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うつけ戦奇譚  作者: 金髪のグゥレイトゥ!
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第四話「選択」


「織田……信長…!?」


村長の口から告げられた予想だにしなかったビッグネームに学は耳を疑った。

日本人なら誰もが知っているだろう。日本の歴史に名を残し壮絶な最後を遂げた大名。天下人『織田信長』。この世界でこの名前を聞くことになろうとは…。


「なんと…。おぬし、その様子からしてノブナガ様の事を知っておるのか?」


学の反応に村長は驚きを露わにする。学が信長の存在を知っているとは思いもしなかったのか。しかし、織田信長を様付けで呼ぶとは…。如何やら信長は召喚者セルヴォス達にとって神格化されるほどの存在らしい。


「は、はい。僕の世界で歴史的有名人です。天下人になった大名。それが僕が知っているこっち側の世界での織田信長です」

「天下とな!?ふむ、魔王の名に偽りなしか…」


(魔王…)


魔法を使えない召喚者セルヴォスでありながら、皇国カーティオに致命的な被害を及ぼした織田信長。カーティオの人々は彼の悪魔の様な所業に恐れ、彼を魔王と称した。

成程、魔王とはよく言ったものだ。確かに彼ほどそう呼ばれるのに相応しい者は居ないだろう。『第六天魔王』それが学の世界での織田信長のもう一つの呼び名なのだから。


「でも、家臣の一人が謀反を起こして死んだって言われてたのに…。まさか生きててこの世界に召喚されてただなんて…」


有り得ないと断言したいが学にはそれが出来なかった。

本能寺の変が起こったのは天正10年(1582年)で大体430年前。大反乱を起こした男が召喚されたのも430年前。本能寺の変で見つからなかった織田信長の遺体。偶然と呼ぶにはあまりにも一致する部分が多すぎるのだ。


(だったら、430年前に召喚された男って言うのはやっぱり織田信長本人ってこと?)


考えれば考える程に確信へと変わっていく。歴史学者がこれを聞けばきっと卒倒してしまうことだろう。まさか歴史の裏にこんな真実が隠されていたなんて…。


「偶然か、それとも必然か…。ノブナガ様が召喚されたのも何か意味があるのかもしれんのう。それに、おぬしも…」

「なっ……!?」


何を馬鹿げたことを言っているのか。学は思わず立ち上がって冗談じゃないとぶんぶんと首を凄い勢いで左右に振ってそれを否定……いや、拒絶した。期待を背負わされるだなんて堪ったものじゃないと。


「ぼ、僕は織田信長みたいな凄い人間じゃないっ!?ただ平凡な学生ですよ!?それにその理屈だと今まで召喚されてきた人達だって特別だって話になるじゃないですかっ!?」


召喚されたことに意味がある?そんなお伽噺みたいな展開はあり得ないことは、この世界に召喚された初日に思い知らされている。学はもうそんな幻想なんか見たりはしない。もう痛い思いをするのはこりごりなのだ。これは現実で、この世界は残酷で、こんな所に学は一秒でも居たくは無かった。


「僕は元の世界に帰りたいんだ!此処に来たのだって貴方にその方法を聞く為に来たのに!」

「……そうか」


やはりそれが目的だったか…。村長はそう呟いて深くため息を吐くと憐れみにも似た表情を浮かべた後に、真剣な表情へと変えて眉毛から目を覗かせて学を見据えて重く口を開いた。


「元の世界に帰る方法…じゃったな?」

「は、はい!勿論あるんですよねっ!?」

「そんなものありはせんよ」


希望に縋る学に村長はその希望を打ち砕くかのように、冷たい声でそれを否定しずばりと切り捨てた。


(戻る方法が…無い?)


