電子の天国
電子の天国
沈黙を金としてきたこの民族にとってここは必要な場所だったのだろう。押さえつけられた感情が爆発したかのような喧騒になんとなく学校の休み時間を思い出す。
草原が無限に広がり、その周囲には店や住居等の建物が乱立している。立って談話を楽しんでいる人々は皆特徴的な…黒や白の単色にカラフルな衣装、果ては鎧まで…格好をしていた。共通点は皆喋っていることだけ。異様な光景だ。俺もまた、現実では絶対に付けないアクセサリーを色々付けている。
そう。ここは異世界。一昔前ならディスプレイ上にあった交流空間SNS。人呼んで、
「人造異世界 ユートピア」
この空間ができた時、俺を含め、今までSNSを利用してきた人々は、この空間にこぞって移住した。アバターは、着せ替え自由であるものの現実にある程度即した姿形で作られるため、アカウント偽造は実質不可能、また運営側のパトロールもあり絶対安全、とうたわれている。
まぁ絶対安全でないにせよ、オンラインで繋がるからには常にある程度の注意ははらうもの。特に気にしてはいない。
「よう!リョウ。」
リョウというのは俺の名前…この世界での俺の名前だ。その声に後ろを振り向くと、そこにはやはりユトがいた。
「遅かったねユト。」
「仕方ないじゃん。ログイン用のスマホ取り上げられてて、親が風呂に入っている間にこっそり使ってんだから。」
「大変だね。そりゃ。」
「だから今日も五分しか喋れないからね?」
「そんなもんだろカップルじゃあるまいし」
ユトと言うのは小学校の頃の友人だ。親友ともいえる間柄だったが、ユト自身の転校を境に会うことはなくなった。よくある話だ。しかし、「ユートピア」で再び出会うことができた。偶然にもすれ違ったのだ。この、広い世界で。だがこれも今ではよくある話。
他愛もない話を続ける。明日には忘れてしまうような内容だけど、遠く離れた親友同士にとっては必要な内容だった。そもそも「ユートピア」自体が他愛もないおしゃべり用に作られたアプリケーションなのだ。しかも使っているデバイス内に、喋ったデータはトーク履歴として全て保存されている。
ユートピアの広大な地に喋りたい人と座り、トークの意思を持つことで、自分達以外のユーザーを知覚しなくなる。つまり今、俺とユトは緑の地に座り喋っているわけだ。もちろん喫茶店やコーヒーショップの方が談話しやすいと言う人のために、そういった施設も存在しているが、俺とユトは数年間共に冒険し踏みしめてきた地面を選んだ。
「…また一緒に山に登りたいものだね。」
俺とユトがいた小学校は僻地のど田舎で、近くに山や川が沢山あり、よく共に冒険したのだ。まぁまぁの人数がいた小学校だが、俺はユトとばかりいたし、ユトもまた、同じだった。俺が近くの町に引っ越して高校生になり、ドアの内側で過ごす時間は多くなったものの、またユトと冒険できたらなという少年らしい性格も持ち合わせてはいるのだ。
「…うん。」
だが、返事は明るくなかった。さっきの一言のあとから、どことなくユトの表情が暗い。
「どうした?気分でも悪いのか?」
「いや、別に。そろそろ時間だしおちなきゃなっと。」
言いながら、ユトの姿がふっと消えた。ログアウトしたのだろう。同時にトークは終了され、目の前に沢山の派手な人々が現れる。
歩き回れば別の友人が見つかるかもしれないが、今はそんな気分ではなかった。それに、ユトの「バーチャル」での「リアル」な暗い表情が忘れられなかった。
仕方なく俺は、つらい事実の待ち受ける現実へと落ちることにした。暗い部屋、灯ったディスプレイ。この小さな城に居る俺は、ひょっとしたら冒険なんて欲していないのかもしれない。
