Sleeping Beauty
「げ」
目覚めは最悪だった。
起きたら周り全てが【ドール】だらけ。
しかも良くも悪くも発育のいい個体ばかり。
目のやり場に困るったらありゃしない。
「おはよう、ございます」
水気の何もないかすかすの声で、一応のご挨拶。
「おはようです」
返って来た声は幼かった。
日本人離れした白髪がくすくすという笑みに合わせてゆらりと揺れる。
ふんわりとゆるやかでとても可愛らしい見た目は、見れば見るほど【ドール】だなんて信じられない気もするが。
「あなたを殺しにまいりました」
しかし、やはりそうなのだろう。
にこりと微笑む表情とは裏腹に恐ろしいことをしれっと言ってのけた。
一瞬で寝汗がぶり返す。
「なん、で僕ばっかり、」
昨日も確か別の個体に狙われて命からがら逃げ出したばかりだというのに、一夜明けてもまた、だなんて。
「さあ、起きてください。シンデレラ」
やっぱり、今日は最悪の目覚めだ。
言葉ついでに飛んで来たナイフをもろに左腕に喰らう。
「ぅぐ、」
一拍遅れて襲う激痛がどろりと血を溢れさせる。
ぱたりと脂汗が落ちたことには気付かなかった。
逃げることに必死で、どだだとけたたましい自分の足音が聞こえただけだった。
「逃げないでください」
突然ナイフ突きつけられて逃げるなって言う方が無理だろ、と心の中では不満たらたらだったが、何か言ったところでどうせ通じないだろうからただ黙って逃げた。
ばごんとドアを蹴り飛ばし、普段は亀のような歩みの階段も二段すっ飛ばして降りる。
決して運動は得意ではない自分だから、息は自然と弾み出し、寝起きだったこともあり足も何度かもつれかける。
もはや時間の問題だと言えるほどのへろへろ具合だ。
「うぁぁああああッッ!!」
そして予想は見事に的中した。家を出て5秒も経たない内に、まんまと自分の体は宙に吊り上げられる。
「……つかまえた」
初対面では可愛いと思ったその顔も、暗闇の中だと白が映えて亡霊のように恐ろしい。
ゆっくりと恐怖を煽るように歩み寄ってくるから、こちらもかたかたと歯を震わせて怯えるしかなかった。
「そんなに怖がらないでください、悲しくなっちゃいます」
「ひ、ッ」
宥め賺すような言葉とは裏腹に、幾千幾万のナイフの切っ先が、全てこちらを向く。
キィンと月明かりに照らされて光るそれらは幻想的でいて、あまりにも非現実的過ぎた。
じわりと涙が滲む。
「死ぬの、はいやだ、いやだ……」
少しでも痛みに耐えようとうずくまって、いやいやと頭を振ることしか出来ない自分の無力さが恨めしい。
本当に嫌なら殴りつけてでも助かろうと足掻くはずだろう、なのに嫌と言うだけで何もしないということは暗に死を受け入れている自分がいるから以外に他ならない。
口先だけで何もしない自分の今までの人生さながらだ。
死ぬ瞬間まで無様なのか、僕は。
そんな自己嫌悪に頭を易々と支配される。
「ぐぶ、ゥ」
しかしすぐに言い表しようのない痛みが襲い、無駄な考えすらも忘れさせた。
ぼとり、と音を立てて落ちたのが自分の左腕だと気づいた時には、腹から真一文字に裂かれた傷口の出血に金切り声を上げて呻くしか出来なかった。
もはや、生死なんてどうだってよかった。
早くこの痛みから逃げ出したかった。死んで血も通わなくなれば痛みを感じなくとも済むのかなどという考えがよぎる程に、頭の中は痛いとそれだけを叫んでいた。
「耐えてください、お願いします」
悲痛な表情と共に突きつけられるナイフが嫌で、いつしか目を閉じていた。
何故自分ばかりがこんな目に、と考えても虚しいだけだ。もう起きてしまったことは仕方がないのだから、ただやり過ごすしかない。
そんなことを考える余裕もないままに徐々に意識が無くなってきて、ああこれから死ぬんだと思った。
死ぬことに対しては不思議と恐怖はなかった。
ただ死ぬ過程で痛みを伴うことが怖いだけで、八つ裂きにされた自分の体こそその最たるものと言えるだろう。赤茶けた皮膚がはっきりと自覚できるほどだ。
「……死んでしまいましたか?」
しかし、死ぬ直前というところでまだ意識は辛うじて留まった。
三途の川を渡りかけている最中にもかかわらず、思い起こされるのは【彼女】のこと。
自分の肩にも届かない背に、まだまだあどけなさを残したような声、そして空を模したように青い藍の瞳。
僕がいなくなったら、あの子はどうやって生きていくのだろう。
