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これも一つの世界の見方【小説の練習】

作者: 神薙

 それに気が付いた時、俺は思わず気分が悪くなってしまったという情けない記憶がある、これでは自分は唯の機械(ユーザーのおもちゃ)の様ではないのかと思って…。


 それは当時小学生だった自分が色々な理由から学校から帰るのに一人で帰らなければならなかった時の事、普段なら他の友達や兄弟と一緒に帰る所だったのだけれども友達は委員会等で学校に残らなければならなかったし、兄弟は午前だけしか授業のない日だったのですでに帰って行った後だったのだ。


 その頃の俺はゲームにはまりだした時だったので、一人で帰っていたその時はどうすればあの仕掛けは攻略出来るんだろうな、と考えたりしていた。


 しかし、それ以前に元々妄想とかも好きだったりした自分は、自分がその主人公だったらどうするか、と考え出してふと、ある事を思い出したのだった。


 それはいつ聞いたかは忘れてしまった保健の授業の時『自分はとても小さな確率でこの世界に生を授かったのだという事』を教えてもらった事。


 別段それだけなら「何で思い出してしまったんだろう?」という位で済んだのだろうが、それがゲームの事を考えていたのがいけなかった。


 ふと、思いついてしまった事が『ゲームの主人公の人生はとても小さな確率でその騒動に巻き込まれたんだろうな』というものだったのだが、そこからさらに保険の授業を思い出した事が絶望的だった。


 そのせいで連鎖的に『あれ、それなら俺の人生もゲームみたいな物なのか?今の僕のこの視点は僕の物なのではなくこの人生を遊んでいる『ナニカ』のの物なのか?』と考えてしまったのだ…。


 それからというもの何というか現実味が無くなってしまった。


 その気が付いた事を忘れている時はまだよかった、しかし、思い出してしまうと自分自身がここにいるにも関わらず怪我をしてもその怪我はゲームのキャラが負ってしまったものなのだから自分が痛いと思う筈がないという思考になり、何故か暗示のように痛みが無くなってしまったりする事が今までの人生でかなりあったのだった。


 この下らない駄文を読んで下さった方にも余り勧めたくは勇気があるなら考えて欲しい、自分は本当に自分であるのかと、自分の視線からこの世界をみている『ナニカ』ではないのかと…。

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