第7話
「ボス倒しに行こうぜ」
珍しくオオカミではない蜂型のモンスターを倒し、ドロップアイテムを回収している時、コウキがそんなことを言い出した。
「は?」
突然の提案に、思わず言葉が漏れる。コウキが何を言っているのか判らなかった。普通に考えて、昨日始めたばかりの低レベルな人間とボスを倒しに行くという発想は生まれない。それに、俺とコウキは『戦士と魔法使い』というバランスの良い組み合わせではあるが、パーティには回復役はおろか、補助役も盾役もいない2人組だ。
にもかかわらず、そんな提案をしてくるコウキにかける言葉は1つしかない。
「お前頭大丈夫か?」
つまり、心配するしかないというわけだ。
だが、俺の言葉を茶化していると受け取ったのだろう。あくまで真剣に聞いた俺をコウキは笑い飛ばす。
「いやいや、オレはいたって真面目だぜ? それに、ただノリでボス討伐を提案したわけじゃない」
「詳しく聞こうか」
ボスであれば、経験値も大量に獲得できるはずだ。策や考えがあっての提案であれば、勝機もあるのだろう。問答無用で切り捨てるわけにもいかない。
コウキを筆頭とするゲームが始まってすぐにプレイを始めた連中に追いつくにはそれなりのことをする必要があるはずだ。
コウキは食い気味で聞いた俺に「まあ落ち着けって」と言うと話を始めた。
「まず初めに、オレが言っているボスっていうのは正確に言えばボスじゃない。1つのエリア内に存在するエネミーのうち、頭一つ抜けて強いやつのことをボスって呼んでいるわけだ。
お前ならわかるだろうが、このゲームのリアル志向は徹底している。現実でありえないことはこのゲームでも起こらない。普通のボス戦でありがちな、倒したボスが時間経過で復活するってことも現実ではありえないことだから、ここでも起こらないってことだ」
コウキの言っていることはよくわかった。
俺が最近遭遇した出来事に当てはめるなら、ギルドのクエストの件だろう。普通のゲームであれば、ああいったことは何度でも受注できるし、他人が受注したところで自分には影響のないことのはずだ。
コウキに頷くことで話の続きを促す。
「それで、オレが挑もうって言っているのはシルバーベアって名前のモンスターだ。名前の通り、銀色の毛をしたクマ型のモンスターだな。
強さとしては今までに戦ったどのモンスターよりも強い。と言っても、それは総合的な強さの話だけどな。シルバーベアは単独で行動するから、オオカミみたいに連携攻撃はしてこないし、さっきの蜂型モンスターみたいに素早く飛び回ったりすることもない。ただ単純に、力が強くて体力があるってことだ」
「具体的な攻撃力の目安は? オオカミの何倍とかないのか?」
「そうだな……お前の場合だと、まともに攻撃を受けると一撃死するってレベルじゃないか?」
いくら俺がジーパンにパーカーの組み合わせという防御力のない装備をしていて、LPにSPを振っていないと言っても一撃死する攻撃力というのは、単純に力が強いでは済まされない気がする。
ちなみに、と言葉を置き質問を重ねる。
「俺じゃなくて、お前が攻撃を受けた場合はどうなるんだ? お前ならそこそこ防御力があるだろ?」
初めにコウキのステータスを見せてもらったとき、コウキはLPにいくらかSPを振り込んでいた。それに俺とは違い、布メインの防具だが籠手や胸当ても装備しているので防御力は高いはずだ。
そうだな、としばらく考えこんでからコウキが答える。
「俺の場合だと、体当たりを受けて最低でも3割ってところかな? 爪での攻撃なんかは上手く受けることが出来たら2割ってところだろ」
