第12話 金貨十枚でどうだ?
「ええ首飾りです。そこの人力荷車の荷物のなかにあるんでしょ? マリクさん」
何かに気づいたことを感づかれないように、ルアンは普段の調子で言った。マリクはどろりとした酔眼を光らせながら、大きな羊肉の蒸し焼きを一口でパクリと頬張る。
「ああ……、あったっけなあ。どうだったかなあ……」
二人の間に漂う妙な緊張感のなかに、サラが割って入った。
「お母さんの形見なんです! 思い出の品なんです! この街を離れる前に取り戻したいって、そう思ってるんです。マリク……さん、がもしご存じでしたら教えて頂きたいんです!」
身を乗り出す勢いでサラが声を高める姿を一瞥したあと、マリクは面倒くさそうにフォークを皿に戻し、歯に挟まった羊肉を小指の爪で取り除いていく。
「チッ、お嬢ちゃん。アンタの母ちゃんはいつ亡くなったんだ?」
「三ヶ月半くらい前です」
「母ちゃんは何してた女だ?」
「若い頃は踊り子を、それからここ十年くらいは機織りをしていました」
なぜそんなことを聞くのかといった表情になりながらも、サラはマリクの質問に答えていく。
「嬢ちゃん、さっき天涯孤独ってコイツが言ってたけど、っていうことは父親もいねえんだな?」
「はい。私が生まれる前に……亡くなったと母から聞きました」
その答えを聞き終えたマリクは、懐からピカピカに光るパイプと火打ち石を取り出して煙草に火をつけた。ふうっ、と吹き出した紫色の煙がサラの顔にかかり、サラは顔をしかめてパタパタと目の前を手で仰ぐ。
「兄ちゃん、アンタは煙草吸わねえのか?」
あえて話題を逸らすようにマリクが尋ねる。
「俺は、あんまり。子供の頃に親父のパイプを吸って咳が止まらなくなったんだ。で、こんなもの誰が吸うか、って思ったから」
「ケッ、よかったな嬢ちゃん。愛しい恋人さんは嬢ちゃんが嫌いな煙を噴かねえってよ」
「こっ、恋人なんかじゃ……」
恋人なんかじゃない、と言おうとしたサラは、これ以上ないという赤い顔になって口をギュッと閉じる。恋人じゃないというルアンと、たった数日間で自分は何度肌を重ねたのだろう、それも身請けをされた後でも。これを恋人と呼べないのならば、何と呼べばいいのか……、情人? いや、そんなイヤらしい言葉でルアンと繋がりたくはない。
そんなことを考え、黙りこくってしまったサラを茶化すようにマリクが口を開く。
「ハハ、黙っちまった。ジェリスの女にしちゃあ滅法可愛い反応だな、ええ? 兄ちゃん」
「俺はジェリスの女の子を他には知らないけどね。でもそんなことは関係なしにサラは素直でいい子だよ、だから――」
ルアンはチラリと隣のサラを見やり、言葉を続けた。
「だからマリクさん、意地悪をせずに出してやってよ、サラの首飾り」
「フッ、しょうがねえなあ……」
マリクはまだ半分も吸っていないパイプをポンポンと手で叩き、無造作に吸い殻を街路に捨てた。詰められていた煙草の葉は大半が残っており、路上の風やがてバラバラになっていく。その様子を見るにつけ、特にマリクは煙草を吸いたくなった訳でもなく、サラの母親の情報を引き出すための時間つぶしに使ったのだろうとルアンは推測をした。
「ちょっと待ってろ」
そう言い残してマリクは席を立つ、行く先はもちろん店先に止めてある人力荷車。荷台の小さな幌をめくりゴソゴソと何かを探していたマリクは、やがて小さな木箱を片手に持って帰ってくる。
その巻き帽子が近づいてくる姿をサラは期待を持った目で、そしてルアンは漆黒の冷静な目で見ていた。
「嬢ちゃん、これか?」
マリクが開けた木箱に入っていたのはもちろん首飾り。鎖の部分は細い金で出来ているように見えるけれど、純金製であるはずもない。手で持ってみれば分かるけれど、おそらく混ざり物の多い安物だろうとルアンは見て取った。
問題はその鎖の先に取り付けてある指輪だ。銀製の指輪、それ自体は珍しいものではないけれど、先ほどのマリクの反応をみると、指輪の話により強く目が反応した気がする。
なにかあるとすれば指輪か?