日が昇り、また沈んだころ、俺は手元のスマートフォンを適当にいじり、専用のグラスをかけた。次の瞬間、盆と正月が一緒に来たような喧騒が耳におそいかかる。続いてこれまた騒がしい風景が目に飛びこんできて、自分が間違いなくユートピアにいることを理解した。
少し背伸びをして、群衆の中からユトを探す。ユトはいつも迷彩調の出で立ちをしているため、見つけるのは意外と困難なのだ。
「よう。」
肩を叩かれて振り向くと、そこには今日もユトがいた。
「後ろとられたか…まぁいいや。」
トークの意思を示し、その場に座り込む。
それからまた他愛もない話を続ける。そして話は最近攻略中のゲームのことに移った。
武器で怪物を狩るありがちなゲームだったがそれが楽しくてしょうがなかった。ちなみにそのゲームとユートピアは扉で繋がっている。プログラマーが同じらしい。
「それで、今日は時間があるんだ…。親がでかけててね。」
「おっそりゃいいや。じゃあやりますか。」
喧騒の中を歩く。喋っている人々に俺たちはいないのだろう。それはつまり、俺たちはいないも同然ということだろうか。
門をくぐりログイン手続きを一瞬で済ませると、俺たちは自由に怪物どもを狩るべくフィールドへ飛び出した。ゲーム内のフィールドはとても恐ろしい所だ。なにせ怪物がありとあらゆる場所を跋扈しているのだから。けれど、そこに土足で踏み込むのは紛れもなく俺たちなのだ。
高台から怪物を見下ろす。怪物の周りを高速で走りながらハルバートを振り回しているのはユトだ。軽装備で線の細いユトに似合わないそれは、長い棒にこれでもかと凶器が取り付けられた、危ない代物だった。華麗に舞うユトはとても、とても、とても、楽しそうに見えた。
この辺りで終いにするか、と思ったのはそれから十分後。俺は手元の弓を握り、矢を番え、そして、矢を上に射る。
物理法則を無視する速度で進んだ矢は、すぐに見えなくなった。俺はユトに叫ぶ。
「そろそろ帰るか。」
「えー。まぁいいや、仕方ない。」
ユトが高台に向かってくる。
「おつかれ」
「なんか疲れた。落ちるわ。」
そういってユトは帰っていった。現実で何かあったのだろうか。ユトの顔は確かに、青白く見えた。
「俺も帰るか」
高台を後にして、重い一歩を踏み出す。
刹那ー
大空の果てから、矢が帰ってきた。
奏でた爆音と衝撃波は、俺を追い出そうとしているかの様だった。
暗い暗い散らかった部屋。城と言うにはあまりに酷い有様のそこに、俺はいる。ディスプレイからは、可愛いキャラクターが笑顔を向けているが、それは嘲笑だろうか。一度生まれた疑念は消えない。電源を切り、嘲笑から逃れる。
ーいつもそうだ。そう思った。逃げて、逃げて、逃げて、何から逃げているのか分からなくなってもまだ逃げ続けた。そして、気づいた時にはここにいた。逃げ始めたのはいつだったっけ?
ドア越しに母親が喚いている。彼女もまた俺が引きこもっている事実から逃げたいのだろう。その気持ちは分かるのだが。
弱くなってしまった俺には、あまりに煩すぎた。俺はいつも通りドアに枕を投げた。毎日続く日常の一部。これをやると、母親は諦めて帰るのだ。そして今日も静かになった。
一つ違うことがあるとすれば毎日の衝撃に耐えきれなかった枕が、自慢の蕎麦殻を吐き出しながら破けたことだろうか。仕方なく俺は部屋の押入れから掃除機を取り出し、電源を点けた。俺は押入れの中に見たくなかったモノを見た。それは俺が、このひどい世界で生き延びるために得た「刀」だった。だがそれも今では、俺に襲いかかる世界の一部と成り果てていたのだ。俺はすぐさま、目を逸らした。
掃除機が、どうしようもない騒音とともに瞬く間に蕎麦殻を吸い込んで行くのを見て、俺は掃除機もまた、人間が掃除から逃げたくて作ったものなのだと悟った。
だとすると、ユートピアで喋る彼等も、何かから逃げてきたのだろうか。底抜けに明るい彼等の、その明るささえもまた、紛い物なのだろうか。