それは結構シビアな戦いになるのではないだろうか。最低でも3割、とコウキは言ったが、それはダメージだけの話だ。ダメージの受け方が悪ければ【骨折】状態になって、移動にペナルティを受けたり【出血】で継続ダメージを受けることになる。それを考えると、1発でもまともに受けると終わりと言える。前衛であるコウキが落ちた時点で、紙耐久の俺がすぐに死ぬのは目に見えている。AgiにもSPを振り込んでいないから回避するのも容易ではないだろう。
やはり、シルバーベアはリスクが大きいように思える。
「止めた方がよくないか? デスペナがキツイという話だろ? 今日の稼ぎがゼロになれば笑い話ではすまないぞ?」
デスペナ――つまりデスペナルティがこのゲームは結構、というかかなり厳しいらしい。リアル志向のゲームにおいて、死に戻りというのは死者が蘇るということなのだから、厳しいのは当然かもしれない。
内容としては、12時間のログイン制限及び、獲得経験値の減少だ。12時間のログイン制限はその通り、12時間の間ログインが制限されるということだ。これは半日の間ゲームがプレイできないということでかなり厳しいのだが、もう1つのペナルティがさらに厳しい。
獲得経験値の減少はプレイヤーによって減少量が異なるらしい。というのもこのペナルティ、実際はレベルダウンだ。ログイン制限が解除された後は、死ぬ前のレベルから1つ下のレベルでゲームを再開することになるらしい。しかも経験値は0の状態らしい。つまり、レベルアップ直前で死んだ場合はレベルが2つ上がるくらいの経験値を稼ぐ必要があるらしい。
つまり、今の俺であればレベルが2からやり直しということだ。そうなることは、どう考えても痛い。コウキに追いつくなど夢のまた夢になってしまう。
だが、俺の心配を知ってか知らずか、コウキは不敵に笑って言った。
「安心しろって。オレには秘策があるからな」
◆ ◆ ◆
「っとこの辺りがシルバーベアの生息地だな」
そう言って足を止めたコウキの目の前には、深く爪痕の残された木がある。深さにしておおよそ5cmといったところだろうか。結構な深さの傷が3本並ぶように残っている。シルバーベアが縄張りを主張するために残したものだろう。同じような爪痕の残された木が他にも見える。
ちなみに、とコウキに聞く。
「お前が木を切った場合はどれくらいの傷が出来るんだ?」
「この刀は別に業物ってわけでもなければ妖刀みたいな特殊な物でもないからなぁ。せいぜい2,3cmが限界なんじゃない?」
と答えたコウキは律儀にも木に刀を振るう。そして、木に残った傷はコウキにの言った通り2,3cmだった。つまり、シルバーベアの爪はコウキ以上の攻撃力、切れ味があるということか。それに、
「こうして見ると、結構太いな」
シルバーベアの残したものはコウキのものに比べて太さが1.5倍くらいある。刀が細い分類に入る武器とはいえ、かなりの太さの爪をもっていることが分かる。だが、
ここにきて引き返すわけにはいかない。
出来るだけ早く先頭集団に追いつくためとはいえ、俺がボスを目の前に控えて尻尾を巻いて逃げるような性分ではないことは俺自身がよく知っている。
「それじゃあ、行くか」
コウキの呼びかけに頷くと、爪痕の残った木が多くある方へ歩みを進めた。
そして、しばらくすると視界が開けてきた。だが、木がないから視界が開けたのではない。
「全部折られてるな」
目の前に広がる光景を思わず言葉にする。その通り、目の前に広がる空間はもともとあった木が全て折られたことで生まれた空間だった。木を折った犯人の正体は考えなくともわかる。シルバーベアだ。
木を折った理由は推測することしかできないが、折った方法については一目瞭然だ。間違いなく体当たり。折れている木はどれも断面が綺麗でなく、折れた箇所が幹の低い部分だ。その凄惨たる光景からシルバーベアの体当たりがどれほどの威力を持っているかがわかる。
そんなことを考えながら観察をしていた時、
「ッ!」