そんな馬鹿な事がある筈が無い。学は顔を真っ青にしてぶんぶんと首を左右に振りながら村長から告げられた事実を拒絶する。


「そ、そんな!?う、嘘だっ!こっちに来る手段があるのならその反対だってある筈なんだ!」

「嘘ではない。考えてもみよ。帰れる方法があると言うのなら、何故わし等がこうして奴隷という不遇な扱いに甘んじて受け入れる必要がある?まさか、儂らが喜んでこんな仕打ちを受け入れているとでも思っておるのか?」

「………」


学の隣で話を聞いていたハルナが顔を伏せる。

村長が言うことは尤もな事だった。元の世界に帰れる方法があるなら彼らがこの村に奴隷として暮らしている筈がない。ハルナはそういうものだと言っていた。ゲンは仕方が無い事だと言っていた。けれど、この村に居る誰も自分が奴隷として扱われることに納得してはいなかった。

学だってそれは分かっていた筈だ。けれど分かりたくなかった。元の世界に帰れないだなんて。

何故なら話を聞けば聞くほどこの世界は残酷で、死がとても近くに存在していて安全なんて何処にも無くて、そんな世界から抜け出したくて…。だからまた現実から目を背けた。


「仮にその方法があったとする。じゃがそれは確実に魔法によるものじゃ。おぬしや儂ら先祖が魔法で召喚されたように、元に戻るには魔法しかあるまい。しかし魔法の使えぬ儂ら召喚者セルヴォスがどうやって戻ると言うのじゃ」

「…っ!」


反論できなくて学は俯きくやしそうに唇を噛む。膝の上で握り締めた拳はぷるぷると震えて、潤んだ瞳は今にも涙がこぼれ出しそうだ。


「でも……だからってこんな世界に居たくない!僕は何も悪い事なんてしてないのに、なんで奴隷なんてならなくちゃいけないんだよっ!帰してよ!僕を元の世界に帰してよっ!」


帰る方法が無いと言われ最後の心の拠り所を失った学は、それは決壊したダムの様に溜めに溜まった不満を次から次へと吐き出されていく。

せめて少しでも冷静に判断する余裕があればこの様な失言をする事は無かっただろう。彼は理解していない。自分が言っていることはこの世界で生きている彼らに対してあまりにも無礼な発言であることを…。


「マナブさん…」

「ぁ………」


癇癪を起こして喚き散らしていた弱音やら不満やらが、悲しそうな少女の声にピタリと止む。

学はその声の主を見る。彼女は悲しみに歪んだ顔で学を見つめていた。そこで学は自分の失言に漸く気が付き、サーッと顔から血の気が引く。


「ぁ……うぁ…」


今自分は何を言った?何も悪いことはしていないのに?奴隷なんかになりたくない?よくも彼女達に前でそんなことが言えたものだ。彼女達だって同じなのだ。望んでこんな世界に生まれてきたわけじゃない。望んで奴隷になんかなったわけじゃない。そんなこと考えなくても分かる事だ。それなのに、学はとんでもないことを言ってしまった。

自分の不謹慎さに学は罪悪感に苛まれ、ハルナの今にも泣きそうな顔を見ては言葉にならない声を漏らして口をパクパクとさせる事しか出来なかった。謝って済まされる発言じゃない。それに何よりも…。


―――きっと、大丈夫ですから!マナブさんは大丈夫ですから!


励ましてくれた彼女の気持ちを裏切ってしまった…。

昨日の夜。不安で怯える学にかけてくれた彼女の優しい言葉。納得はしていない。理不尽を受け入れたわけではない。けれどその言葉に学は励まされ頑張ろうと頷いてみせたのだ。だと言うのに最悪な形で裏切ってしまった…。


「………」


ハルナはじっと学を見つめる。責める訳で無くただ無言で学を見つめていた。瞳を涙で潤ませて…。


「うっ……ぁ…ち、ちが…っ!」


違わなくなんてない。今言ったことは全て学の本心だ。

だからこそ彼女の向けて来る視線が、彼女の泣き顔が、学の胸を締め付けて苦しめていた。そして、学はその苦しみに耐えきれず―――。


「う、うわあああああああっ!!!」

「マナブさん!?待ってください!?」


情けない悲鳴を上げてこの場から逃げ出した。

驚くハルナの制止の声を背に受けても学は止まろうとはしない。どたばたと騒がしい足音を響かせて廊下を駆け抜けると、村長の家を飛び出し目的も無く何処かへと走り去ってしまったのだった…。


