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あるいは遭遇

作者: 雨月銃後郎

 京都が梅雨入りして二日後の月曜日、久しぶりにあれを見た。

 三条で開かれたサークル飲み会の帰り、俺は酔いざましもかねて、鴨川の河原を北にむかって歩いた。下宿は河原町今出川で、自転車なら十五分程度の距離しかない。夜半を過ぎた河原に人影はなく、いまにも降り出しそうな厚い雲が、祇園界隈のネオンに照らされて赤黒い色に染まっている。湿った大気は鴨川の流れに沿って吹く山からの爽やかな風に流されて、心地よかった。

 たかだかビール二杯程度でしっかり酩酊してしまう自分の肝臓の弱さを呪いながら、俺は砂利を踏んでゆっくり進んでいく。視線をまっすぐに向けていることさえだるく感じて、ちらりちらりと周囲を見回してみた。河原に街灯はなく、遠くに架かっている賀茂大橋の擬宝珠の投げかける、橙色の光が川面に長く伸びて影を作っている。この川は護岸整備こそされているものの、水中は自然のままであるのか、そこかしこの中州に葦原が茂っていた。小さな蛍が一匹、葦の中から飛び出すと、おだやかに明滅しながら浮かんだ。

 風流だなあと柄にもないことを思って、蛍をしばらく目で追う。蛍の数は見る間に増えて、光点は三つほどになった。すぐに消えたかと思うとまた別の蛍が光る。本当はどれほどの数が飛んでいるのか、よくわからない。俺は河原の砂利を少し下り、川岸の岩に腰をおろして煙草に火を点けた。少し休憩したくなったのだ。

 煙草の先に灯る小さな灯りにつられたのか、蛍はだんだん近寄ってきた。炎に舞い散らされる灰花のように、ゆるやかに曲線飛行を描く。なんだか見とれてしまい、俺は煙草をくわえたままそれを目で追った。自然界にはあり得ない、鮮やかな薄緑色――どれほど精緻な電球でも、こんな色味は出しようがないだろう。

 蛍はどんどん近寄ってくる。俺は大きくなる光点に、少しだけ違和感を覚えた。

 すこし、大きすぎやしないか。

 離れた川面ではわからなかったが、近づくとその奇妙な大きさに気付く。蛍がどのような大きさであるのか、詳しくは知らないが――いくらなんでも、マッチ箱ほどはないだろう。しかし、乱舞する蛍はどれもそれほどの光を放っていた。短くなってきていた煙草を消してみたが、蛍はますます速度を増して、俺のもとに寄ってくる。

 やがて手の届くような距離にまで近づいた。笑い声のような、柔らかな響きの音が耳をくすぐる。川の音ではない。風の音でもない。その時だ。俺は――見てしまった。

 眼のすぐ前に一瞬の光跡を残した、子供のこぶしほどの球体の真ん中に、ちょこんと座った、ごく小さな着物姿の女。美しく結いあげた髪は光を弾くかんざしに飾られ、白い顔は頬を上げて、微笑む。

 俺が煙草の箱をとり落とした瞬間に、それらは一瞬にして川面の葦原に隠れた。二本目の煙草に火を点けて、俺は腰を上げる。

 蛍の灯火は、輝く光にしか見えない。

 それが本当はなんなのか、わかる者などいないのだ。

 さざめく涼やかな風に、鈴を転がしたような笑い声が、僅かに混じったような気がした。


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