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7 ACP

 結局、おれは先生の直々の依頼ということもあり、不承不承ながら前座をつとめることにした。セイヤがマイクで先生の講演までにおれのギター演奏を楽しんでもらうという案内をする。おれは来場者たちの小さな拍手に迎えられて、ステージ上にギターをさげて進み出た。

 意外だったのは、老若男女問わず幅広い層が先生の講演に来ていることだった。

 なんの挨拶もなしというのも変だったので、一言だけ挨拶代わりのMCをいれる。


「えっと、みなさん。今日は安田先生の講演を聞きに来られたと思うんだけど、先生が今遅れているようなので、先生の到着をお待ちいただく間に、軽くギター演奏を楽しんでもらえたらと思います。おれは大澤アキオといいます。市内でなんでも屋をやっていて、今日も手伝いに来たつもりが、先生に前座を頼まれてしまいました。正直、ついさっき頼まれて、なんの用意もしてなかったので、いろいろとトチったらすみません」


 おれが頭を下げると、最前列に座っていたコウジが「よっ!」と間の手を入れて、ひとりで賑やかに拍手をする。おれは、こうなった元凶をひと睨みしてから、ステージのど真ん中に置いた椅子に腰を掛けて足を組み、そのふとももの上に先生のモーリスのギターを置いてギターを構える。


「おれは、ちょっと前まで東京にいて、そこでギターを弾いて生活をしていたんだ。でも、いろいろあって数年前にこの島に来たんだけど、どうしてこの島に来ることになったのか。それはここで歌われている『シマ唄』という存在があったからなんだ。本来ならシマ唄は三線の伴奏で歌うんだけど、今日はギター伴奏のシマ唄をやってみようと思うんで、聞いてください」


 そういって、一旦間を置くように深呼吸をする。東京で初めてストリートに立ってライブをした時のような、妙な緊張感があった。左の指先に視線をむけ、ポジションを確認して、ふっと短い息をついた直後、おれの右手がしなやかな動きで弦を弾いた。

 医療関係の講演会ということもあり、おれは数少ないレパートリーのなかから、『豊年節』という曲の一節を歌うことにした。


 〽イヨーハレー にしぬ古見ぬ万亀まんかめじょ

  わたみゅんち 胸のせきゅんちヨイヨイ

  医者いしゃさま丸薬がんやくよんま

  長次郎ちょうじろうどんぬ 腕枕うでまくら ナロイ

ヤレーヤラシバ マタコイコイ


 昔、古見という場所に住む、まんかめという女性が病気になった。

 人びとがいうには、医者の出す薬よりも、愛する長次郎の腕枕のほうが彼女の何よりの薬だ。という、シマ唄の中ではよくある「伝聞」や「噂話」の類の歌詞だ。

 だが、おれはこの歌詞の妙なリアリティが大好きなのだ。四百年以上も前の人たちだって、今のおれたちと何も変わらない、そう感じさせてくれるいい歌詞だと思わないか?


 このシマ唄の他にも、おれは島でよく歌われる「行きゅんにゃ加那」というシマ唄を披露して、そのあとは、ネタも尽きたので、昔におれが必死にコピーをした押尾コータローの楽曲から、年寄りでもよく知っていそうな映画「ライムライト」のテーマ曲を演奏した。

 おれの演奏が終わって、まばらな拍手に包まれたとき、会場の後ろの席に座っていた男性が立ち上がり拍手を送ってくれた。

 まさかのスタンディングオベーションにおれはぎょっとして、その男性をじっと見つめた。そして、あっと短い声を漏らすと同時に、裏返りそうな声でその男性にむかっていった。


「安田先生!?」


 そこで立って拍手をしていたのは、おれたちが到着を待っていたはずのドクター、安田昇だったのだ。

 完全に先生に弄ばれたような気分になり、ムッとして声を荒らげる。


「ちょっと、いつの間に戻ってたんですか!?」

「大澤君が演奏をはじめる直前だ。せっかくだから僕もいち観客として聞いてみたくてね。いやあ、素晴らしい演奏だったよ。みんな、もう一度大澤くんに大きな拍手を」


 先生はそういいながら会場の拍手をあおりつつ、このステージに近寄ってくる。お疲れ様、とおれの肩をポンと叩くと、何事もなかったかのようにステージの中央の、さっきまでおれが座っていた椅子に腰をかける。と、同時にセイヤがギターを持ってきて先生に手渡した。