「っ、マナブさん!」


ハルナもまた学の後を追い家を飛び出して行ってしまい、この場には村長だけが残される。


「……やはり直ぐに受け入れろと言うのも無理があるか。ご先祖様も同じ気持ちだったのじゃろうのう」


二人が居なくなった居間で村長は二人が出て行った出入り口を眺めながらそう呟くと、その呟きは誰にも聞かれる事は無く静まり返った居間に消えていくのだった。










第4話「選択」










「はっ…はっ…はっ…」


走っていた。行く当ても無く走っていた。ただ只管に、我武者羅に、息が切れて肺が苦しいのも構わずに走り続けた。けれど、幾ら走っても…。


―――理不尽なことだって沢山ある。辛いことだって沢山あります。だけど…。


「はぁ…っ……はぁ…」


(うるさい…うるさいっ!)


あの少女の声は何処までも、何処までも…。


―――きっと、大丈夫ですから!マナブさんは大丈夫ですから!


「ぐっ………うぅ…っ!!」


学を追いかけては学を苦しめる…。あの声が、あの…。


(僕は悪くない!悪くないんだ!)


―――マナブさん…。


彼女の悲しそうな顔が…。


(僕は―――!)


「う、うあ、ああああああああっ!」


走る。走る。走る。みっともなく涙やら鼻水やらを撒き散らして喚きながら…。

走って。走って。走り続けて。畑を抜けて、村を抜けて、丘を越えて、そして辿り着いた先は見知らぬ高台だった。


「はぁ…はぁ……げほっごほっ!」


走り疲れてもう立つこともままならなくなった学は、力尽きて膝をつき崩れ落ちる。


「っ……ぐぅぅぅううぅっ!」


手の下にあった雑草をぐしゃりと掴み、その手の甲にはぽたりぽたりと涙か鼻水のどちらかは分からないが水滴が零れ落ちる。

辺りには学のくぐもった嗚咽が響いて、まだこの世界では秋頃なのだろうか?やや冷たい風が高台に吹き抜けて生い茂る草を揺らし、跪き涙で濡れた学の頬を叩いた。


「なんでだよ…!どうしてだよ…!」


理不尽な世界に問いかける。


「僕は悪くない!悪くないのに…!」


自分は悪くない。自分が何をした?自分は何もしていない。自分は無理やり此処に呼び出されただけだ。自分に非なんてありはしない完全な被害者だ。そう何度も訴える。


「悪く……ないのに…っ!」


そうだ。悪くない。悪くない筈なのに…。


「……なんで…」


悪くない。そう心で訴える度にあの少女の泣き顔が学の脳裏に浮かんでは、胸を締め付けるような痛みが襲う。この痛みは何だ?彼女を哀しませてしまった罪悪感による良心の痛みとでも言うのか?

何故だ?自分は悪くない筈なのに、帰れない悲しみで胸が一杯の筈なのに、泣きたいのはこっちで涙でぐしゃぐしゃになる程悲しい筈なのに、あの少女の泣き顔を思い出すと、悲しみよりまた違ったモノが込み上げて来て胸が苦しかった。でも、それでもこの理不尽が認められなくて…。


「くそっ!…くそぉ…!」


握り締めた拳で、何度も、何度も地面を殴る。誰にぶつければいいのか分からない感情をぶつける様に。

自分が悪いのかそれとも悪くないのか。誰を責めて誰を責めてはいけないのか。頭の中がぐしゃぐしゃで学にはもう何が何やら分からなかった。

如何してこんなに悩まなければいけない?苦しまなければいけない?学はただ…。


「帰りたい…だけなのに…」


家に帰りたい。学の願いはただそれだけだった…。


「マナブさん…」

「っ!?」


不意に背後から声を掛けられ、ドキッ!と胸から心臓が飛び出しそうな程に跳ね上がる。

さっきからずっと頭の中で響いて学を苦しませた声。その声に、しかも幻聴ではない生の肉声に学は如何してと驚きの表情を浮かべて恐る恐る後ろを振り返る。すると、やはりそこには心配そうに学の様子を窺っているハルナの姿があった…。