【索敵】に反応があった。
コウキも同じように【気配察知】に反応があったのか、腰の刀に手を当てて周囲を警戒している。
俺たちの警戒網に引っかかった相手は考えるまでもない。
「シルバーベアの登場だ」
【気配察知】で正体を特定したコウキにわかっていると頷きを返す。
そして、相手が向かってきていることは分かっているのなら、
「準備をする」
そう決めると、各所にルーンを仕込んでいく。これは【ルーン魔術】の専売特許ともいえることだ。【ルーン魔術】はその特性上、文字を書いておけば好きなタイミングで発動することが出来る。つまり、罠として使えるというわけだ。
そうやって何か所かにルーンを備えていると、シルバーベアの動きに変化があった。一定の速度で動いていたのが、一旦止まった後に移動する速度が速くなったのだ。
「気づかれたな」
「そうだな」
コウキと頷き合う。そして、
「【駿馬】」
コウキの足にルーンを書く。その文字が持つのは駿馬の意――足が速いということだ。つまりこの文字が持つ効果は『Agiのバフ』ということだ。これで、コウキは普段以上に素早く動けるということだ。
そうやって最後の準備をしていると、
「GUAAAAAAAAAAAAA!!」
腹の底に響く重低音の咆哮をあげたシルバーベアが現れた。主が不在の間に住処を荒らした不届きものに、シルバーベアの怒りのボルテージは最高に達している。
銀色の体毛を逆立てて、怒りのや宿る蒼い瞳でこちらを睨み付けてくる姿から伝わってくる重圧は並大抵のものではない。おそらく、今までにも感じたことのない恐怖だ。だが、だからこそ、
「「面白い」」
俺とコウキの言葉が重なる。
「GUAAAAAAAAAAAAA!!」
笑った俺たちが癪なのか、再び唸り声をあげる。腹の底に響く声はやはり恐怖を感じる。畏れも感じる。逃げ出したいとも思う。だが、
それは戦わない理由にはならない。
シルバーベアが一歩を踏み出す。その瞬間、
「【棘】」
仕込んでいたルーンを発動する。
「GYAAA!?」
鍵言によって現れた棘に足を刺されたシルバーベアが叫び声を上げる。予定通り、奇襲は成功した。だが、
「思ったよりも浅い!」
全てが予想通りにいっていないことを腰の刀を抜いて、巨体に切りかかったコウキに告げる。確かにルーンの棘はシルバーベアにダメージを与えた。だが、それは些細なものだ。本来の予定であった、足を貫き機動力を奪うということにたどり着くには鋭さが足りなかった。相手の持つ針金のような体毛を貫通することが出来なかったのだ。実際、叫び声は痛みに叫んでいるというよりも純粋に驚いているという感じが強い。
そこにコウキが追撃をかける。コウキが狙ったのは、俺たちを見据える蒼瞳。数多のゲームで鍛えられたその振りは狙い通りの軌跡を残す。だが、
「クソッ!」
コウキが舌打ち交じりに言葉を吐き、バックステップでその場を離れる。それと同時に足に宿っていたルーンの効果が消え、不意打ちの衝撃から相手が立ち直る。よくやく立ち直ったシルバーベアには爛々と輝く双眸が残っていた。
なぜ、と問う暇はない。疑問を頭から追いやり、手を、体を、頭を動かす。それらを止めた時点で勝ち筋は消える。
指を動かしルーンを綴る。
「【氷】」
発生した氷が、シルバーベア目掛けて飛翔する。だが、オオカミの頭蓋を砕いた一撃は腕の一振りで払われる。
そうやって生まれた隙に、コウキが走りこむ。駿馬のルーンの効果が消えたことで、その速度は先ほどよりも低下している。しかし、相手は腕を振り上げており、よけることが出来ない。絶妙のタイミングで仕掛けた攻撃は今度こそ成功した。
