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8 合コン

 先生の講演会は「講演」というよりも、ソロコンサートの合間に医療に関するMCを織り交ぜるといったほうが近かった。先生が口にする話題はまるで一人漫談のようにどれもユーモアにあふれていて、それでいてしっかりと現在の離島医療や在宅医療についてふれられていて、知識のないおれでもちゃんと勉強になる。

 さらに、輪をかけて先生のギター演奏は趣味のレベルを超えていて、かつて音楽業界に身を置いていたおれが聞いても、安心して聞いていられるほどだった。先生はクラシックギターを中心に演奏していたけれど、何曲かはオリジナルの楽曲を弾き語りで歌ったりもしていた。なるほど、それでシンガーソングドクターか。こうやって見ていると、なぜ先生が講演会でギターをやるようになったのかが、何となくわかる気がした。

 単純に面白いのだ。医療講演会とは思えないほど、会場は笑顔に溢れていた。先生がシンクロと呼んだのは、彼の話を興味深く何度も聞くうちに、自然とその心構えが備わってきたということなんだろう。


 講演会が終わり、会場の片付けをしていたおれに、先生がにこやかな顔をしながら寄ってきた。


「大澤くん、お疲れ様でした。約束通り、今日の手伝い料(・・・・)ということで、明日にでもナースとの飲み会にいくかい?」そういうと、先生はおれの耳元に顔を寄せて囁く。「もちろん、若いナースも呼んでるよ」


 おれはとっさに、えっ、と声を漏らして振り返った。別に先生の言葉を受けて変な期待をしたわけじゃないけれど、妙に気恥ずかしくなってどぎまぎとしながら、ぶんぶんと両手を振ってその誘いを断ろうとした。


「いや、おれは別に……」

「あはは……冗談だよ、冗談。まあ、合コンじゃなく医療懇親会みたいなものでね。在宅医療に携わるドクターやナースとの意見交換会さ」

「それじゃあ、なおさらおれがいったら場違いじゃないですか?」


 いや、と先生は首をふる。柔らかな表情ではあるが、どこか芯のあるはっきりとした声でいう。


「実は今回はケースワーカーのコウジ君にも参加してもらうつもりなんだ。それに大澤君も僕にとってはもう立派に関係者だからね」

「おれがその場にいて邪魔になったりしないんですか?」

「もちろん。明日の午後六時からだよ。港町交差点にあるマリンプラザホテルの十一階が会場だから」

「わかりました。まあ、今日の打ち上げくらいの気持ちで行かせてもらいます」


 先生はおおきくうなずくと「そんな感じで」といって、残りの片づけをさっさと終わらせて、おれよりも一足先に地区公民館を後にした。


 事務所に戻ってその日の日報を書き終えたおれは、階下にあるカフェ「あしびば」に立ち寄った。思った通り、コウジはそこでいつものようにカウンターに座って、マコトとヒメコを相手に雑談に花を咲かせていた。


「よう、おかえり。ギターなかなか上手かったじゃないか?」

「コウジ。お前、もしかして先生とグルだったんじゃないか? あんなタイミングで先生が出ていったり、お前に気を取られているうちにこっそり戻ってきたりするなんて」

「随分だな。単なる偶然ってことだってあるだろ?」


 コウジのいうことはもっともだった。ふたりがつるんで、おれをステージにあげるために画策していたという証拠はないのだ。「そりゃあ、そうだけど……」とおれが口ごもると、やつはニッと口元を歪めた。


「まあ、俺が到着したとき、下の駐車場で先生に出会ったのは確かだけどな。せっかくだから、お前の演奏聞きませんかと俺が提案した。」

「グルじゃねえか!」とおれは咆えた。


 それをヒメコが「まあまあ」となだめる。何がまあまあ、だ。こいつもすっかり便乗しやがって、とおれは不満顔でカウンターテーブルに肘をついた。そのおれの前に、すっといつもどおりに無駄のない所作でマコトがコーヒーを差し出してくれた。


「お仕事、お疲れ様でした」


 不思議なもので、マコトのこの何気ない一言でおれの不満も、仕事の疲れもどこかに吹き飛んでしまう。それどころか、また次頑張ろうという気持ちになるんだから、男ってのはどこまでも現金。


「それはそうと、アキオも明日の合コンに誘われたんだろ?」

「合コン!?」


 ヒメコが蛇のような目をむけて睨む。コウジはマコトとは正反対だ。こいつの一言でいつも物事はこじれる。


「合コンじゃなくて医療懇親会だ! だけど、なんでコウジやおれに参加してくれなんて話になったんだ?」

「さあな。おれは戸別訪問するときに在宅療養している人と会うことも少なくないからな。アキオには何か頼みがあるんじゃないか?」

「頼み?」


 マコトのコーヒーをすすりながら、おれはオウム返しにいう。コウジはいつも通り、風に舞う木の葉のような飄々として掴みどころのない態度で「だって、アキオ。なんでも屋なんだから」と笑った。

 いくらなんでも屋でも、医療の現場やましてや人の生死のかかっている終末期医療のなかでおれにできることなんてあるのだろうか?

 そんな一抹の不安も、あしびばで一時間ほどうだうだと無駄な会話に夢中になっているうちに、すっかり忘れ去ってしまっていた。


 翌日の夕方、おれは約束の時間の少し前にマリンプラザホテルに到着していた。このマリンプラザホテルは島外からの旅行者も多く宿泊する老舗ホテルだ。島内にある施設としては珍しく複数の宴会場をもつホテルで、以前にもおれはとある会社の忘年会に呼ばれたことがあった。エレベーターで十一階にあがり、部屋の前に「離島在宅医療フォーラム 御席」と表示されたドアを開けて中に入ると、最初に目に飛び込んできたのは会場のほぼ半周をぐるりと囲む大きなガラス窓に映る、黄昏どきの港の風景だった。赤とも黄色ともオレンジとも表現しがたい、炎の燃えるような色に光る海面には、本土から入港してきた大型フェリーが浮かんでいて、最近整備されたばかりの新港にむけてゆっくりと接岸するところだった。


「やあ、大澤くん。よく来てくれたね。とりあえずそちらに座って」


 会場の中央で安田先生が席上からおれに声をかけてくる。横並びで五脚ずつむかい合わせになったレイアウトの一番下座におれは「失礼します」と会釈をして浅く腰を掛ける。おれ以外には先生の他、年配の男性と若い男性が一人ずつ、そして年配の女性二人と若い女性二人がすでに着席して、なんということはない世間話をしていた。コウジはまだ来ていないらしく、おれはなんとも所在ない心持ちで、会場の一角で存在感を消そうと努力していた。そのとき、会場の扉がそっと開き、様子をうかがうように一人の女性が会場に入ってきた。


「あの、遅れてすみません」


 そういいながら会場に姿を見せたのは、すらりとした細身の女性で、ゆるやかに巻いた髪が上品な印象だった。服装は華美ではないものの、淡い色合いのサマーニットのトップス、そして花が開いたようなに柔らかなプリーツのブルームスカートが、風になびく南国の花のように彼女の歩みに合わせて揺れていた。

 おれは自然と、彼女を目で追ってしまう。美人が目の前を歩けば、誰だってそうするものだろ? ただ、今回に関していえばおれはそんなやましい気持ちだったわけじゃない。おれは彼女を見かけたことがあったからだ。

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