第11話 男の名はマリク
「ハア……、ハア……。サラ、大丈夫だよ。怖がらなくてもいい」
自分の服の裾をつかんでギュッと引っ張ったサラに向かって、ルアンは息を整えながら微笑んだ。サラは身を引くようにして、ルアンの背中に半分隠れてしまう。
「急に声を掛けて申し訳ない。驚かそうと思った訳でもないし、この子が言ったように俺たちは怪しい者でもない。少し話を聞きたいだけなんだ」
息を整え終えたルアンが、柔和な笑顔で巻き帽子の男に話しかけた。その巻き帽子の男は、ますます胡散臭そうな顔つきになって二人の方をジロジロと窺う。
「話? なんの話か知らねえけど、俺はアンタたちなんて知らんからな。まずはそっちから自己紹介するのがスジじゃねえか?」
「いや、すまない、その通りだ。俺の名前はルアン。見ての通りアンタと同じ異国人でシェルムから来ている商人だ。薬草や香料の交易をしている。それからこっちの……」
ルアンは背後に隠れたサラの肩を抱いて、再び巻き帽子の男の前に出す。
「この子はサラ。この街の子なんだけど、いろいろあって俺と旅をすることになって、それで、またいろいろあってこの子と巻き帽子の商売人を探していたところだったんだ」
「なんだそりゃ、いろいろだらけでサッパリわからねえ。それに――」
と、切れ長の目をさらに細めた巻き帽子の男はサラの小柄な身体を舐めるように見た後、ルアンに向かって続きを言う。
「その子、もしかしてジェリスじゃねえか? ジェリスの女と交易商人の男がこの俺に何の用だっていうんだ?」
年の頃なら三十を大きく過ぎた頃だろうか、少なくともルアンよりは十歳以上歳上に見える巻き帽子の男は、ジェリスであるサラと異国人であるルアンの組み合わせを訝しがり、何の用かと疑いの目で見た。
ルアンに肩を抱かれながらもサラの不安は収まる気配もなく、いまにも泣きそうな目で隣を見上げる。
「そうだな、俺たちの用事は……、その荷物にあるんだ」
「荷物?」
巻き帽子の男は、ルアンが指さした自分の荷車へと視線を移す。
「そう。でもここじゃあ人も多いし、通りの邪魔になるから話はどこか別の場所で」
と、ルアンはそのまま指先を動かして、少し離れたカフェを指したのだった。
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「ほう、この子の母親の遺品ねえ」
街路に張り出して置かれた開放的な丸テーブルで、巻き帽子の男は美味そうに蜂蜜酒を口にする。目の前の皿には酒の肴である羊肉の蒸し焼きが置いてあり、これも先ほどから巻き帽子の男だけがムシャムシャと食べていた。
とにかくこの巻き帽子の男、「俺の名前を知りたかったら酒を飲ませろ」、「荷物のことを知りたかったら肉を食わせろ」と店に入ってからルアンにたかり、タダ酒とタダ飯にありついていたのだ。既に蜂蜜酒などは二杯目で、多少ほろ酔い加減になっている。対してルアンとサラの目の前にあるのは紅茶が一杯ずつ、なんとも妙な取り合わせだった。
そんな男の失礼な態度が気に入らないサラは、先ほどからルアンの隣でふくれっ面になっていて、時々不満そうにルアンを見上げている。
「なんだあ嬢ちゃん? 可愛い顔をふくらませて。ジェリスの女の子がこの店に入れたのは、俺たちが一緒だったからじゃねえか」
「まあまあマリクさん、この子は天涯孤独なんだからもう少し優しくしてやっても。ほら、お店の人も見てるし」
最初この店に入るとき、サラのことをジェリスと見とがめた店員は嫌な顔をして入店を拒みそうになった。しかし連れの男が見るからに異国人の二人連れ、それも一人は妙な巻き帽子にあごひげの大男だと認めると、渋面をつくりながら街路に張り出した丸テーブルへと三人を案内したのだ。
巻き帽子の怪しい男は自分のことをマリクと名乗った。それも本当の名前かどうかは疑わしかったけれど、男自身がそう名乗ったのでルアンは一応「マリクさん」と呼んでいる。そしてそのマリクなる男、ルアンには悪い男には見えなかったのであるけれど、とにかく話を聞き出すまでがとても面倒くさい男だった。
