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9 再会


 彼女はおれから一番遠い対面の席に着席すると、にこやかに周りの人たちと挨拶をかわす。その笑顔は一度見たら忘れることなんてできない。なんといっても、おれの目に映ったのは、本物の白衣の天使だったんだ。そう、あの日。夕暮れの海辺で出会った女性、ミサキに間違いなかった。

 やがて、最後にコウジが「みなさん、お早い到着で」などと、ふざけたことをいいながらやってきておれの前に座った。おれが一瞬苦い顔をむけると、ふざけているのか、親指をあげやがった。完全に馬鹿にしてるな。


「じゃあ、全員揃いましたし、早速ですが意見交換会を始めましょう。今日は初参加の二人を紹介します。ケースワーカーの太コウジさん。それと、僕がいろいろとお手伝いをお願いしようとおもっている、なんでも屋の大澤アキオくん」


 先生に紹介されて、おれとコウジは席をたって一礼する。


「まあ、堅い話は後回しにしておいて、まずは乾杯といきましょう。西先生、音頭をお願いしていいでしょうか?」


 先生の対面に座っていた、いかにも重鎮といった風貌の白髪まじりの男性にそう呼びかける。西と呼ばれた男性は俺よりふた回りほど歳は離れていそうだが、Vシネマ俳優のような妙な色っぽさがあつた。彼がのっそりと立ち上がるのに合わせて隣同士でビールを注ぎ合う。


「では、えー。挨拶と女性のスカートはなんとやらということで、手短に……」


 そういった割には彼の話は五分ほど続いた。いったいいつまで続くのかと、場がそわそわし始めたところで、なんの前触れもなく、突然「では、乾杯!」と彼のよく通る声が響き、慌てた様子で全員が乾杯! と唱和して、宴会が始まった。

 ところで、おれはいったい何のためにここに呼ばれたのだろうか。

 その疑問がまだ残ったまま、聞き慣れない単語の飛び交う謎の宴会は進んでいった。そして、もうひとつ。

 ミサキは、ここにきてからまだ一度もおれと目を合わせていなかった。もしかして、人違いなのだろうか。そうおれが考え込んでいると、正面の席からコウジが小声で呼びかけてきた。


「さっきから一番奥の彼女をガン見しまくってるけど、お前のタイプか?」

「馬鹿、そうじゃねえよ。ただ、前に会ったことがある気がするだけだ」

「ふうん」とコウジは息をつく「でも相手はお前のこと知らなさそうだな」

「ああ、人違いなのかもしれない。それにしても、おれがこの場にいる意味が全くわからないよ。お前は?」

「さあな。あとで先生が何かいうんじゃないのか? まあ、意味があろうがなかろうが、おれは上手い酒が飲めればなんでもいいさ」


 呑気にそういってコウジは白ワインの入ったグラスを空けると、ホテルの給仕係にワインのおかわりを注文した。おれは、遠慮のない大きなため息をつくと、コウジに「ちょっとトイレにいってくる」といってこの妙な空気から逃げるように、いったん会場を中座した。

 廊下にでて突き当りにあるトイレに入ろうとしたところで、後ろから「大澤さん!」と女性の声で呼び止められておれは振り返った。そこに立っていたのは、会場で一度もおれと目を合わせようとしなかった、例の白衣の天使ことミサキだった。


「あの、私です。以前車を直していただいた、平美咲です」

「やっぱりミサキさんだったんだ? 全然目も合わないから人違いかと思いましたよ」

「すみません。会社の上司も来ているもので……それと、大澤さんお願いなんですが、以前あの駐車場で出会ったことを誰にもいわないでもらえませんか? あのとき、私は本来の訪問ルートではない場所にいたので、会社の人にあそこにいたと知れると何かと面倒なので……」


 小声でそういって彼女は上目遣いにおれを見つめている。美人にそんなふうにされて断る男がどこにいると思う? おれは「ああ、わかったよ」と返事すると、ミサキはくしゃりと破顔して、肩の力を抜きながら安堵の息をつく。


「よかったぁ。それじゃあこのことは二人だけの秘密にしてくださいね」


 ミサキはそういうと人差し指をぴっと唇につけて微笑み、そのままおれの横を通り過ぎて先に女性用化粧室にはいった。それでおれはといえば、その場に突っ立って「二人だけの秘密」なんていう甘美な響きにしばらく浸っていたんだ。まったく、男ってどこまでも馬鹿だよな。


