第四話 あなたはかんぺき
夏が終わりました。
秋がやってきますね。
「おもしろそうだな」
……って、小さく、俺はほんの少し言っただけなんだ。
滝がドドドバババって、結構、音うるさいのになんでハレルヤは聞き取れたんだ。
ちょっと待て。待ってくれ。ハレルヤの距離感……。やめてくれよ、俺、きっと顔、真っ赤だ。かっこわりー。
「そうなのよ! 繊細を持て余してる系の子には超おもしろいの!」
ハレルヤは至近距離を以て俺を仰け反らせた。
揃えた指を俺の頬に当て、「ふむ」「へえ…」と独り言。頬から滑らせた指は顎先へ。彼女の突然の近距離に仰け反っているところを更に上向かされ、喉を晒された。
ハレルヤは俺の喉を見つめ、口元を見つめ……。
“まさか?”と身構えたがそこは素通り。スルー。(はっずかしい)
結局ハレルヤは俺の喉、口、そして額を順に見つめていき、今はなぜか、俺の頭の上を見つめてうっとりだった。
顔が、近い!
「や、やめろよ!何してんだよ!」
もお勘弁しろ。俺はこの距離感に不慣れなんだ。
ていうか、やめて。ほんとお願い。恥ずか死ぬ。
「あは。ごめんね。ちょっとね、見てたの。」
俺の顎から、真っ赤なマニュキュアの白い指先が離れていくのを見送った後、何を?という顔を不機嫌にハレルヤへ見せた。ちゃんと、キリッと、遺憾の意を示せたはずだ。たぶん。
「いや~、いいのを持ってるのよ~。零太郎さんは。感動しちゃう」
そう言って、ハレルヤは五歩くらい後ずさり、俺との距離をとった。ほっとする。
いいものってなんだろう。俺なんか見たって何にもないだろうに。
生命力に満ちた強めの微笑みでハレルヤが俺を見る。鼻息の音が聞こえてきそうな。
「あなたは治癒方に向いてる!」
「ちゆかた?」
「そう。治癒をする担当。治癒方。だけど治癒とは呼ばず、我が国の法規上、癒し手の意味でヒーラーと呼んでるわ。」
治癒。癒し手。そんなわけないだろう。
「……俺は何も救えないし力もない。役に立ったことなんてないけど、ヒーラー?そんなわけないだろう?」
そう言ったあとに俺はうつむき、地面を見つめる形になって数十秒。ハレルヤの声がする。
「力が無くて、役に立ったことがない。それは、ほんとう?」
ハレルヤは首を傾けて俺を見た。
「ねえ。ほんとう?」
静かな瞳。
俺は一歩、後退する。
「誰かがあなたに、そう言った?」
再度問う。
やめてくれ。畜生。なんなんだよ。
意味のない音を出して、感情の処理をする他なかった。
「あ”あ”ーーーーーっ!!くそっ!」
不快感だけを喉で、舌で、放った。俺が知ってる感情の出し方なんて、これくらいだ。
籠るか、キレるか。
「いい加減にしてくださいよ!」
気づけば、俺は息を切らしていた。
「ヒーラーとか、ランドヒーラー?だっけ?やっぱ俺にはできないですよ!」
ハレルヤはにっこりと笑って首を傾ける。
「それは、なぜ?」
俺は、なぜ?と問われて、なぜだろうと考えた。
まずは俺は高校生だ。うん。高校生だ。勉学が最優先だ。行けてねーけどな。
そのあとは、俺の記憶から“できなかった”経験を引っ張り出す。俺が無力で非力で役立たずな証拠なんて幾らでもあった。
「俺は高校生で、勉強をしたり学校に行かなければならないから、その…ヒーラーになる時間は無い!…です。(学校行けてねーけど)」
「ふむ。なるほど。読み書きは大切よね。他には?」
「癒すことなんて、したことないですし、できませんよ。俺は」
そう。できやしないんだよ。
「できない。それを強く信じているのは、なぜ?」
ハレルヤはまた問う。
静かな瞳。
「零太郎さん。あなたは自分が何もできないと信じている。できないという事への絶対の自信にも見える」
「出来ないと、信じている……」
俺は、この新しい言い回しを、知らずと復唱していた。出来ないと信じている。
揺るぎない自信。
確かに。
それはいつからなのだろう…。
クソッ!言いくるめられてたまるかよ!