きっと俺は、その明るさから逃げてきたのだろう。なのに今は、明るさの中にいる。
バーチャルの明るさの中に。
時計のアラームが、その時間を告げた。いつも通りの日課ー大切な時間だ。「ユートピア」へと入り込むためグラスをかけた。
グラスの向こうには、騒々しい声が響き渡っているはずだった。いや、いなければならなかった。
ーな。
しかし、そこにあったのは果てしない静寂。いつもの建物も廃墟のように、どこか申し訳なく立っている。広い、広い緑の大地だけが生き生きと存在していた。
いつも一人でいるはずなのに、「この」一人には耐えきれなかった。吐き気に襲われ、ふらふらと歩くのがやっと。そのまま倒れこみログアウトした。
部屋の外で今日も母親が嘆きの声をあげている。だが、今の俺に返事をする余裕などない。何故「ユートピア」に俺一人しかいなかったのか、その理由を確かめる必要がある。もっとも、それに過剰な労力は必要ない。ユートピア、と検索をかけて、一番上に出てくるユートピア公式サイトを見ればいいのだ。
公式サイトを開くと、見慣れたロゴがアニメーション付きで現れ、続いて「ようこそ。ユートピアへ。」という工夫の欠片もない文章がふんわりと浮かび上がる。そこまで見てやっと、サイトの来訪者は詳細を確認できるのだ。
だが今日は、画面上に小さなウィンドウが浮かび上がった。
「緊急メンテナンス中」
見ると、今日は朝からメンテナンス中でログイン不可だということ。
「だとしたら、さっきのあれは?」
思わず独り言が漏れる。だがやるべきことはひとつしかなかった。
俺はいつも通りグラスをかけ、ログイン操作をし、いつも通りとは程遠い「ユートピア」へ旅立つ。
視界が暗転している一瞬。その一瞬で、思考を集中させる。俺がログインできたということは、今、メンテナンスは一切行われていないということだ。では何故、他の人はログインできていないのだろう。公式サイトでの告知があったにせよ、俺の様に知らずにログインしようとした人はごまんといたはずだ。
耳に騒々しい響きは入ってこなかった。視界が開けた時、見えたのはさっきと同じ静かな「ユートピア」だった。たが俺はもう、この光景から「逃げ」はしない。立ち向かう。大声をあげながら、建物を一つずつ開けていけば人が見つかるはずだ。それでも無理なら公式サイトに載っていた問い合わせ窓口に行けば、なんらかの回答が得られるはず。
俺は一歩を踏み出した。
ーそして、誰かが俺の肩を叩いた。
「ーっ!」
凍りつく背筋。世界が止まった気がした。おそるおそる…いやそれではホラー展開の確率が上がってしまう気がする。俺は覚悟を決めふっと息を吸うと、睨みつけるように一気に振り向いた。
「なんだよ。ご挨拶だな。」
そこにいたのは、いつも通り、やや装飾過多な迷彩服を身につけ、涼しい表情を浮かべたユトだった。
「そりゃこっちの台詞だ。死の覚悟をしたぞ。紛らわしい。」
「そんなの知るか。それよりこの有様は、どういうこと?」
「それが知りたくてここに来たんだ。」
友人を見つけた事で、安心感が芽生え、体中の緊張を解く。だが、ユトが次に語った一言は、俺を安心から叩き落とした。
「ー一度はにげちゃったのにね?」
「なに?」
まさかあの、今日一度目のログインの時、ユトはいたのだろうか。いや、あの時確かに周囲に人の気配など無かった。
「まぁ来てくれて助かったよ。君が逃げっぱなしだったら、あきらめなきゃいけないとこだったんだ。」
「ーは?何言ってるんだ?ユト…。」
「もう時間がないんだ。」
「おちつけ!ユト!」
「おちつくのは君の方だ。ひっきーのリョウちゃん。」
我慢の限界だった。なんで俺が引きこもっているのを知っているのか。そして、なんでそんな深刻な顔をしているのか。そんなことはもうどうでも良かった。
