第15話 差別
「サラ、疲れたか? もうすぐ今夜泊まる町だからな」
「はいルアン様、お腹も空きましたね」
太陽は徐々に西に傾きつつあった。今日も荷馬車に揺られて二人は南へと向かっている。もうすぐ次の町に着くとルアンが後ろのサラに声を掛けると、少し疲れたような顔をしたサラはお腹が空いたと言う。二人で旅を始めて今日で四日目、サラは十八年生きてきた中で、今まで来たこともないような場所へと足を踏み入れていた。
ルアンが南の方へ行くと決めた理由は三つ。一つはルアンの母国であるシェルムへと続く方角に近いこと、そして北や東に行くよりも季候が良く道中が比較的安全であること、――そして最後に、マリクが別れ際に言っていた言葉が少しだけ気になったことだった。
荷馬車、とはいっても二人が乗っているのは大きなものではない。馭者としてルアンが前に座り、サラは荷物や商品と一緒に幌のついた荷台に乗っている。
初めは見知らぬ土地を走る景色が物珍しかったサラも、もう三日目を過ぎると乾いた平原を走る風景にも少し飽きてきていた。となると、楽しみはルアンとのお喋りか毎日の食事。もうすぐ次の町に着くとあって、サラは今夜の食事が待ち遠しかった。
やがて夕暮れ時が迫る中、ヤーグラの町が荷馬車からも見えてくる。この町はルアンも二度ほど来たことがあり、その時に泊まった宿へと向かったのであるが――。
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「え、部屋が一杯?」
「さあ、今日はねえ団体さんが来てるんだよ。領主様のご一行がこの小さな町に泊まっててねえ、てんやわんやだよ」
確かに町に入ったときに、えらく豪華な馬車がいくつも停まっているのをルアンは見ていた。
「どこか空いてる宿はない?」
「さあねえ……」
と、宿の主人は言いながらチラリとサラの方に目をやる。
「アンタは身元がわかってるし、金払いもいいからウチは部屋が空いてりゃあ目立たないようにコソッと泊めてあげたいよ、その子が一緒でもね。でも他の宿はどうだろうなあ。その子、ジェリスだろ? 他の客が嫌がるんじゃないかなあ」
その言葉を聞いてルアンは「またか」と思い、サラは目を伏せてルアンの背中の方へと半分隠れた。
アデリーの街を離れて四日、やはりここでも同じようなことを二人は言われたのだった。最初に泊まったアデリーの常宿では「こっそり入ってくださいよ」と、馴染みの主人に困った顔をされただけだったけれど、昨日泊まった宿などは物置部屋かと思うようなカビ臭い部屋を、渋々と用意されたのだった。田舎の方へ行くほどジェリスへの差別がきついとは聞いていたものの、この国を出るまではやはりそうなのかと、ルアンもサラも半分諦めかけている。
「困ったな」
荷馬車に戻ったところでルアンはため息をついた。隣では「すいません」と、サラが申し訳なさそうに小さくなっている。
「いや、サラは悪くないよ。とりあえず他の宿屋をあたってみよう」
ルアンは御者台に乗り、サラの身体を軽く引き上げてヤーグラの町を回り始めた。城壁都市であるアデリーに比べるべくもなく、ヤーグラーの町は何分の一も規模が小さい。十五分もあれば町中を一周できてしまうほどで、宿の数は先ほどの店主のところを含めてわずかに五軒。そこへこの地方の代官である領主の一行がやってきたのだ、他の宿も望み薄だとルアンには思えた。
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「アンタ一人の部屋なら離れにひとつだけ空いてるけど、その子が一緒ならダメダメ」
「いや、そこをなんとか……。チップも出すから」
最後に回った五軒目の宿で一部屋だけ空いていた。けれど、サラが一緒だとダメだと店主が言う。チップの銀貨をルアンが見せても渋い顔は崩れない。
「……ああ惜しいなあ。普通の日だったら離れの部屋にシレっと泊めてやるんだけどさあ、今日はほら、領主様のご一行だろ。ウチだって万が一『なんでジェリスが一緒に泊まってる』って苦情が来たらマズいんだよ」
「離れだったら泊まってるかどうかわからないでしょ?」
「わかった時が怖いんだよ。悪いな、銀貨は惜しいけどやっぱりダメだ」
少し距離を置いて話を聞いていたサラは黙って下を向いている。自分のせいでルアンに迷惑を掛けているのが、どうしようもなく申し訳なかった。
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「う~ん、野宿かあ、野宿はなあ」
「本当にすいません……」
「いや、本当にサラは悪くないから気にするよな。でも野宿はなあ」
荷馬車に戻った二人は野宿の覚悟のことを頭に入れ始める。しかしいくら荷馬車に幌があるとはいえ野宿は避けたい。一日中荷馬車を引いた馬だって藁の上で休みたいだろうし、なにより女の子のサラがいるのに野宿は危険だ。
ルアンはそんなことを考えながら、もう一度ヤーグラの町を荷馬車でグルッと回ってみた、と――その時。
「おいアンタ、やっぱりダメだったのかい?」
最初の宿屋の主人が声を掛けてきたのだ。
「ええ、やっぱりどこもダメでした」
ルアンが肩をすくめて御者台から苦笑いを返す。
宿屋の主人は渋い顔をしながら首を傾げ、やがて何か思いついたようにルアンに言った。
「おいアンタ。一時間ほど行ったら隣の村があるんだが、そこにも宿屋は一つある。俺の知る限りはいつもガラガラだ、ジェリスのその子が一緒でもアンタの金払いさえ良けりゃあ……どうだろうな、泊まれるかもな」
「そうですか、一時間ほどですか……」
ルアンは天を見上げた。時間は夕暮れ時とはいえ、あと一時間くらいはまだ陽が持ちそうだ。この街では宿が無いことはわかった、野宿は避けたい、そうなると隣村まで行くのも一つの手だ。さらにいえば隣村まで行って宿が空いていなければ野宿になるのは結局一緒、とルアンは決断した。
「ありがとう、じゃあ隣村まで行ってみるよ」
「暗くなる前に気をつけてな」
ルアンは宿屋の主人に礼を言って荷馬車を動かし始める。ここから街道に沿って南へ一時間、宿屋の主人の言っていた村はルアンも泊まったことのない小さな村だった。そしてまさかその村で命の危険に晒されるはめになるとは、このときの二人は思ってもいないのだった。