同じ商売人であるルアンにはその理由も分かる。このマリクなる男の出身地は、北方のイルタシア地方であることは訛りからも服装からも予想はついていた。このイルタシア地方の商人は一言でいえばとても面倒くさい存在なのだ、――目の前にマリクのように。一度信頼関係を築いてしまえば長年の友のごとく付き合ってくれるというけれど、それまでの道のりを嫌がる商売人もいた。
まずはこちらから義理をかける、これがないとイルタシアの商人はこちらを信用しないしウソばっかりを言う。そんなことを同じく商人だった父親から聞いていたルアンは、マリクの言いなりに酒や肉を奢ったのだった。そのマリクは二杯目の蜂蜜酒をグッと飲み干し、三杯目のおかわりを勝手に注文したところで、ようやくルアンの言うことを聞く態勢になった。
「よーし兄ちゃん、お前、若いのによく分かってるな。いいだろう、この子の探している遺品のことを俺様が聞いてやろう、どんな遺品を探してる? 壺か? 絵か? それともへその緒か? ハハハハ」
半分酔いの回ったマリクはがさつにそう言ってゲラゲラと笑う。サラなどはそれを聞いてまた頬を膨らませた。
「ああ、へその緒は……どうだろう。サラ、興味ある?」
「そんなのありません!」
不満げに言い切って、ルアンを恨めしげに見つめるサラの様子を見て、マリクがまたゲラゲラと笑う。
「なんだ嬢ちゃん。安心できる男の前では甘えてわがままを言えるタイプか? まあこの兄ちゃんは見るからに優しそうだけどなあ、ヒヒヒ」
嫌らしそうに笑うマリクの方には視線も合わさず、サラは顔を紅潮させた。実際、心を開いてしまったルアンに対するサラ自身の行動を振り返ると、マリクがいま言ったことが当たっているような気がして、サラはなんとなく悔しい気持ちになる。
こんな男の言うことに、どうしてルアンは調子を合わせているのだろう。そんな不満を感じたサラがブスッとした表情でもう一度隣を見上げると、当のルアンはニコニコとしながらマリクに話しかけていた。
「マリクさん、この子の母親の遺品は壺でも絵でもなくて、もちろんへその緒でもありません。何だと思います?」
「ハッ、知らねえよ。そっちが探してるんだろ、俺が先に知ってたらビックリするじゃねえか。何だよ、言ってみろ、俺様の機嫌がいいうちにな」
『俺様の機嫌がいいうちに』なんて、偉そうに言って!、と二人の会話を聞きながらサラはますます不機嫌になる。とはいえ、こんな得体の知れない男の相手を自分がしようと思っても、絶対に出来ないことを自覚しているサラは、頼りにしているルアンにすべてを任せるしかないのだった。
「じゃあ言いますよマリクさん」
相変わらずにこやかにルアンが言う。
「おう、勿体ぶらずに言えや」
三杯目の蜂蜜酒をグイッと半分ほど一気に飲んでマリクが促す。
「実は遺品っていうのは、首飾りなんです。なんでも銀の指輪が取り付けてあって、そこにはなにか小鳥の模様のような絵柄が入っているらしいんですが、知ってます?」
「ふーん、首飾り……か、銀の指輪に小鳥の模様ねえ……」
ゆっくりと丸テーブルに蜂蜜酒のグラスを置きながら、マリクはオウム返しにのように言葉を返す。そして細い目をますます細め、サラの顔を再確認するように数秒凝視した。
普通の人間が見れば、酔ったマリクが仕入れた商品を思い出すために確認のように自分で繰り返し、その持ち主だというサラの顔をジッと見たことだと思っただろう。けれどルアンは違った。首飾り、しかも銀の指輪の話をし始めた時に、マリクの目が既に酔っ払いの目ではなくなっていたことに気づいたのだった。
――あの目つき。この首飾りの話、絶対になにかある。
若いとはいえ商売人であるルアンの直感が、マリクを前にしてそんな警鐘を鳴らしていた。