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5 オンコール

 そういえば、今回の仕事を受けるのに、手伝い料の話をするのを忘れていたなと、今になって思い出した。まあ、コウジのことだから大した期待はしちゃいないけど……

 もしやナースとの合コン……か?

 いやいやと、おれは必死にその邪念を頭の中から追い出すように首を振る。


「それよりも先生、先にセッティング済ませちゃいましょう。 おれ、ちゃちゃっと音響組みますから、その間に先生はギターの用意しておいてください」


 おれがそういうとようやく先生は、おれの手を離し「そうだった、そうだった」といって、ギターケースを置いて、振りむいた。


「僕も手伝おう。これでもだいぶセッティングは覚えたんだよ」


 不思議な感じだった。医者なんていうのは、たいてい偉ぶってどこか一段高いところから、おれたちのことを見下ろしているような、そんなイメージを持っていたのに先生は全く違った。まるで、親戚のおじさんのようなそんな気安さだった。

 おれの興味がこの謎のドクターに一気に注がれたのはいうまでもなかった。

 パワーアンプ付きミキサーとスピーカーを接続し、さらにマイクを楽器用のものと、講演会用のもので四本ほど接続して、一通りの音が出るようになると、おれは先生に準備ができたことを伝える。


「やあ、ご苦労様。随分となれているんだねえ。僕なんて未だにミキサーのスイッチの意味すらよくわかってないんだよ。この前、ようやくオグジュアリーチャンネルの意味を理解したんだけどね」

「まあ、普通の人には関係ないことですからね。おれ、昔、東京で路上ライブしていたんですよ」


 そういってから、しまったと若干後悔をする。先生はおれに再び、「やっぱり前座でいいからやろうよ」と同じ話をぶり返してきたのだ。おれは、聞こえないふりをして、先生に「音チェックするから、楽器持って座ってください」といって、ステージとなる場所に椅子を用意し、ブームスタンドにマイクを取り付けた。


「堅いこといわずにやってくれたらいいのに……」と先生が年甲斐もなくふくれ面をしてみせたときだった。いやに機会的なピリリリという電子音がこのホールの中に鳴り響いた。先生は最近にしては珍しい、ストレートタイプの携帯電話を胸元のポケットから取り出して確認をする。

 それまでずっと穏やかだった先生の表情が一瞬にして険しくなり、まだ電話の応対もしていないのに緊迫した空気を周囲に発していた。


「安田です」と電話口にでた先生の口調はすぐに厳しくなる「意識レベルは? 睫毛反射しょうもうはんしゃはありますか? それでいま、ご家族は? ……わかりました。三十分ほどで到着できるから、その旨をご家族に伝えて、ご家族の了承が得られるようなら処置をお願いします」


 いくつかの質問をしたあと、一言だけの指示をいれて電話を切ると、先生はつっと真面目な視線をおれにむけていった。


「大澤くん、悪いんだけれど少し頼まれてもらえるかい? 電話呼出オンコールが入って、これから患者さんの処置にむかうんだ。ここは午後一時からだから、まだ時間は十分あるし、終われば戻ってくるつもりだけれど、諸々の準備についてはできる範囲で君にお願いしたい。間もなくこちらの事務局の者もここに来るので、彼らの指示に従ってください。僕からも指示をしておきます」


 先生はすこし早口にこれからの段取りについておれに丁寧に説明をしてくれて、その様子がなんとなく、ドクターっぽいなと感じさせた。彼からさらに二、三の指示を聞いた後、先生はおれのほうを振りむく。


「――それで僕が午後一時を回っても戻れないようであれば」と、わずかに目元を緩めて先生は笑いを含んだ声でいった。「前座として、場を繋いでください」


 苦笑いで固まるおれに、先生は「ついてきてください」と地区公民館一階にある駐車場へと連れ出すと、自分の車のトランクから、もうひとつギターケースを下ろして、おれに差し出した。


「それは練習用で持ち歩いているエレアコなんだ。そいつを使ってもらっても構わないので、万一のときはうまいこと場繋ぎしてもらえるかな。よろしく頼んだよ」


 そういい残して先生はそのまま運転席に乗り込み、車を発進させ駐車場を出ていってしまった。呆然とそのテールライトを見送るおれの手にはずっしりと重たいハードケースだけが残された。


 地区公民館の研修室に戻ったおれは、受け取ったケースをそっと開いてみた。練習用といいながら、中に納められていたのはモーリスのハンドメイドのアコースティックギターで、十万円は下らないものだろう。ボディの中心部が明るいキャラメルカラーで塗装されていて、縁にいくにしたがって濃いスモーキなブラウンのグラデーションを描くタバコサンバーストと呼ばれる、オーソドックスなボディーカラーのものだった。

 おれはそのギターをそっと取り出すと、ステージに据えた椅子に腰を掛けてその弦を軽く爪弾く。ブロンズ弦の振動から生み出されるサウンドはふくよかでありながら高音域がはっきりと響くブライトな音質で、その音色に導かれておれの心が数年前に若返るようだった。


 **


 それはまだアスナが交通事故に遭う以前のことだ。彼女の路上シマ唄ライブの練習に付き合うために、池袋のレンタルスタジオに行ったときのことだ。


「ねえ、アキオってギター上手いんだから、三線もひけるんじゃないの?」

「まあ、多分弾いて弾けないことはないと思うけど、でも変な癖がついたりしてあんまり良くないんじゃないの?」

「あたしも独学だし、別にいいと思うけどなぁ」


 アスナはそういいながら、おれのほうをじっと見つめた。このとき、おれはお囃子といって、アスナのシマ唄に間の手を入れる要員をしていたのだけど、アスナはどうやらおれにもシマ唄の「唄」を歌って欲しいようだった。


「それに、アキオのお囃子もだいぶ板についてきて、ちゃんとシマ唄らしくなってきているしさ。ね、もしかして密かに練習してたりして?」


 アスナの問いかけに「まあ、ちょっとくらいはな」と言葉を濁す。実のところ、おれはアスナとシマ唄をやるうちに、彼女のような伸びやかで美しい唄を歌えようになりたいと、すこしは思っていたのだ。けれど、歌のレベルではおれとアスナじゃ比べ物にもならない。だから、一緒に歌うのならばおれは彼女の歌を影で支えるくらいがちょうどいいと思っていた。

 するとアスナはぱっと瞳を輝かせて、さもいいことを思いついたといわんばかりに、おれの座っていたスペースに飛び込んできた。


「ねえ、アキオってギター上手いじゃん? で、作曲もできるでしょ? だから、ちょっとシマ唄をギターでアレンジして弾いたりできるんじゃないの?」


 どんな三段論法だよ、と大笑いしたものの、実際このときのアスナの一言がきっかけで、三線とギターデュオという、Reveレーヴとは別にもうひとつのユニットが誕生することになり、そしてその日以来、おれはアスナの路上シマ唄ライブにギターを抱えて参加することになった。

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