「馬鹿にしてんのかてめぇ!ユト!いや…
佐々木ユウトッ!」
ネットじゃ御法度の本名名指し。そして本気の右ストレート。
ーだがそれをユトは、涼しい顔をして、後方宙返りで躱してしまう。そして彼は笑顔でこう言った。
「さあ。最後の冒険だ。楽しまなくちゃ。」
瞬間、彼の手の中にあのハルバートが現れる。だが近くで見るそれは、ハルバートとは似て非なる物。例えるなら地獄そのものだ。
「リョウはやっぱり弓より刀だよね。」
俺の手に、刀が現れる。ただの刀には見えない、ゲームにありがちな豪華絢爛な刀だ。
「なんで、知ってる?」
俺は引きこもる前。すなわち中学校の間と高校の最初はずっと剣道をやっていた。だがユトはその質問には答えず、逆に質問を返す。
「強くー強くなりたかったんだろう?そして君は知らなければならない。
何故ユートピアがこんな有様なのか」
「ユウト…!つまり、お前は何か知っているんだな?」
刀を握る手に力を込める。今まで刀ではなく弓を握ってきたのは、とどのつまり、逃げたかったからだ。だが今、俺の体は、剣道をやっていた時の様に、いや、その時以上に体に順応していた。
幾度となく打ち合い、その度に体力が削がれていく。だがその途中で、ユトが切り出した。
「ごめん。もう無理みたいだ。最後の冒険…楽しかった。真実が欲しければ。会いに来てくれ。」
「はっ?何言って…。」
止める間もなく眼前からユトが消えた。
それを追うようにしてログアウトした俺だったが、後味が悪くてしょうがなかった。
何故か真実を知っているユト、時間がないんだと言っていたユト、そして何より、彼が発した最後の冒険という言葉。その全てが胸に引っかかる。なんとか眠りにつこうとしたが無理だった。
次の日の朝、俺は机の引き出しにしまっていたナイフを手に取った。
そのナイフはまぁまぁな代物で、ユトとの冒険で使っていたものだ。もちろん斬り合うためのものではないが、その切れ味は十分すぎたし、俺の門出にはちょうど良かった。一年弱の引きこもり生活で伸びた髪を一気に切り裂く。押し入れを開け、服を出して着替えて、部屋のドアを開ける。難攻不落の壁は内側から案外簡単に開いた。そのまま洗面所に向かい、顔を洗う。
ー簡単にいえば俺は真実が欲しかったのだ。
俺は外に出て自転車に跨る。だが一年の間にその空気は抜けてしまっていた。俺は隣に置いてあった父親のマウンテンバイクに乗り直す。山を走るならこっちの方が向いているのだ。さぁ出発だ。庭で洗濯物を干していた母が、驚愕の表情を浮かべ、折角洗った服を取り落としたのを俺は見た。
街を疾走する。上り坂を進むとやがて風景には緑が多くなり、上り坂の頂上あたりで懐かしい田舎が見えてきた。大河は用水路に、森林は竹藪にと、ランクダウンしている様に見えたが、確かにそこは冒険の舞台だった。
思い出したくない思い出もある。だが逃げるのはもうやめよう。
ユウトは線も細かったし色白だった。対して俺は日に焼けていたし、世界に刃向かうような目の色をしていた。世界に〜というのはユウトの談だがあながち間違えていなかったのかもしれない。
そんな異端者二人はいつもいじめられていた。気づいた時、俺をいじめていないのは隣のクラスのユウトだけで、ユウトをいじめていないのもまた、俺だけだった。
お互いの存在に気付いたのはそんな頃。先に話しかけたのはどっちだったっけ。先に冒険を思い立ったのはどっちだったっけ。
俺が親の都合で引っ越すときに唯一見送りにきたのはユウトだった。それから俺は一人で戦うことになり、必死で世界に戦いを挑んで敗北した。早い話が剣道をしようが引っ越そうが進学しようが、いじめられることに変わりなかったのだ。変わらなかったどころか、近くにいた理解者さえ失った俺はゆっくりダメになっていった。
