激情と追憶と
左頬を押さえてふらついた私を見やり、兄は冷たく言った。
「ヴェルグラス。お前は、何故私が後遺症の治癒を拒んだのか……、考えた事はあるかい?」
全く思いもよらない言葉に、私は目をしばたたいた。
治癒の拒絶よりも、奴をいかに懲らしめるかばかり考えて、少しも気にもしていなかった。
それが見て取れたのか、兄が深い溜め息を吐いた。
「私情にとらわれ、誰に何の相談もなく勝手に彼女を戦地に送った、その結果がこれです。お前は、知らねばならない。己の罪と愚かさを…」
穏やかな兄からの責め句に、耐えかねた私は声をあげた。
「一体、私が何をしたと言うのだ!治癒魔法の使い手を、戦地の療養所に送っただけではないか!」
「その治癒魔法を、お前はどれ程知っているのです!それとも、治癒魔法の代償を知りながら、戦地へ送ったのですか!」
無視出来ない言葉が、私の頭の中を埋め尽くした。
「治癒魔法の…代、償……?」
「そうです。治癒魔法は他と違い、魔力を使って発動するものではありません」
愕然とする私をよそに、兄は続ける。
「魔力は日をおけば回復しますが、治癒魔法は違います。治癒の代償は……」
「……命……」
それまで、黙ってギルバートの傍らにいたルイスが、口を開いた。
「自らの命を削って治癒魔法は発動するのです!」
重すぎる真実に、私の思考回路は完全に停止した。
そして、脳裏に様々な場面がフラッシュバックする。
『何処よここ!これ以上、私たちに近寄らないで!!』
召喚された時、泣きじゃくる美桜を抱き締め、気丈にも睨み付けて来た、奴。
『いらない。こんな…見るからに高いの、受け取れない』
ここで暮らすのには色々必要だろうとドレスや宝石を贈ったら、憮然として突っ返して来た、奴。
『私は生かされたいんじゃない!生きたいの!!』
寵妃の姉という立場を利用されないよう保護する為、側室にと望んだ時、ハッキリと拒絶した、奴。
『美桜が自分で決めたのなら、私は何も言わない。あの子を、幸せにしてあげて……』
美桜を王妃にと伝えた時、真摯な瞳を向けてきた、奴。
『……わかり…まし、た………』
苛立ちを隠しもせず、国境付近への遠征を命じた時、俯いて掠れた声で返事をした、奴。
そして。
『ごめ…なさ……い…。どう、か…しあ……せ……に…』
涙を流しながら、淡く微笑んだ、奴。
それが私に向けられた、最初で最後の笑顔… 。
「何故だ!!」
気づけば、私は横たわる奴に掴みかかっていた。
「ヴェルグラス!」
「なっ、お止めください!」
「てめぇ!離しやがれ!」
揃って掴みかかられ、無理矢理引き離される。
その拘束を振りほどこうともがきながら、私は叫んだ。
「何故、言わなかった!何故、黙っていた!何故、微笑みかけた!何故、謝った!何故、何故……、何故だ!!」
塞き止めていた何かが決壊したのか、言葉が溢れて止まらない。
「お前はいつもそうだ!肝心な事は何も言わず、黙って自分の中で解決する。何故、相談しない?何故、勝手に決めつける?!何故、諦める!」
言えば、良かったのだ。
たった一言、治癒魔法は命を削ると。
言ってさえくれれば、私は…!
「こんな…。こんな結果、望んでなどいる訳がないだろう!私は……っ!」
自分でも、なんと言おうとしたのか解らない言葉の先を、放つ前に。
「ギルバート!」
ドンッ、と鈍い音と共に腹部に激痛がはしる。
「悪いな、王様」
ちっとも悪びれた様子もない声を最後に、私の意識は途絶えた。