第17話 ケンカ
カランカラン、と扉についていた鈴が鳴った。その調子の外れた音色がルアンの耳に不快に響く。
隣の飯屋と宿の主人が言っていた店は、飯屋と呼ぶよりは村のゴロツキの根城とでも呼んだ方が似合っている雰囲気だった。扉を開けたルアンの目に入ったのは、カウンター席を合わせても十席ほどの小さな店内。そのカウンター席には四人の男がすわり、どうやら酒を飲んでいる様子。
扉を開けるまでは聞こえていた下卑た笑い声が、鈴が鳴った途端にピタリと止まった。男どもの胡散臭い視線を浴びたルアンは、誰にも聞こえないほどの小さなため息をつく。
――いやな目だ。
一瞬でルアンがそう感じるほどの嫌らしい視線に、後ろのサラも身体をこわばらせた。
「ほう、これはこれは珍しい。この村に異国人とジェリスの女だ」
リーダー格の人物だろうか、既に酔いの回っている赤ら顔の男がルアンとサラの方を指さしてわざとらしく大きな声を出す。
「アニキ、こいつら便所の隣にあるあの汚え部屋に銀貨五枚払ったらしいですぜ。イッヒッヒ」
赤ら顔の隣の痩せた男がへつらうように頬をゆがませる。どうやら宿屋の主人はこの連中と顔見知りのようだ。
「あの部屋は一人でも狭えってのに、あそこの臭え部屋に二人で泊まるのかい、アンタら。ああそうか、どうせ二人で臭えことを一晩中するなら、臭え部屋でいいってか? こりゃあ失礼したな、クックック」
「へえ、あのジェリスの女、綺麗な顔してションベン漏らすほどアハンアハンて乱れるんすかねえ。こりゃあ今晩混ぜてもらって、便所はこっちだよって子供のように叩き込んでやらねえといけませんね、アニキ」
卑猥な腰の動きを交えながら二人を笑いものにする男たちを無視して、ルアンはカウンターから一番離れた席へと向かう。その後ろのサラはというと、真っ赤な顔をしてルアンの服の裾を掴みながらあとに続いた。
「アニキ、あのジェリスなら割と上玉ですぜ。俺なら銀貨五枚なら出してもやってもいい。おいそこの女、俺とアニキが銀貨五枚ずつ出してやるから買われねえか?」
「赤髪のジェリスの女よ、今夜は何発やるんだ? そこの異国の兄ちゃんにいくらで買ってもらった? 銀貨五枚か? 十枚か? ギャハハ」
笑いものにされたサラは唇をかみしめ、いまにも泣きそうな表情に変わる。身体を売っていたことを否定もできず、ただ黙っているだけのサラを見かねたルアンが、わざと明後日の方を向いて口を開く。
「例え金貨百枚出したってお前らみたいなチンピラには無理だな。ああそもそも金貨百枚が無理か、ハハハ」
「なにい?」
ガタンガタンと椅子を引く音が店に響く。見ると、リーダー格の男とその手下どもが腰を浮かせてこちらを睨んでいた。
「ああ、聞こえましたか。独り言を言ったつもりですが?」
「なんだとおいコラ。異国の兄ちゃんエラく威勢がいいじゃねえか、表に出るか?」
「いえいえ、ここは飯屋でしょ。飯もまだ食ってないのに、外に出るのはねえ」
ルアンがその黒髪を掻きながら嘲るように言うのを、サラはハラハラしながら見つめている。
「飯? は~ん、コイツら飯が食いてえってさ。おいガザ、コイツらに出す飯はあるかい?」
赤ら顔の男がガザと呼んだのは四人組の一番奥にいた男、フラフラと立ち上がってルアンに近寄った。
「ウチの飯が食いたいって? そうだな、じゃあこいつでどうだ、金貨百枚で食わせてやる」
差し出したのは人参の切れ端、それも半分虫が喰って捨てるに違いない部分だった。それを二人のテーブルにコロリと転がせて「さあ金貨百枚」とガザが言う。それを見たルアンが漆黒の目をガザに向けた。
「何だあんた、ここの店主か」
「そうだ」
「いい商売だな。虫が客なんだろ、この虫食い人参みりゃあわかるよ」
「なんだと!」
激高したガザがいきなりルアンを殴りにかかった。しかしルアンはその腕をジャガイモでも掴むように軽々と受け止め、逆にガザの右腕を捻り上げる。
「イテテテッ」
「ここじゃあ何も食わせてもらえそうもないし、出てくる料理も虫が喰いそうなもんだから帰るか」
ルアンが掴んでいた右手を放り投げると、ガザは無様に店の床に転がった。「痛え痛え」と右腕を押さえながらリーダー格の男のところへ這い寄っていく。
「おいなめるなよ、表へ出ろ、この異人野郎!」
リーダー格の赤ら顔を中心とした三人が、ルアンとサラを取り囲むようにして迫ってくる。ルアンはチラリとサラの方を見てから、扉の方を指さしたのだった。
△
――「グホッ、ガハッ……、ゲェェ」
赤ら顔の男が店先の地べたに倒れた。対するルアンは一発も喰らうこともなく息すら乱れていない。腹に蹴りを入れられゲエゲエと吐瀉している赤ら顔の隣では、既に手下の二人がのたうち回っている。扉のところで憎々しげにこちらを見ているのは飯屋の店主のガザ。ルアンに捻られた右腕がまだ痛むのだろう、肘の部分に手を当てていた。
時間にすると三分は掛かったかもしれないけれど、五分は経っていない。ルアンはチンピラ連中三人を汗一つ掻かずに退けた。しかしその顔に満足感などはなく、どちらかといえば後悔の表情が見える。
短い騒ぎではあったものの、チンピラ連中の気勢や叫び声が響いたのだろう。何の騒ぎかと家々から人が集まりだした。「なんだ、ケンカか? ケンカ?」、「人が倒れてるみたいだけど、あれ誰だ?」などと騒然とした雰囲気の中、ルアンはサラの手を取る。
「サラ、帰るぞ」
「は、はい!」
すっかりと暗くなったバルクの村の中を、騒動を起こしたルアンとサラは小走りで宿へと帰ったのだった。