「えー、彼のプロみたいな演奏の後じゃもう耳汚しにしかならないけどね。さっそく今日のお話をしたいなと」


 そういって先生はギターを構えたまま話を始めた。おれは、手招きするコウジの横の席に座る。セイヤがおれの持っていた先生のギターを預かって裏に引っ込んだ。

 そして、おれは先生が話し始めたその最初の一言に仰天してしまったんだ。


「今日は遅れて申し訳なかったですね。実は終末期の患者さんの看取りだったんです」


 看取り、と先生はあっけらかんといってのけた。それは、先生が呼び出されたのは人が亡くなったからだということだ。それだというのに、先生の表情にはどこにも悲壮感が感じられなかった。


「今日、看取った方は膵臓を悪くしてらっしゃってね。しばらく県立病院にも入っていたんだけれど、結局本人のご意向もあって在宅ケアに切り替えて、私が。今朝、電話があって私が到着したときにはすでに息を引き取られた後でね、訪問看護師とともに死亡後の処置をして、ご家族に『よく頑張って支えて下さりましたね』と、ねぎらってきたところです」


 世間話でもするような軽い口調で先生は語る。おれには先生がなぜそんなにも、人の死についてあっけらかんとしていられるのかが不思議でならなかった。しかし、先生の話の続きをきくうちに、その理由も少しずつわかってくるようになった。


「今までだったらね、今日みたいな日は大変だったんですよ。患者さんのご家族は、いつになったら先生は来るんだ! といって看護師を急かしますし、病院の診察待ちをしている方には『在宅の方の容態が急変したので』と説明をして、後日改めてもらわなきゃならない。今日みたいに講演会なんかの日に重なったりすると、急遽中止にすることだってあった」


 先生は穏やかな笑みをその口元に湛え、会場を見渡す。


「けれど、こうやってみなさんとお話する内に少しずつその意識が変わってきた。それは、在宅ケアに関するみなさんや私の心構えがシンクロしてきた。そんな感じです。今日の方だって『先生の講演会が終わってからでも』なんていってくださいましたが、むしろ講演会前にいって、さっと処置をしたほうが、かえって都合が良かった。患者さんをお送りした後もさっぱりしたものですよ。私が普段からお話していることを、しっかりと心得ていらっしゃった。だから私はこうしていまここで、皆さんにお話ができるのです」


 そう話す先生の言葉はひとつひとつがわかりやすく、そして優しく心に響いた。

 在宅療養というのは、同居家族の肉体的、心理的両面の負担が大きくなりがちだが、先生は末期がん患者の終末期における治療にアドバンス()ケア()プランニング()をこの地域で推進し、それを浸透させるためにこうした講演を繰り返し行っているそうだ。ACPというのは、がん患者や家族が、医療チームと相談を繰り返しながら治療や療養の方針を決めていく、という終末期医療における緩和ケアなのだという。医師、看護師、介護士などがひとつのチームとなって患者や家族と接することで、心身の苦痛を和らげるだけでなく、それを予防し、生活の質を高める役割があるのだ。

 とくにこの島においては、大きな病院は少ないにもかかわらず、高齢化は年々深刻化していて、終末期を病院ではなく在宅で過ごすことができる環境作りが急がれているのだという。先生はそれを診療所単体ではなく地域包括で行うための旗振り役なのだそうだ。

 彼の往診は、年間にすると千五百件を超えることすらあるという。そして、月に数名、旅立っていく人を看取るという先生の話に、おれの興味は尽きることはなかった。先生の語る医療はまさしく「患者の目線」に立ったもので、離島というこの特殊な環境において、不可欠なものだとおれはそう確信していた。

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