ーだがそれはユウトも同じだったのではないだろうか。
佐々木の表札はすぐに見つかった。何より俺はユウトの家を忘れていなかったのだ。おそるおそるチャイムを押して、でも昔の様にぶっきらぼうに告げる。
「リョウだけど。」
返事はなかった。少し待ってみよう。それでもだめならもう一度鳴らせばいい。そう思ったとき、がちゃりと音を立て、扉が開いた。
無言で、何よりも雄弁だった。黒い服に身を包んだ彼女の顔は、どう見ても息子を自分より早くに亡くしてしまった親の、生物としての本能的悲しさに囚われた表情をしていたからだ。
「最後の」
「時間がない」
「楽しまなくちゃ」
ユウトの声が次々フラッシュバックする。
ユウトの母親はなにやら沢山声を掛けてきたが、全く耳に入らない。その耳をつん裂くような声が代わりに響き渡る。
「あんたがリョウって奴?だったらこないでよ!一度もお見舞いに来なかったのに!お兄ちゃんはあんたをずっと待ってたっていうのに!」
「止めなさい。ヒメコ。リョウ君に連絡しなかったのはユウトが…。」
「いや…いいんです。気づかなかったのは僕ですし。」
俺はユウトに妹がいたなんて聞いたことがなかった。友人のことすら何も知らない。そんな事実に寒気がして、ここにいること自体が間違いな気がしてくる。
「間違いじゃない。」
響き渡る声。目の前の光景は明らかに「ユートピア」だった。そして、そこに立っていたのは、装飾過多迷彩のユト…いや、ユウトその人だった。
「いや。間違いなんだ。あの日、俺が引っ越した日。俺だけが逃げだそうとしたんだ!」
「ばか言うなよ。あれはお前の家の事情だろうがよ。」
「でも、あの日、俺は間違いなく。」
解放されると、思ったんだ。冒険と、辛い日常を秤にかけたんだ。
その言葉は口にできなかった。ユウトの声量が最大に達したからだ。
「馬鹿野郎っ!お前が逃げているのはいまこの瞬間だっ!いや?でも?知るか!真実が知りたいんじゃなかったのかよ?それとも怖気付いたか。この死人に。」
今まで、ユウトがこんな声量で話したことがあっただろうか。ユウトは容赦なく続ける。
「…忘れたのか?お前は今日、何かを変えようとして城を飛び出したんじゃかったのか?それとも、道にでも迷ったのか。」
「道になんて迷ってないし怖気付いてもない
分かってんだよ。そんなことは!」
「それでいいんだ。さ、行くぞ。」
ユウトが歩き出す。振り返らず、歩き続ける。それは、俺がついてくることを前提とし動きだった。「ユートピア」の風景は相変わらずいつも通りなはずなのだが、その草木一つ一つが冒険の風景を思い出させる。
不意にユウトが立ち止まる。
「後ろ、振り向いてみなよ。」
「ん?」
言われた通りに振り返る。そこに広がっていたのは「ユートピア」全景だった。
「うおお。こんなに広かったのか…」
そこから見えたのは、大地や店が広がるいつもの場所だけではなく、森林らしき緑の空間に、遺跡らしきなにか、そして海らしき青い平面が広がっていた。
「ごめん。不鮮明だろ。なんせ広すぎるんだ。全部見渡せるのはここだけさ。」
「いや、別にいいけどさ。なんでユウトがこんな所知ってんだ。」
別に大仰な答えは期待していない。只、こういう名所を見つける技術が知りたいだけなのだ。だなユウトは恐ろしいことを言ってのけた。
「簡単なことだよ。ユートピアは佐々木ユウトが造ったんだから。」
「…な。」
「リョウが引っ越してからさ。恥ずかしながらすぐ引きこもっちゃって…。その間にいろんな技術を身につけたんだけど、なんか身体に限界が来ちゃってさ。で、死ぬのが怖くてこれを造った。」
「お前…どんな引きこもり方を…。」
自分との落差に悲しみを感じつつ尋ねる。
「気合い。」
…気合い?