【彼女】のことを思うだけで、自然と、ふわふわしていた意識が鮮明になる。
漠然としていた死にたくないという感情に、理由付けがつく。
だから生きようと思える。
「っ、く……」
まだ年端も行かない幼い子供を遺してあの世に行けるほど、自分も血を捨てたわけではないつもりだ。
ほとんど意地で、おぼつかない足を踏ん張って立ち上がる。
もちろん身体は痛い。息を吸うだけでも痛い。
こんな満身創痍でどうにかなる訳がないと思うほど。
けれど、どれだけ叫び声を上げても誰ひとり助けは来ないのなら、自分で何とかするしかないのだ。
あの子の元に生きて帰るためには、そうするしかないのだ。
「ようやくお目覚めですか。おはようございます、シンデレラ、」
もはや、愉しそうに笑う声も耳に入らなかった。
気づいたら、どたりと崩折れる姿を目の端に捉えていた。
美しい肢体は冷たいコンクリートの上に投げ出され、真っ白な皮膚をさらに白くしては虚ろな目をするだけのそれは死ぬ寸前だった。
ぱくぱくと口を開けてこちらに何かを訴えかけているようだが、声は言葉にならないらしい。
もうそれだけの力もないのだ。
最後まで頑固に見開かれたままだった目も徐々に徐々に閉じ、網膜の中の光が失われて行くのが分かった。
そしてはたりと完全に瞼が落ちた時には、手足はぴくりとも動かなくなっていた。
死んでいた。
「僕が、殺した……?ぼく、が」
人間が【ドール】に勝てる訳がないのに、何故か今自分は生きていて、【彼女】は死んでいる。
腹はぱっくりと抉れていて、中の臓器もまだうねうねとうねっている。
自分が殺ったなんて信じられないほど。
なのに、達成感に包まれるどころか、襲うのは罪悪の念ばかり。
妙に人間めいたフォルムをしているから、よもや自分は殺人に手を染めてしまったのでは、という錯覚が頭の中から消えない。
どろりとこぼれ落ちる小腸は、紛れもなく本物に見えた。
「嘘だ、違う、僕は、」
「大丈夫、あなたが殺したんですよ。ちゃんと」
パニックに陥りかけたところで降った、その声を振り返る。
現場を目撃された、通報されたら死刑になる、とまるで犯罪者にでもなったかのような自意識過剰さだが、焦っている時ほど自制は効かないものらしく、半パニック状態のままで尚も荒い呼気を吐いた。
「違う、僕は、殺してなんか」
とは言ったものの、自分でも何をしたか全く覚えていないのだ。
気づいたら目の前に死体がひとつ転がっていて、それがまた動揺する気持ちに拍車をかける。
一体自分は何をしたのだろう、と完全に他人事ですらいた。
「はい、あなたは殺していません。だから安心してください。大丈夫ですから」
だから、名も知らない男の言葉に安堵した部分が無いとは言えない。
出会ってまだ数分と経たない輩の言葉を鵜呑みにするなんて自分でも馬鹿げているとは思うが、そうでもしないと冷静さを保っていられなくなりそうで怖かった。
すがれるものには何でもすがりたくなってしまった、というのが本音だろうか。
「っ」
安心したら気が抜けて、今までアドレナリンに誤魔化されていたあれやこれやが途端に押し寄せて来る。
そういえば腹切られてたんだっけ、と思い出すも今更だ。
「大丈夫ですか」
どさりと覆いかぶさった体を抱きかかえるように介抱する男が、妙に心配めいた視線を向けて来るので煩わしかった。
そりゃ突然倒れたら心配しない方が可笑しいが、出会いが奇々怪界なだけに簡単にその視線は受け取れない。
出来れば腕ごと振りほどきたかったが、ずたずたの今の体ではもはや神経ひとつ思うように動かせない。
だから救急車を呼ぶあたりまでなされるがままだ。ピーポーピーポー煩いサイレンがすぐそばまで聞こえてくる。
その甲高い音すら、今は体に響く。
どだだと急ぐ隊員連中の足音すら刺激になった。
ガタンガタンとストレッチャーに乗せられて走る車内は思ったより立て付けが悪く、悪道を走ってあっちこっちに跳ねるから痛みに顔をしかめる他ない。
「大丈夫です、すぐに着きますから」
その間も男はずっと優しいまでの声をかけ続けていて、初対面とは思えないほどの厚意には感謝を通り越して猜疑心すら生まれた。
どうせ恩義を売ってとんでもないことふっかけようってやつだろ、分かってんだよそんなこと。
最後に失礼極まりない発言を心の奥底で吐いて、とうとう意識はブラックアウトした。