銀の毛が切り飛ばされ、隠されていた肉に裂傷が出来る。コウキのいた方向へシルバーベアが反射的にショルダータックルを仕掛けるが、すでにそこに傷を負わせた者はいない。コウキは体の側面を切ったそのままの勢いで後ろに走り抜けていた。だが、攻撃の代償として手に持つ刀の刃はボロボロになっている。次に攻撃することは望めない武器を、コウキは迷うことなく、
シルバーベアに投擲した。
無論、コウキ自身もその程度のことでダメージを与えられるとは思っていないだろう。しかし刃こぼれしていたとしても刃物が投げつけられた。しかも、しっかりと腰のひねりを生かした投擲はかなりの勢いになっている。結果、シルバーベアはコウキに注意を向け、走り出した。
その勢いはかなりのものであり、いくら前衛のコウキとはいえ大ダメージは逃れられないうえ、追撃を受けるおとは間違いない。さすがはボスと呼ばれるモンスター、巨体からは想像もできない速度で光輝との距離を詰める。十分に距離を取っていたはずなのに、両者の間隔は1mも残っていない。あと1秒もしないうちに、シルバーベアの攻撃はコウキに届くはずだ。
攻撃することが出来れば。
「【棘】」
再びシルバーベアの足元に鋭利な棘が現れる。そしてそれは今度こそ、その巨体を支える前足を貫いた。勢いよくコウキを追いかけていたことが仇になったわけだ。
「GYAAAAAAAAAAA!?」
今度こそ、本当の悲鳴を上げるシルバーベアの背中にポケットから取り出した魔石を投げる。昨日、ジェイクさんの工房でつくった魔石だ。そこには今朝刻んだばかりのルーンがあり、
「【太陽】」
瞬間、森の中に極小の太陽が生まれた。
目を閉じていたにも関わらず、発生した閃光に視界が眩む。
しばらくすると、視界が戻る。ようやく光をとらえることが出来た目で、眼前の光景を見た途端、思考が停止する。
「GUAAAAA……」
ほとんど死にかけ、虫の息であることは間違いない。だが、シルバーベアは生きていた。あの擬似太陽の生み出した熱量に耐えていたのだ。擬似太陽という名の通り、本物の太陽には届かない熱量であるが、決して威力が低かったわけではない。その証拠に、綺麗な銀色だった毛並みは解け、その足元は赤熱している。
残された最後の力か、1本だけ爪の残っていた腕が振り上げられる。標的は俺。確実にルーン石を投げるために近づいていたのが災いしたらしい。マジックバックから新たな刀を取り出したコウキがとどめを刺そうと走ってくるが、それよりもシルバーベアの爪が俺を両断する方が圧倒的に早い。
だが、諦めるわけにはいかない。ここで死んでやるわけにはいかない。それに、コウキの攻撃が間に合わないといっても死にかけの攻撃にキレはない。ルーンを書く余裕はなくとも3発くらい殴る余裕はある。だから、
足元に転がっていたものを掴んだ。
それは刀の柄だった。コウキが気を引くために投げた刀の残骸だ。もちろん、先ほどの一撃の余波で、刃の部分は完全に砕け散り柄だけになっている。
それだけであれば、何もできなかった。だが、転がり方が良かった。その柄は、刃のあった部分が地面と接していたのだ。
錬金術とは足し算だと教わった。故に、1のものでも10に変えることが出来るはずだ。イメージを強固にアビリティを発動する。
「錬金」
結果を確かめている余裕はない。掴んでいた刀を振り上げる。
キン、と金属音が鳴り響く。直後、
「GUOOO……」
シルバーベアの胸元から刃が生え、その両目から光が失われる。
「焔! 生きてるか!?」
ずしん、と音を立てて倒れた巨体の陰からコウキが現れる。必死の形相を浮かべ、こちらに近づいてくる友人に笑いかけると、
「馬鹿。俺のことは焔じゃなくて、ホムラと呼べ。ゲームのマナーだ」
そう言って体のお奥底から湧き上ってくる疲労感に身をゆだね、地面に倒れこんだ。微妙なイントネーションの差だが気になるのだ。
締まらない結末ではあるが、初めてのボス戦は俺たちの勝利で幕を閉じた。