「そ。とにかく自分のために造ったんだ、これは。ユウトのユートピアなんだ。」
「じゃあなんで。なんで他の人のトーク空間にしたんだ?お前のためのユートピアなんだろ。」
「沢山人が来たら、君がくる確率が上がるだろ。まあ引っ込みつかないし、ここはこのままトークアプリにしとくよ。それにそうすることが、出資者の条件だし。だいたい今日は人払いしといただろ。」
「出資者…なるほど。まぁこれ作るにゃ金かかるわな…」
「当たり前。とにかく僕は、嬉しいんだ。ユートピアを作った目的の一つはリョウと冒険しなおすことだからね。会えたのもよかったけど、何より最後に僕の名前を呼んでくれた。本名なんて忘れてるんじゃないかと思ったんだ。」
「忘れる訳ない。只俺は、ユトをユウトと完全に認識しきれなかった。あるいは、俺はまだ、過去から逃げたかったのかもしれない。だけどさ。気付いていたんだ。ユウトがゲームしてるとき、本当に楽しそうだった…。あれ、現実で体が動かないから…」
「参ったなぁ。そこまで見られてたのか。」
「だけどもう、俺は逃げない。ユウトが死んだっていう事実からも。」
「ああ。それでいい。けど僕はここから成仏したりしないよ。僕はユトで、ユウトではないからね。」
「それ、どういうことだ?ユトはユウトだろう?」
この質問は、あるいは真実への第一歩なのだ。ユトはまるで、他人事のように喋り出した。
「ユウトは死ぬちょっと前、自分の書いた文章、自分の読んだ本、そして自分の組んだプログラムを僕に片っ端から読み込ませた。今の僕はユウトの分身だよ。質問には、ユウトと同じように答える。僕はユウトのユトでもあるけど、それ以前にユートピアのメインシステム、ユトなんだ。」
「…今まで俺が喋っていたのはユウトなんだよな。」
「大丈夫。僕がユウトのユトになったのは、昨日、ユウトが死んだ瞬間からだよ。ああ、僕ってのは一種の例えで、別にユートピアに人格はないんだけど。」
俺はそこに、禁忌を感じずにはいられなかった。
「なあ、ユト。俺は逃げはしない。ユウトは死んでるんだ。ユト。君は必要ない!」
「君が逃げなくても、僕は逃げたいんだ!死にたくないし…それに冒険し足りないんだ!いいんだ。僕が亡霊として存在できるのはユートピアでだけだ。」
「なに言って…」
これがユウトだろうか。ユトがユウトと同じだとしてもユトとユウトにはずれがある。
「僕がユートピアを造った最高の目的はこれさ。死人のデータをここで具現化する。早い話が天国だ…だがここにいる死人と、地上の生者とは自由に話せる!」
そんなこと…。いや、間違っていると言い切れるのだろうか。現に俺はユウトと話すことができて喜んでさえいる。人が欲していた天国の具現化にユウトは成功してしまったのだ。
「この話は出資者にもしていない。分かるよね…。これは万人に与えられるはずの権利だ。もしリョウが、ユウトともっと一緒にいたいなら、冒険したいなら、君がユートピアを人造天国として運営しろ。もし、ユウトの死を逃げずに受け入れ…かつ、この世の全ての人に逃げないことを強制させたいのなら、この話を公表しなければいい。けれど覚えておいて欲しい。人は天国をいつだって欲してきたし、あらゆる宗教はそれを人に与えてきた。今回はそれを科学技術が与えるんだ。」
「分かった…君はユウトじゃない。君は…貴様は天国に成り上がりたい、ユートピアそのものだろう。だが貴様は天国にはなれない。貴様は悪魔…死人に化けて生者を惑わす悪魔にすぎないんだろ!」
「リョウ…まさかそこまで言うなんてね。でもさ。涙が溢れてるよ…。僕も君が泣いているのは見たくない。」
「だまれっ!悪魔ッ!!」
「僕は確かにユートピアだ。けど同時に僕はユウトなんだ。ー前言撤回。リョウにも選択から逃げる権利がある。僕が、死から逃げ出したように。」
「なっ…今更ユウトの真似事か?」
「だから違う。僕は間違いなく!ユウトなんだ!君といたかったユウトだ!」
視界がくるくると回る。まるでルーレットを回しているようだ。その回転に酔いを覚え
かけたそのとき、俺は佐々木家の前で自転車に乗っていた。
…?
俺は選択から逃げた…?