「マナブさん。泣いていたんですか…?」

「……っ!!」


学は慌てて涙で濡れた顔を泥のついた手でぐしぐしと乱暴に拭ってハルナから顔を背ける。あんな事を言っておいて合わせる顔なんて学には無かった。

学はハルナに背を向けて、しばらくの間二人は顔を合わせることなく無言でこの場に佇んだ。


「………」

「………」


長い沈黙。学は背を向けたまま何も語らずに黙り込み。ハルナもまた無言を通しそんな学の背中を何かを待つようにじっと眺めていた。

この場で聞こえるのは二人の間に吹き抜ける風の音だけ、そんな気まずい空気の中で二人は会話することなく無言を突き通しただ時間だけが過ぎていく…。






どれだけの時間が経過したのだろう。東にあった太陽は西の空に傾き始め、あれからずっと二人は喋らないまま気まずい空気をこの場に満たし続けていた。


(っ……なんだよ、もう)


学はいつまで経っても何も言わないハルナに対し心の中でそう悪態付く。

あんなことを言ってしまった手前、合わせる顔も無ければコミュ障の学から話しかける勇気がある筈もない。ならこの沈黙を破るにはあの暴言を言われて文句の言う権利があるハルナが話しかけるしかないのだが、彼女は一向に話しかける素振りすら見せない。学自身も何か言われる覚悟はあったのだが、こうも何も言われないと逆に辛いものがあった。

そして、それにも限界がやって来る。


(……あ~っもう!!)


いつまで経っても話しかけてこないそのもどかしさと、この場の空気に耐え切れなくなった学は思い切って話しかけた。とは言っても、話しかけるのは背を向けたままの状態でだ。面と向かって話す勇気は学には無かった。


「っ、あの……!」

「はい」


漸く口を開いた学に今まで黙っていたのが嘘の様に一寸の間も置かずにすぐさまハルナは返事を返す。

そんなハルナに学はびくりと怯みつつ、ぼそぼそと何かを呟く。


「……ごめん」


学が溢したのは謝罪の言葉だった。その学の言葉にハルナは不思議そうに首を傾げる。


「何故、謝るんです?」

「えっ……」


思いがけない反応に学は困惑する。

何故?そんな分かりきったことを如何して聞くのだろう?


「だって、あんなこと言って……あんなこと言ったのに…」


あれだけ酷い事を言ってしまった。その事が学にはさっきからずっと気になって仕方が無かった。辛いのは自分だけじゃないのに、苦しいのは彼女達だって同じだと言うのに…。

それだけじゃない。昨日、学は彼女に頑張ると言って頷いてみせた。しかしだ。あの時、頷いて見せたのは所詮は口だけの強がりでしかなく、心の何処かできっと帰れるんだと甘い考えがあり、元の世界に帰れる希望を失った途端に弱い学は少女との約束を裏切ってしまった。

それらの事を学はしてしまった。学が罪悪感を感じるのは当然の事であり、ハルナが咎めるのも当然の事なのだ。なのに、彼女は……。


「? 別にマナブさんは悪い事してませんよね?」


なんと言って、顔をキョトンさせるだけで文句の一つも言う事は無かったのだ。

そんなハルナの反応を学が納得出来るはずなかった。彼女は優しい性格だ。どうせ自分の事を気遣ってくれているのだろう。学はそう思ったのだ。


「そんなこと無い!僕は君に!君達に酷い事を言った!君達だって辛いのに、僕は自分の事だけを考えて…!」


背を向けて俯いたまま学は叫ぶ。悪いのは自分なんだと…。けれど、ハルナは首を横に振ってそれを否定する。


「いいえ、マナブさんは悪くありません。だって、マナブさんも辛い想いをしてるじゃないですか」

「………っ!」


(どうして…そんなに…)