 その日の会合でようやくおれの話題があがったのは、おれもすっかり酔いがまわってきたころだった。窓の外には夜の港の明かりが海面に映りこんで、まるで魔法の世界のように幻想的な光の環がいくつも波に浮かんでいた。


「そこで、今回僕は大澤くんに目をつけたわけですが」


 唐突におれの名前が飛び出したことで、おれは慌てて声の主である先生に目をむけた。先生はほろ酔いなのか、うっすらと顔を赤らめてご機嫌な様子で饒舌に語り始めた。


「私たち在宅医療チームは患者様やご家族様に寄り添いながら、終末期をいかに安らかに過ごしていただくかということを、最大の使命と位置づけています。しかし、皆様もご存知のように、われわれ医療者だけではどうしても取り払えない様々な障壁があります。ACPにおいて大切なのは患者様やご家族様とのコミュニケーションですが、どうしても患者サイドからみた医療者というのは、どこかよそよそしい存在であることは否めません。しかし、例えばここにいる大澤くんのようななんでも屋という存在は、ある意味では患者サイドと医療者サイドとの間で触媒のように作用してくれると思っているわけです」


 突然降って湧いたような話に、おれはまるで木偶でくの坊のように固まったまま先生の話を聞き流して、ただでさえ貧弱なおれの脳細胞は酔った状態で何の答えも生み出さなかった。


「いや、おれ。そんな医療や命に関わる仕事はさすがにできませんよ」

「いや……」先生はさも自信ありげに口元を引き締めて、わずかに吊り上げる。「人は何かをしようと思っていても、いざそのときに誰に相談すればいいのかがわかないものだよ。けれど君はなんでも屋をしながらとても広い交流を持っている。それは大きな財産だ。誰かと誰かをつなぐことだって立派な仕事になりえる。君は手伝い(・・・)と呼ばれる作業ではお金を取らずに、その人たちから何かの技術や交友関係を得ているというね。それは君自身が、人脈が財産になるとしっているからだ。違うかい?」


 先生の言葉は完全に的を射ていた。おれがこの島に来て初めてやった地域おこし協力隊のバイトをする中で感じたのはそこだった。

 誰かの協力なしに、この島で生活することは簡単じゃないってことだ。大なり小なり、この島では誰かと誰かが助け合って生きている。そうすることでこれまでやってこれたのだと、誰もが口をそろえていた。

 だから、おれのやっているなんでも屋『ANY(エニイ)』はただの便利屋をしているわけじゃなくて、誰かと誰かがつながるための小さな架け橋みたいなことをしているんだ。

 誰かの密かなSOSを感じ取り、そこにほんの少し、救いの手を差し伸べる。それがおれがやっているなんでも屋『ANY(エニイ)』の本来の存在意義だとおれは思っている。

 だからといって医療現場において、知識も技術も国家資格さえ持たないおれに何ができるというのか。

 すると先生は、考え込むおれにもう一言付け加えた。


「君がプロのなんでも屋として成長するためには、君は自身が得た財産を、今度は誰かに提供すべきだ。金を取ろうが取るまいが、それは立派な仕事だ。医療はなにも治療するだけが現場じゃない。君の仕事にはまだまだ多くの可能性があると僕は思っている。どうだい、僕たちのチームに加わってみる気はないか?」


 僕たちのチーム、と先生はいった。

 小さな片田舎に育ち、東京に夢を見て上京し、一人の歌姫と出会いスターダムにのし上がろうとした矢先、おれの小さなミスで歌姫は声を、そしておれはその歌姫を失った。そんなおれが何かにすがろうとしてやってきたこの島で始めた小さな手伝い(・・・)を、先生は必要だといってくれている。おれのこの小さな仕事に、先生は『可能性』を見出してくれている。そんな先生の言葉は海の底でおれの足に絡みつく海藻のように、柔らかくとらえて離してくれなかった。

 おれがこの仕事で信条としていることは二つ。

 ひとつは犯罪になることはしない。もうひとつは、達成できない仕事はしない。今回はどうだ。おれは自問自答の末、ひとつの答えを導いた。


「おれはなんでも屋です。できることならなんでもやります。ぜひよろしくお願いします」


 そのときおれは先生たちが送ってくれる拍手を浴びながら、ちょっと大きくなった気持ちでいたんだ。おれもようやく誰かに認められるようになった、ひと回り成長したんだってね。けれど、物事ってそう簡単にいくわけないよな。それくらい単純なおれでもわかりそうなものなのに、ほんと酒の勢いって怖い。

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