俺は我に帰る。
「出来ないと信じているのは、これまでにたくさんの証拠があるからですよ。助けたいと思っても、俺には力が無くて、出来なかった。」
「うん」
同情も、共感もない、ハレルヤの純然たる同意の相槌は、俺に自分語りを促した。…チクショウだ。
「助けられなかった人がいる。祈っても、できることをすべてやっても、助けられなかった。いなくなった。俺が癒し手なら、癒し手なんだったら!なぜ助けることができなかったんだ!」
ハレルヤは顔を斜め下へ傾け、目を伏せた。まばたきをいくつか。ぱちぱち。紅い口唇が引き絞られる。
「…それは、説明するのが難しいわ。ひとつ今、言語化できるものがあるから、聞いてくれる?」
俺は頷いて見せた。こんなふうに言い争っていても、激昂することもなく冷淡になるでもなく、普通のハレルヤのふるまいが、俺には不思議だった。
だって、喧嘩はしちゃ、いけないんだろう?
みんな仲良く、するんだろう?
……
ハレルヤの声が聞こえる。
「助けられなかった人がいなくなって、そのあと、あなたがしてきたことがあるわ。残された人を癒して来たの。ほんとよ」
わかったような事を言うなと、ムカムカする。
畜生!初対面の奴にこんな……こんな……。俺は何をしてるんだ。
「俺がしたかったのは、そんなことじゃなく…」
「あなたは!」
と、ハレルヤは俺の言葉を遮った。
眉毛を下げて、ごめんね、とつぶやいてから、そのあとを続けた。
「あなたは、幼かった自分を許せない。力さえあったら、役に立ててさえいたら、助けられたのにと。」
ハレルヤの目は静かだ。
俺を説き伏せようとしてるのかと思ったけれど、淡々と、俺という対象の観察結果を述べているだけの、静かな何かだった。
「あなたは、立派にやってきたの」
ハレルヤは笑う。
「あなたのできることをやってきた」
晴れやかに。
「パーフェクトだったわ」
ハレルヤはそう言うと、俺の方へ近付いて来た。
三歩くらい進んで、「傍へ行ってもいい?」なんて聞いてくる。
何を今更だ。チクショウ。
俺は横を向いて黙ったままだ。
何て言えばいいのか、わからねえから。
もう一度、言うわね。
彼女はそう言った。
「パーフェクトだったのよ?」
なんていうことだろう。
俺はいつも通りに朝の散歩に行っただけだ。
いつも通りのコースを歩いて家に帰ろうとしただけだ。
なのに。
俺は初対面の奴に個人的なことまでペラペラと喋って、心理的に結構なところまで踏み込まれて、なんと今、俺は泣いている。
チクショウ…。
ハレルヤは首を傾けて目を潤ませて来る。
「零太郎さん。泣いてるの…?」
ハレルヤ。コンニャロー。
「ああ!そうだよ!泣いてるよ!初対面のおかしな女にプライベートまで踏み込まれて泣いてますよっ!」
「だってさ、零太郎さんは自分を知らなさすぎだものね。都合よく非力だ無力だって幻想抱いてるから、ついね?」
傍まで近づいていたハレルヤは、俺の肩を静かに抱いた。
「ね?」
何が、ね?だよ。チクショウ。今朝から何回チクショウって言うんだよ俺は。チクショウ。
髪が。ハレルヤの濡れた髪が、俺の頬をかすめた。
「零太郎さんの治癒の力を、貸して欲しいの」
止まった涙が鼻水になったのか、鼻をグスグスいわせて俺は自分の肩を抱くハレルヤを横目でみた。
な、なんという近さ。
ゼロ距離!
つむじが見えるぞ。
「頼むわ」
ハレルヤはクルリとこちらを向いた。
だから、もお!ゼロ距離!!
「すこし、考えさせてくれませんか?」
俺はそう答えるのに精一杯だった。
彼女の圧力に負けたんじゃない。
癒せるのなら、癒したい。
そう思ったんだ。
ほんとさ。
Hallelujah!!(*´∀`)