はじまらない物語 そのに
入学式から、半月が過ぎた。
日差しはだいぶ暖かくなってきたし、生徒も緊張が解けて、仲良しグループなんかが出来上がっている頃である。
だというのに、おれときたら、いつもひとりっきりの昼食タイムである。
やばい。
何がやばいって、おれのトモダチの話である。
両コブシをかたく握りしめてくれ━━立っている指は何本だ?
そう、それがおれの友人の人数である。
どうしてこうなった。
いやまて、ちがう。
おれは人気者だった。
入学式当日、おれは教師連中を相手にして大捕物を演じてみせた。
その噂を聞いてやってきた同級生たちに、あれこれ吹聴したときなど、おれの周りには人垣ができていたのである。
男子も女子も関係なく、皆がこぞっておれの話を聞きたがった。
もちろん、調子に乗りすぎて話の内容にボロが出ないように、脚色はしても誇張はしていない。
その証拠に、あの時の皆は眼を輝かせていた。
はずなのに━━どうしてこうなった。
「なぜだ」
おれは校舎裏の日陰で、ひとり頭を抱えていた。
「どうしてこうなった」
教室でひとりさみしくゴハンを食べるくらいなら、こうして学校の片隅で、ひとり気ままに昼食を摂るほうが、いくらかマシである。
「同じような境遇の美少女が、ひょっこり現れたりしないかな」
あちこち視線をめぐらせると、電柱にとまったカラスと目があった。
「いっそカラスでも擬人化してみるか」
脳内で、白い肌に黒髪という美少女の妄想をしてみる。
かあ。
かあかあかあ。
かー。
「うるせえ」
おれはどうも即物的というか、実物が目の前にあると、それしか脳内で再現できないらしい。
美少女鴉っこは、残念ながらただのカラスにしか視えなかった。
「いやまて、白いカラスってのもありだな」
白い肌、白い髪、白い服、白い目━━きたぞこれは。
「ただのゆうれいだな」
「そうだな」
頷いて、おれは膝の上に乗せたサンドイッチを口に運ぶ。
「それはなんだ」
「サンドイッチだ」
「弁当は作ってもらえないのか」
「うちは両親が共働きでな。このあいだ妹に頼んだら、新品のマヨネーズとしょうゆが置いてあった」
「お前の家では一気飲みするのか」
「しねえよ」
醤油とマヨの一気飲み━━ガチで死にそうだな。
隣を見ると、どこかで見た気がする女子生徒が座っていた。
「ええと、誰?」
「ゆうれい」
即答する彼女の足を見ると、二本あった。
「細くてきれいでしょ、触らないでね」
「幽霊に足はねーだろ」
「足なんて飾りだよ」
おれはその台詞にピンときた。
「そうだな━━あんなの飾りです。エライヒトにはそれが分からんのですよ」
「あとエロい人な」
「そうだな」
どこかで見た気がする女子生徒は、神妙に頷いて、ニカニカと笑った。
「どこかで会いましたか?」
おれが首を傾げると、女子生徒も同じ方向に首を傾げた。
「どこかで会いましたよ?」
そういう彼女は結構な美少女である。猫のような愛嬌のある目に、明るい色の髪をところどころ結わえて、制服も教師に目をつけられない程度に着崩している。
その一方でおれはというと、伸びかけた髪は寝癖がついているし、学ランはヨレているし、今朝は洗顔をサボっている。
ちょっと誇張してしまうと、血統書つきの猫と、野良犬くらいの組み合わせである。
やばい。
ドキドキしてきた。
これが垢抜けないメガネのそばかすガールとかなら、おれも男度胸の千両役者で乗り切るのであるが、残念ながら美少女となるとそうもいかない。
おれは彼女を直視できなくなっていた。
オタクネタなど披露した数秒前の自分を、本気で絞め殺してしまいたい。
「読む本は、トルストイかな」
「わたしはマンガしか読まない」
「あとニーチェはいいよね」
「フルーチェおいしいよ」
「でもやっぱり太宰がすきかな、日本人としては」
「ラノベとかアニメすきだよ」
「うん……おれもラノベとアニメしか見ない」
ポキン。
ガシャーン。
バラバラバラ。
そんな俺の精神状態を無視して、彼女は続けた。
「あ、でもマーフィーの法則は面白いと思う」
「おれはグーフィーのほうが好きだ」
「ミッフィーは?」
「キティちゃんと区別がつかねえ」
おれは確信した。
「え、耳があるかどうかでしょ」
このこはアホだ。
「キティはネコ耳で、ミッフィーはウサ耳だ」
「両方……耳がある!」
「あたりまえだ━━なんだ、お前の中ではあいつらの片方はみみなしホウイチだったのか?」
「じゃあ、もっしぃは?」
「……なんだよ、もっしーって」
ふなっしーか?
「ヌイグルミ」
「いや大抵のキャラはヌイグルミだろう」
「わたしの」
「んん?」
「自作キャラ」
真性のアホの子は、鞄についたぬいぐるみを見せてくれた。
「片目が取れてんじゃねーか」
「昨日、キノコにやられた」
「キノコ?」
「うん、かじられた」
「は━━?」
おれは一瞬だけ、牙のついた口のあるキノコ型モンスターを想像した。
「キノコってなんだ?」
「菌類」
真面目な顔のおれに、真面目な顔でアホの子は返す。
「菌類にかじられて、目玉がなくなったのか」
「ううん。キノコはうち飼い犬」
彼女の台詞に、おれの理解がおいつくまでに、相当な時間を要した。
そして、おれは、ゆっくりと口を開いた。
「そうか━━うちの飼い犬はヤマトってんだ。よくおれのフィギュアを噛み砕く」
「目だけ?」
「いいや、耳だけちぎられ━━待て!」
そこまで言って、おれは正気に戻った。
「なに?」
「おれたちは今、何の話をしているんだ?」
「え、お弁当じゃないの?」
「……ソウダナ」
全てを腹の中に飲み込んで、おれは視線を地面に落とした。
自分の影が、うすらぼんやりとしているように感じる。
「あ、いまのそうだなは、気持ちが篭ってない」
うるせえよ。
ジロリと睨んでやると、もう女子生徒はいなかった。
「またくるからー」
おれが見たほうと反対方向に、アホの子は走り去っていった。
(━━またくる?)
もう授業の時間なのだが。
そしておれはまだサンドイッチを食べ終わっていないのだが。
なのだが━━放課後も、もう少しだけここにいようかな。
いやほら、あいつと待ち合わせとかじゃなくてさ、ここは人気も少ないし、気軽にのんびりできるし、日当たりもいいし。
などと思ったおれがバカである。
部活動の連中に占拠されて、遠くからポカンと眺めている羽目になった。
オマケにあの美少女は、日が暮れても来なかった。
なんで━━どうしてこうなった。