めんどくさい
小岩井奈穂子、27歳は探していた。
仕事でも、人付き合いでも、人生にでもなく、結婚をする答えを探していた。
答えを探すため、奈穂子は今日で通算10回目の婚活パーティーに参加する。
昔から本の虫だった奈穂子は、人付き合いをあまりしてこなかった。
しかし、必要最低限のコミュニケーションは出来たため、苦労することはなかった。高校時代からの長い付き合いとなる友人がおり、本好きが講じた司書の仕事にも就いており、人が一人で生きていくには十分な能力が奈穂子には備わっていた。様々な点で人生に満足していたのだ。
しかし、恋愛に関しては人並み以下だった。
奈穂子はこの年齢になるまで、彼氏はおろか付き合ったことも、人を好きになったこともなかった。
変だという人もいるのだろうか。でも、別にいなくても困ることは一度もなかったし、「恋」という感情が、そもそも奈穂子には備わっていなかった。
しかし2年前の春、とある出来事が起こる。
奈穂子の高校時代からの友人で、特に仲が良かった大谷晴香が結婚した。
晴香は奈穂子と好きな本も、その本が好きな理由も同じで、親友と呼ぶにふさわしかった。
そして菜穂子と同じく、恋愛に程遠い人種だった。
2人は女生徒しかいない文芸部に入部し、恋多き高校時代に異性と全く関わらない学生生活を送っていた。
恋愛は本の中や違う人達のもの。
自分の中には存在しない。
それが2人の共通認識だった。
しかし、晴香は結婚した。
しかも恋愛結婚。
職場の食事会で知り合い意気投合したらしい。
奈穂子は「食事会という名の合コンじゃん」と思ったが言わなかった。というよりも、言えなかった。
晴香が合コンに行くという事実に頭がついていけず、言葉にすることが出来なかったのだ。
晴香は菜穂子に結婚を報告した後、
「次は奈穂ちゃんの番だね」
と、嫌味なく言った。
奈穂子は自分の中にも「恋愛をする」という選択肢があるのだ、ということに驚いた。
そこで始めようと思い立ったのが婚活だった。
婚活だったらすぐに恋する相手が見つかり、結婚まで一直線だと思い、すぐに婚活パーティーのサイトへとアクセスした。
電車で30分かかる小洒落た街に出向き、小洒落たお店で小洒落た格好をした男女がお喋りをしながら味のしない小洒落た飯を食べる。
最初は楽しかった。
自分とは違う異性との会話や、同じ婚活仲間と話すのは新鮮で実りあるものだった。
しかし、一向に誰とも進展がなく、奈穂子はあっけらかんとした。
「めんどくさい」
婚活パーティー6回目が終わった日の夜、奈穂子の口からその言葉は不意に洩れた。
ずっと心の奥底で、人と話している時に感じていた本音だった。
赤の他人と結婚するがためにする会話は心底疲れる。
自分をよく見せようと着飾って、味のしないご飯を食べて、大して面白くない人の話を微笑んで聞いて、「貴方ならすぐに良い人見つかるよ~」なんて思ってもない言葉を会場にいる女性陣に浴びせて、私は何をしているのか。
奈穂子はその日から婚活を中断した。
仕事に精を出し、好きな本を読んで自炊に励んだ。
いろんな人と会っていた週末に比べると地味だが、奈穂子にとっては有意義な生活だった。
このまま「恋」を知らず、ただ生きて死んでいく。
それは寂しく空しいことなのだろうか。
奈穂子は自分が分からなくなり、新婚の晴香に助言をもらいに行った。
奈穂子の事情を知った晴香は洗濯物を畳みながら、
「行きつくまでもめんどくさいけど、これからの先のことも、めんどくさいんだよ」
そう言って笑った。
何かヒントをもらったような気がした。
その週末から、奈穂子はまた婚活を始めた。
しかし、6回目までの奈穂子とは違う。
仕事・趣味・年収・家族構成、そのような相手の項目を一切見ず、奈穂子はとある質問をぶつけるようになる。
そして、今日が10回目となる婚活パーティーの日なのだ。
とある小洒落たレストランが今日の会場。
奈穂子が会場についた頃はまだ開店時間ではなかったのだが、すでに数人の男女が受付の前で談笑していた。
すると、スラリと背の高いスーツ姿の40代女性が談笑している集団の中に入っていった。「はーい!まだパーティーは始まってないですからね!名前聞いたりとかはご遠慮くださいよ!」
そう言った彼女は今日のパーティーの主催者だ。
