とのことだったけれど、それは商売で各地を巡るルアンだからこそ言葉が大丈夫なのではないかと、サラは多少不安になる。


 そして一方の期待とは――、それはサラがジェリスであることを周囲があまり気にしなくなっていることだった。


「サラ、昨日の夜はモテモテだったじゃないか」


「え? えっと……。う~ん、ホントですね」


 サラは荷馬車を操るルアンの表情が微妙に不満げなのが可笑しくて、つい吹き出しそうになった。


「まあ、サラはあのくらいモテて当然なんだけどな、美人だから。でもこんなことなら、やっぱり逆の意味でサラに男装をさせるべきだったか……」


「もう、やめてくださいよルアン様!」


 美人、などと言われてサラに不満などあるはずもない。けれど、確かに一昨日くらいからサラに対する地元民の扱いが変わってはきていた。今から振り返ると騒動を起こしたバルクの村、そして次に泊まった町、あのあたりが一番ジェリスであるサラを見る目が厳しかったように思える。


 小さな峠を荷馬車で越えて、一昨日に泊まった町あたりからサラに対する偏見が薄らいでいった。そしてもう昨日の夜には、夕食をとった酒場でサラはモテモテになっていたのだった。明らかに酔っ払いの迷惑客もいたけれど、それでもサラのことを口汚く罵るような男は皆無で、「お嬢ちゃん、ここの名物だからこれを食べな」だとか、「いや嬢ちゃんこれの方が美味い」などと頼みもしない料理がサラの前には並べられていったのだ。


「まあ、だんだん南に行くほど庶民も開放的になるからな。でもサラ、気をつけろよ、言い寄ってくる男には絶対に下心があるんだから」


 真面目な顔をしてサラの方を振り向くルアンに対して、今度は我慢が出来ずにサラは吹き出してしまった。


「ふふっ、なんだかルアン様は下心も何もない男の人みたいですね!」


「なっ……、ハァ。あるよっ! あります! ボクは下心だらけの男です! 下心だけでサラを連れ出したイヤらしい男です! これでいいか!?」


「アハハハ、ウソウソ。ルアン様は優しいですよ、全然イヤらしいなんて思ってませんから」


 二人は若くて、そしてお互いに好意を持っている。そんな二人が安心して泊まれる町に宿泊し、酒の一杯や二杯を飲んで緊張もほぐれると、宿に帰ってすることは決まっていた。サラにしてみると、ルアンは出会った時から変わらぬ態度で十分に優しく自分を抱いてくれて、朝までルアンの温かさに包まれて眠る夜は至福の時だった。


 サラが自分では多少引け目に思っている赤みがかった髪も華奢な身体も、そして薄くなってきているとはいえ頬の傷のことも、ルアンは「全然気にしない」と笑ってくれるのだ。そんなルアンに身体を求められてイヤらしいなどとサラが思うはずもなく、今はただあの生活から救い出してくれたルアンに感謝をするだけだった。


「ねえルアン様。ルアン様はいったいどのくらいの言葉を話せるんですか? ここから海までは大陸公用語が使えるって仰いますけど、その先は違う言葉なんでしょう?」


 御者台で荷馬車を操るルアンはシェルムから来ている商売人。母国語としては普通にシェルムの言葉を扱うのだろうし、それ以外にもここまで通過する国々の言葉を話せるはずだ。サラにしてみるとルアンに対してそんな事を思うのは当然なのだった。


「そうだなあ、四つ……かな。読むだけなら五つ、話せるっていっても似通った言葉もあるし。でも、海の向こうに行っても商売人は大陸公用語を使うこともあるよ。俺だって母国語以外なら大陸公用語が一番話せるし。まあさすがにウチの国に戻ったら大陸公用語を話せるのは、俺たちみたいな貿易商だけだけどね」


「海の向こうかあ……。私、生まれてから海って見たことがないんです。海の水は塩辛いって本当ですか、ルアン様」


 サラの素朴な質問にルアンはクスリと笑う。


「ああ塩辛いよ。それに海の魚は川魚より臭みが無くて美味いんだ、あとは魚以外にもエビとかカニとかも海で獲れるほうが美味いかな」


「エビ……とか、カニって何ですか?」


「ああサラは川エビも食べたことが無いのか。いいよ、海まで行ったら食べさせてあげる。俺は焼いて食べるのが一番好きだけどな」


「焼いて、食べるんですか……」


 川エビすら食べたことのないサラにとっては、海のエビやカニなどは想像もつかないのは当たり前。ルアンの話しぶりからするとどうやら魚ではないらしいというのは理解できるのだけれど、いったいどういう姿形をしているのかが思い浮かばない。


 小首を傾げて考え込むサラの様子を可愛いと思ったのか、今度はルアンが吹き出しそうな笑顔を御者台で見せた。


「まあ海まではまだ先だし、とりあえず今日は関所を通らないとな。別に麻薬や武器を運んでる訳でもないから気にすることもないんだけど、通行税を取られるのが痛いよ」


「高いんですか?」


「まあね、あとはコレ次第」


 そう言ってルアンが指で丸をつくり、続いてそれを懐に入れる仕草をする。それがいわゆる役人への賄賂だと察したサラは、呆れたような顔をして肩をすくめた。


 この旅の途中でも、いろいろと便宜のお礼にルアンが袖の下を出すところをサラは見ていた。サラは今まで商売などしたこともなく、十八になるまで働いた経験は裁縫と妓館だけ。それだけに自分より六歳年上のルアンが一人で商売をしている様を目の前で見ていると、自分にはこの先なにが出来るのだろうとサラは時々漠然と思うのだった。


「今日の街はそこそこ大きいから古着屋だってあったはずなんだ。だからもう少し涼しげな服をサラに買うよ」


 少し物思いに耽っていたサラがルアンの言葉を聞き、そして黙って見返す。綺麗な鳶色の目が「涼しげな服ってなんのこと?」とルアンに問いかけている。


「えっと、私はこの服とまだ他にもう一着買って頂いているので、それで十分ですが……」


「ああ、その服はもうすぐ暑くて着られないよ、サラ。この関所を通って山を越えたら気候が変わる。もっと薄い生地の服にしないと暑くて疲れちゃう」


「そうなんですか」


 また不思議そうに首を傾けて考え込むサラの可愛い姿を見て、ルアンは今すぐ抱きしめたいと思いながらも手綱を離すわけにもいかず、小さなため息をついて関所の街トキナーへと荷馬車を急がせたのだった。

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