でもこればかりは逃げ出してもしょうがないのかもしれない。生き死にに関わる選択なんて、数々の奇跡を起こした男や天使から天啓を受けた商人、或いは悟りに至った元王子でも正しくはできないはずだ。
自転車をこぎ始める。何かから逃げるように加速し、家へ向かう。死の間際、ユウトは正気だったのだろうか。冷静なままで、天国を造ろうと思い立ったのだろうか。答えが知りたければユトに聞けばいい…だがその答えはユウトの答えと同じとは限らない。例えユトが、ユウトのデータからできていたとしても。
家に着くまで…正しくは自分の部屋に着くまで、俺は放心状態だった。けれど部屋の扉を閉めたとき、完全に正気に戻った。
何故俺は外に出たんだろう。ここにいれば悩む必要なんてないのに。そうだ逃げないためだったんだ。でも今は休まなきゃ。俺はベッドに倒れこんだ。久々に動かした体はもうズタボロで暫く動けそうになかった。
「ー。」
スマホが震えている。その画面が光っているのは分かった。つまり着信だ。体を変な方向に捻って、置いてあったスマホをとり、画面をのぞく。
「着信中 fromユートピア」
誰がかけてるかなんて考えなくても分かる。そして、俺が出るまで切れないことも分かっている。俺は黙ったままグラスをかけた。
そこは紛れもなく「ユートピア」だった。溢れる人、活気付いた建物達。けれどその中の何人が、俺の隣にいる人物が死んでいることを知っているのだろうか。彼は少なくとも俺が選択に迷っている間はここに生者として存在する。俺がここを天国にすると告げれば彼の頭上に輪が浮かぶなど、なんらかの処置がとられ、データの天使だとすぐに分かるようになるのだろう。天国なんてクソ食らえだと言えば、ユトはいなくなり、ユウトの意思とも話せなくなる。
ユトが口を開いた。
「悪いとは思ったけど、呼び出させてもらったよ。やっぱり、逃げて貰う訳にはいかないんだ。」
「誰が逃げるかよ…!俺だって薄々気付いていたさ。俺たちは神じゃない。」
「けど霊と交信とかなんとか言ってるやつよりましだろ。科学的裏づけのある…」
「科学的裏づけのある迷信だろう。いくら似ていても、ここにいるユトはユウトじゃない。例え同じ質問に同じ答えを返すとしてもだ。だから止めてくれ。ユウト…いや。ユートピア。」
「勘違いしてるようだけど。ユートピアは存在するだけで意識なんてないんだよ。」
「でもユトはユートピアなんだろ。」
「でもこの意識は間違いなくユウトのものだ。なあ、もうこんな堂々巡りはやめないか。答えは見えてる。ユートピアとして答えを告げようか。」
「答え…?」
「みんなにこの選択を強いることさ。つまり死人を連れてくるかどうかはユーザー自体。君一人で責任負わなくてもいいんだ。」
はっきり言って、最高の答えに見えた。いや、ユトと話し続ければ続けるほど、ここは天国に近づくのだ。この辺りで引き上げる以外に手はなかった。
「分かったよ。ここは天国だろう。生者がいていい場所じゃない。」
「え?」
ユトが驚いた顔をする。
「ユウトが言った通り、俺がここを天国として運営する。でもそこに地上との門があったらだめなんだ。」
「や、やめろ。リョウ。お前、僕にもう会いたくないとでも…」
「死人に口無しと言うだろ?その死人が、生者とトークアプリで話してどうする?天国は地上からの一方通行だから天使なんだよ。」
「リョウ。考え直せ。悲しむ人を減らさないと…」
「じゃあなユウトの亡霊…」
結局俺は、前時代的選択をしてしまったのかもしれない。俺は「ユートピア」を魂の檻にすることに決めたのだ。即ち、ユートピアの一般利用を禁じ、希望していた死者のデータだけをいれていく。生者と死者が触れ合ったのは俺とユトを最初で最後にしなければならない。俺はユトに、自分の理想的なユウトを期待してしまっていたのだろう。
斯くいう俺も「ユートピア」埋葬希望者だ。大して特別なこともない人生を「ユートピア」の天使として生活しているが、「ユートピア」でのユトとの再会を楽しみにしている節がある。
つまるところ天国なんて地上から想像し、少し楽しみにできる程度で十分なのだ。死者と話をしたところで、理想と現実の落差に苦しむだけなのだから。
本当はこんな話を書くつもりじゃなかったのに…。
ユトさん勝手に暴走しすぎなんだ。
自分の考えていることも保証できなくなってきた…。
暑くなってきましたが、ばてないようにがんばります
一話完結ですが!