そんなことを考えていたルアンの隣では、サラが両手をギュッと合わせて首飾りに見入っていた。
「お母さん……」
そう呟いて思わず木箱のなかに手を伸ばそうとしたサラの指先から、母の首飾りはスッと遠のく。マリクが木箱ごと自分の手元に引き寄せたのだった。
サラは驚いたように、対してルアンはさもありなんと言った様子でマリクの方を見た。そのマリクは手元の木箱から首飾りを取り出して、わざとらしく手に取ってみせる。
「これだな、嬢ちゃん」
「それです、それです! お願いします、返してください!」
鳶色の大きな瞳を見開いて、サラが懇願するようにマリクに叫ぶ。
「返すったってなあ、これは俺が仕入れたもんだから、タダっていう訳にはいかねえ。そうだな……」
マリクは細い目をさらに細めてサラを眺める。その視線をまるで品定めをされているように感じたサラは、妓館の店先で座っていた感覚を思い出して少し吐き気がした。
「嬢ちゃんが今夜一晩俺様のものになれば、返してやってもいい」
「……えっ」
なにも言葉にできずにそう呟いたサラは、無意識にその両手で自分の華奢な身体を隠そうとする。それを見たルアンは静かに首を横に振って、両肩をすくめた。
「マリクさん、冗談はやめてください」
「兄ちゃん、これがもし冗談じゃなかったら?」
「同じ商人として、あなたを軽蔑します」
「フッ、軽蔑か……。ハッ、若いのに兄ちゃんは分かってるじゃねえか」
今度はガハハと笑い声を上げて、マリクは残っていた蜂蜜酒を最後まで一気に飲み干した。
「モノをネタに身体を強請るなんざ商売人じゃねえよな。ちゃんとカネに替えてから遊ぶなら遊ばねえとな」
「当然です」
マリクとルアンは静かに会話を続けながらも、お互いの視線は火花を散らしているようだった。この男に身体を求められないとわかったサラは、涙目になりながらもホッと胸をなで下ろす。
「じゃあこの首飾りに値段をつけようか? 兄ちゃん、アンタならいくらの値をつける?」
切れ長の目をいやらしそうに開いたマリクが、ルアンを試すように聞いた。マリクと同じ商売人とはいうものの、畑違いの鑑定を試されたルアンには人並みの値付けしか出来ようがない。
「俺は装飾品や雑貨は専門外ですけどねえ、まあいいところ金貨一枚というところですかね」
「わ、私は金貨一枚にもならなかったと聞かされました……」
ルアンの鑑定を援護しようとしたのか、サラが隣で加勢をする。世間一般で考えればその程度の価値が常識的だろう。
「はーん、なるほど。お前さんたちの判断じゃあ、この首飾りは高くても金貨一枚程度って訳だな」
「ええ、まあ常識的には」
ルアンの言葉に合わせて、ウンウンと頷くようにサラが首を縦に振る。
「そうか……、じゃあコイツは売れねえな」
「えっ、そんな!」
マリクの太い指に握られて木箱へ戻されようとする首飾りに、サラが驚いた声をあげた。一方のルアンは、それが予想の範囲内とでもいうように眉一つ動かさずにマリクの手先の見つめる。
「売れない、ですか?」
冷静なルアンの言葉にマリクはニヤリと笑った。
「ああ、売れねえ」
「じゃあ、マリクさんの値付けは?」
「そうだな――」
そう言ってたっぷりと間を楽しんだ様子のマリクは、次の瞬間には驚くような金額を言ったのだ。
「金貨十枚でどうだ? 安いもんだろ?」