自分の言った事など微塵も気にした様子の無い慈悲に満ちたその言葉に、学は思わず泣きそうになる。なんと彼女は自分を責めるどころか自分の事を心配してくれていたのだ。

その声に背を向けて顔が見えなくても彼女の優しく微笑むその笑顔が容易に思い浮かべることが出来た。けれど、学は振り返る事は出来なかった。臆病だから。他人と接する事が苦手な学には彼女の顔を見るのがやはり怖くて振り返ることが出来なかった…。


「………」


怒っていない事を伝えても一向振り返ろうとしないに学。するとハルナ先程までずっと学から接してくるのを待っていたのとは反対に、今度は進んで学に接してきたのだ。

サクッ、サクッと彼女は草を静かに踏み鳴らして学の隣まで歩いて行くと、学の隣に腰を下ろす。学はびくりと肩を震わせたが今度は逃げはしなかった。学を怖がらせないためと言う彼女の気遣いか、学の顔を見ようとはせずに高台から見える景色へと視線を向けると、そのまま彼女は語り始めた。


「此処、私のお気に入りの場所なんです。村が一望出来て、季節ごとに姿を変えて…」

「………」


学は答えない。俯いたまま彼女の話に耳を傾けていた。


「私も辛い事や悲しい事があった時にはよく此処に来るんです。それで、此処から見える景色を眺めていると落ち込んでた気持ちもいつの間にか何処かに行っちゃってるんです。不思議ですよね。マナブさんはそういうのありませんか?」

「……景色を眺めるとか……あまりないから…」


ハルナの質問に学はぼそぼそと小さく答える。

学が知っている都会の景色なんて似たような建物ばかりの灰色一色な何の面白味も無い景色だ。眺めていていたいとも思えなかった。あの頃の自分はどれもつまらなく見えていたから…。けれど今は違う。何の変哲のないあの風景が、平凡でつまらないあの日常が、これ以上に無いほど恋しかった…。


「そうなんですか。なら見てみてください。此処の景色はすっごいですから!」

「………」


そんなもの何処だって同じだろう。景色は景色だ。はしゃぐハルナに学はたかが景色に大げさなと冷めた気持ちでハルナの言われるがままに景色に目を向ける。


そして…。


「あっ……」


その眼に飛び込んできたものに学は言葉を失う。

高台から見渡した夕焼け色に染まる村の風景。村や畑や山。全て紅色に染まり上がり、山からは何やらキラキラと粒子の様な光が空へと昇っていく。それはまるで火の粉の様で、村や山が本当に燃える様に見えて神秘的で美しい光景だった…。


「綺麗だ…」

「ね?綺麗でしょ?」


学は飾り気の無いありのまま思った感想を零す。するとハルナは自慢げに微笑んだ。


「あの光は何?」

「あれはマナの光です。あの山の辺りは火のマナが活発で、丁度この時間帯がマナが一番活発になる時間で夕方の暗さも合わさってあんな感じにマナが光って見えるんです。綺麗ですよねぇ」

「マナ………」


マナの光。その幻想的な光に学は心を奪われ、ぼーっとその景色を眺めていた。


「綺麗だ……本当に…」


この世界はこんなにも幻想的で美しく、こんなにもこの世界は非現実的なことで溢れている。これは自分が望んだ世界そのものだった。


それなのに…。


「こんなに綺麗な世界なのに……」


自分が夢見た世界そのものなのに…。


こんな美しい光景は自分の居た世界では絶対に見ることの出来ないと言うのに…。


どうして、こんなにも…。


自分が嫌っていたあの平凡で退屈な世界が堪らなく恋しいのだろう…。


「帰りたい……帰りたいよぉ…っ!」

「マナブさん……」


元の世界に帰りたい。学の悲痛な訴えが瞳からぽろぽろと溢れ出す涙と共に零れ落ちる。まるでその姿は泣きじゃくる子供のようであった…。

すると、泣いている学の顔の前にすっと手を差し出される。


「マナブさん。帰りましょう」

「えっ……?」


学は顔を上げてハルナを見た。


「……帰るって…?」

「私たちの家に、ですよ」

「家…?」


ハルナは頷いて微笑むと差し出した手を更に前に押し出す。


「帰りましょう。今日はいっぱい走っていっぱい泣いちゃいましたからお腹すきましたよね?」

「……」


学はじっと差し出された手を見る。

ハルナの帰ると言う言葉の意味は学の求めているものとは異なる。勿論ハルナだってそれは分かっている筈だ。ならハルナが差し出したこの手の意味は何をするものなのか?