その人は奈穂子を見つけると靴の音をツカツカと鳴らし歩き、奈穂子の前で仁王立ちした。
「小岩井さん!今日こそ良き男性をキャッチするのですよ!」
彼女は前田さんと言い、奈穂子が参加するパーティーの主催をよくしていた為、顔見知りとなった。
前田さんは、何度もパーティーに参加するのに一向に誰ともくっつかない奈穂子に熱をかけていた。
「今回はね!違う人が主催者だったんだけどね!小岩井さんがいるって知ったから変わってもらったの!だから今回こそ!ね!」
前田さんは奈穂子の肩を掴み、気合を入れた。それは奈穂子の気合というより、自分に対して入れてるように見えた。
「さ!会場入りよっ!」
またツカツカ音を鳴らし、前田さんは去っていった。
奈穂子は帰りたい気持ちが高まっているのを堪え、レストランへと入った。
受付で名前を伝えると、名札と共に簡単な自己紹介を書く紙を渡される。
奈穂子は女性陣が集まるエリアに行き、それらを記入してパーティーが始まるのを静かに待った。
数分後、前田さんが開始合図のベルを鳴らした。
「お待たせ致しました!それでは、お見合いパーティーを始めさせていただきます~パチパチ!まず初めに!この長ーーーい机のこっち側が女性、反対側が男性になるようにお座りくださーーい!飲み物のグラスは右側でございます。あ!ご飯はこの後のフリータイムの時にビュッフェ形式でご用意してますんで!焦らないでね~」
参加者がくすくす笑いながら、前田さんのパワーで少し和らいだ空気で移動を開始した。
奈穂子は真ん中あたりに座った。
「皆さま自分のグラスは有りますか?ちゃんとお水入ってます?お酒は後でお食事の時にお頼みください。それでは……自己紹介タ――イム!先ほど書いていただいた紙をお相手に見せながらのお喋りです。あまり固く考えないようにね!時間はお一人様5分でございます。お時間になりましたら、男性はグラスを持って右側へとずれて行ってください。5分って長いように感じて意外と短いです!出せる限りの力で自分のアプローチをしてくださいーーい!それでははじまりです~~」
前田さんは持っていたベルを2回鳴らした。
「初めまして」
奈穂子の目の前にいる男性はオズオズと話しかけてきた。
「初めまして」
微笑んで答える。
男性は自分の自己紹介シートをまるで履歴書のように奈穂子に渡す。
「よろしくお願いいたします」
会釈をして受け取った奈穂子は、自分は面接官なのかと錯覚しながら、男性の名前だけを紙で確認した。
「浅木廉太郎さん。結婚なんて面倒なこと、どうしてしようと思ったんですか?」
「え?」
「面倒だと思いませんか?赤の他人と暮らすなんて。恋愛ならまだしも、結婚とか。面倒なことしか起こりませんよ」
浅木は一瞬困った顔をし、何か言いかけようとした口をつぐむと、怒りに満ちた顔をした。
「ここは結婚を真剣に考えている人が来るところですよ。冷やかしはやめてもらえませんか」
「冷やかしではないです。ただの疑問です。結婚をしたい明確な理由を聞いているんです」
奈穂子は凛として答えた。
この質問をして怒る人は、大抵本気ではない。
こういう人こそ冷やかしで、女遊びをしたいがためにここに来る。
浅木は頭をかくと「失礼しました」と言い、それ以降奈穂子を見ることは無かった。
次。
浅木と奈穂子の会話が何となく耳に入っていた男はニヤニヤしながら奈穂子の前に座った。
「初めまして。結婚したい理由、確かに聞きたいですよね。でも、ここは男女の出会いの場です。その後の話は付き合ってからではないですか?」
「初めまして。まずはシートを見せていただけませんか」
男はニヤニヤしたまま奈穂子に紙を渡した。
「村田雄吾さん、面倒な結婚をしたい理由をお話しいただけますか?」
「まるで面接だね。いいよ。僕は結婚をして一人の女性を一生かけて幸せにしたいんだ。そして僕も、彼女と一緒に幸せに暮らしたい」
村田は自信満々に答えた。
「なるほど。自信があるみたいですね」
「僕は自分の両親のような幸せな家庭を作るのが夢なんだ」
「叶うといいですね」
次の相手にも、その次の相手にも、奈穂子は同じ質問をした。
「子供が欲しいから」
「周りが結婚し始めたから」
「両親を安心させたい」
理由は様々だった。