「あそこは…僕の家じゃないよ。君の家だ」


そう言いながらも恐る恐る差し出された手に手を伸ばそうとする学。言動と一致していないのはそれだけ彼も参っているからか。怯えながら手を伸ばそうとしている彼の姿は、まるで迷子の子供が不安そうに母親を探している姿に重なって見える様だった。


「いいえ。あの家はマナブさんの家です。私とマナブさんが住む家です。だから…ほら」


おずおずと未だに差し出された手を握ろうか迷っている学の手に指が触れそうになるまでハルナは差し出した手を近づける。学の意思を尊重してか、決して自分から手を握ろうとはしなかった。


「帰りましょう、ね?」

「……」


少し動かせば指が触れる程の距離。そんな近くまで手を伸ばしているのに学はこの手を握るのを迷っていた。

この手を握るのも握らないのも学次第。この世界を受け入れると言うのならこの手を握ればいい。それでも自分の世界が良い。あの家は自分の家じゃないと言うのなら差し出されたこの手を払い退ければいい。

無論、学にはこの世界が受け入れられる筈が無かった。こんな過酷な世界で生きていける自信なんて学には無い。

なら、拒絶するのか?その後はどうする。この手を振り払った後自分は何処へ行けばいい?何処にも無かった。自分の居場所は。

幾ら嘆いたところで、拒絶したところで、元の世界には帰れない。元々自分には選択の余地など無かったのだ。自分はこの世界に召喚された時点で奴隷として生きることを決められていた。


「……っ」


これは昨日の夕食の時と同じだ。自分はまた同じ選択を迫られている。そして彼女は選択肢があるように見せてくれている。

騙しているかのように見えるがそれは違う。自ら選んだのと選ばされたとでは全く違うのだ。無理やりやらされればこの先何時か必ず折れてしまう。しかし、自ら選んだことなら折れずにいられる。挫けそうになったとしても立って歩き続けることが出来る。これはそういうことを考えての優しさだった。

けれど、目の前に居る少女は生まれながらにして選択肢が無かった。皮肉にもそんな彼女が選択肢を与えてくれている。自分とてそんな余裕は無いのに手を差し伸べてくれている。


「うっ、うううぅ……うぁ、あああっ」


理不尽に対する悔しさと、自分の情けなさにまた涙が溢れ出し嗚咽を漏らす。

怒りやら悔しさやら悲しみやらの感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、頭の中もぐちゃぐちゃで、もう訳が分からなくなって…。

そんなもの選択する権利なんて無いのに、ぐずぐずと悩んでいる自分を、泣き喚いて顔も涙と鼻水でぐちゃぐちゃで汚い自分を、少女は嫌な顔を一つせず笑顔で手を差し伸べ続けてずっと待っていてくれている。


「うああっ、うあああああああああっ!」


悩む必要なんてない、端から選択肢なんて一つだ。

でも、それを認める勇気が無くて…。


「ああああっ!ああ…っ!」


だけど…。


学の指先がハルナの手に触れ…。


「あぁああっ!あああああっ!」


……そして、ぎゅっとハルナの手を握りしめた。


それは自ら奴隷として生きる道を選んだ事を意味していた…。


「あああああっ!うああああああああーっ!!!」


泣く声が、ぼろぼろと零れ落ちる涙が勢いを増す。

夕焼けの空に学の泣き声が響き渡り、ハルナは手を握ったまま学が泣き止むまで黙って待っていた…。





「帰りましょう、マナブさん。私たちの家に」

「……う゛んっ…」


手をしっかりと握って学は鼻声で頷き立ち上がり歩き出す。

夕焼けに染まるその後ろ姿は、さっきまでのナヨナヨとした背中とは違って少し大きく見えたのだった…。






全然主人公の良い所が無いですが、もうしばらくお待ちを。


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