ほとんどの理由が、奈穂子が結婚をする理由を考えた時に出てきていたものだった。
みんな考えていることは同じだ。
しかし、今の奈穂子の答えとは違っていた。
顔を合わせる男性は、残り3人となった。
奈穂子の前に、体格の良い男性が座った。
「はじめまして。岩本大樹です。よろしくお願いします」
男性はそう言って奈穂子に紙を渡した。
「小岩井奈穂子です。よろしくお願いいたします」
奈穂子も紙を渡した。岩本はにこりと笑って奈穂子の紙を読み始めた。
「図書館の司書をなさっているんですね」
「はい。岩本さんは小学校の教員ですか」
「ええ。そう見えないとよく言われます」
「職業と見た目は比例しないと思いますよ」
「ごもっともですね」
「どうして、面倒な結婚をしようと思ったのですか」
「やはりその質問ですか。答えづらい質問をしてくるなんて、小岩井さん、貴方はとてもめんどくさい人ですね。でも、さっきから貴方の答えが聞きたくて気になって仕方がなかったんです。よければ、貴方の結婚観を話していただけませんか」
彼は奈穂子に興味を抱いた初めての相手だった。
それは婚活10回目にして初めてのことだった。
奈穂子は上がっていた肩の力をゆっくりと下ろしながら、静かに話し出した。
「私は、結婚って面倒だと思うんです。結婚ってだけでいろんな書類を書かないといけないし、相手のこと以外にも、その家族とか友達とかとも付き合っていかないといけない。ただの他人の為だけにとんでもない程の労力を使う。結婚って、ただ好き同士が一緒にいればいいだけのものではないと思うんです。大変で、面倒で、しんどいことだと思うんです」
「それでも、婚活に来るんですか」
「はい。私はそのめんどくさいが愛だと思っているので、その愛を探してるんです」
彼は呆れているのだろうか。
変な質問を投げかける変な女の夢のない話。
どう思われてもいいと思って、奈穂子は微笑んだ。
「じゃあ、僕の貴方をめんどくさいと思いながらも、興味を持ったことも、いわば愛ですね」
「それは分かりません」
奈穂子は、岩本大樹の次とその次の相手のことを考えることができなくなった。
自己紹介タイムが終わった後の第一印象が良かった人を書くカードに、奈穂子は岩本の名前を記入した。それは岩本も同じだった。
食事をしながらのフリータイムも、二人は一緒にいたが、ただ黙々と料理を食べた。こういうパーティーで味のする美味しいご飯を食べたのも、奈穂子は初めてだった。
そしてあっという間に最後のカップリングの時間がやって来た。
「さぁ~~~~運命の瞬間です!今回は4組のカップルが誕生しました!ドキドキしますね~~~発表します!」
常にテンションが高い前田さんのテンションがいつもに増して高いことに奈穂子は気が付いた。
3組のカップルが発表され、残り1組の発表となったシンと静かになった会場で、前田さんは一人声を張り上げる。
「それでは!最後のカップルを発表いたします!岩本大樹さんと小岩井奈穂子さんです!!」
名前を呼ばれた奈穂子は驚いて立ち上がらなくてもいい場面であったのに立ち上がってしまい、恥ずかしくなったが、それに合わせて岩本も立ち上がり、二人は軽い会釈をした。
それを周りの参加者や関係者は笑っていたが、前田さんだけは泣きそうな顔をしていた。
「4組の皆さま、今日は本当におめでとうございます。これから先、楽しいことも大変なこともたくさん起こると思いますが、どうか二人で助け合って生きてください。今回残念な結果となった方も大丈夫!この私、前田 縁にお任せあれ!必ず素晴らしいご縁をご用意いたします。それでは、解散!」
帰り際、前田は奈穂子に涙ながらに「お幸せに」と耳打ちした。
「あの主催者、縁さんっていうんだね。この仕事にピッタリの名前だ」
岩本のその言葉の意味に気が付いた奈穂子は、前田さんがどうして自分に懸命に向き合っていたのかが少しわかった。
帰り道、岩本は奈穂子の連絡先を聞き、「また連絡します」といった。
奈穂子は自分の携帯の画面に映る岩本の連絡先を見ながら、「私も」といった。
「連絡はめんどくさくないんですか?」という意地悪な岩本の質問に、奈穂子はこの先で見つかるかもしれない答えに胸を高鳴らせながら、「今はそれすらも楽しいです」と答えた。