二話
気が付けば辺り一面、闇に覆われていた──って言ったらかっこよく聞こえるんだけれど、実際は気が付いたらただ真っ暗なだけで何もない空間にぽつんと立っていた。
そうだ、気絶したんだったわ。
「じゃあここは、夢の中?」
夢なら夢らしく私の思い通りになれ、と念じる。
取り敢えずフカフカのベッドが欲しい。さっきのベッドは中々の弾力だったわ。あれくらいのベッドがいい。
忘れかけていたけれど、私、残業して家に帰ったばっかりだったのよね。
目を閉じながらベッドを思い浮かべ、ゆっくりと目を開ける。
「……何も変わらない」
辺りは真っ暗。何もないまま。
目が覚めるまで待つ?
でも、何かがあるかもしれない。
「ちょっと歩いてみようかしら」
心細いからなのか独り言が多くなる。
壁もなければ障害物もないただ真っ暗で何もない空間では自分がどこにいるのか、本当にここにいるのか、わからなくなりそうだった。
本能の赴くままにひたすらに足を動かす。
もしかしたら、進んでいるつもりでも実際には進んでいないのかもしれない。
「……馬鹿馬鹿しくなってきたわ」
どれくらい歩いただろう。
ふと立ち止まって後ろを振り返る。
このまま歩き続けてもただ疲れるだけのような気がしてきた。
夢の中で疲れを感じるのかどうかは知らないけれど。
「エイナ……」
不意に──怒りと悲しみと苦しみ、それらすべてを混ぜ合わせたような声が後ろから私を捕らえた。
……要するにうーらーめーしーやーなテンションで後ろから抱き着かれたわけなんだけれど。
「エイナ、生きていたんだな。良かった。ずっと、会いたかった。我は、」
っていうか、誰?
知り合いじゃない、はず。
だって一人称が『我』な知り合いなんて、普通忘れたりしないでしょう。
「……返事をしてくれ。まさかこれは、夢なのか? こんなにも近くにいるというのに」
首筋に顔を埋められて、擽ったさに身を捩る。
力強く抱き締められていたから、あまり意味はなかったけれど。
「離してくれないかし、ら!」
ゾワゾワとした感覚に堪えきれなくなって思いっきり後ろに頭突きをすると、拘束がゆるんだ。
振り返ると、感極まった様子で目尻に涙を浮かべる黒髪に赤い瞳のイケメンがいた。
「エイナ、会いたかった……っ」
何故か、周りは果てしない真っ暗闇なのに髪の色だとか瞳の色、顔や身体はボヤーッと見える。
ちょっとホラー。
「知り合い、だった、かしら?」
ふと、私と彼で、非常に温度差があることに気付いた。
イケメンといえば大抵が私ではなく妹目当てだったからわざわざ名前や顔を覚えたりしていなかったのが、こんなところで問題になるなんて。
「覚えていない、のか」
まるで捨てられた子犬のように目に見えてショボーンとした謎のイケメンに、良心がチクリとも……痛まなかった。
それを察したかのようにキツく、手首を掴まれる。
「ねえ、痛いのだけれど」
「我をどうでもいいものを見る目で見ないでくれ。知らないなどと言うな」
知らないとは言ってない……気がする。
それにしても夢の中って痛みを感じないんじゃなかったかしら。
かなり、痛い。
振りほどけそうにないそれは、骨が折れたり砕けたりはしない程度の絶妙な強さだ。
「人違いじゃない?」
「人違いであるはずがない──試してみるか?」
「試す……一体何、を」
「試してみればわかるだろう?」
頬に手を添えられたかと思えば急に近付いてきた顔。
あ、と思う間もなく唇を塞がれる。
もちろん手で、というわけもなく彼の唇で。
「ん、ぁ、ふ……っ」
反論は彼の舌に絡め取られ、意味を持たない声にしかならない。
力が抜けるような感覚。まるで、何かが吸い取られるような──。
ちゅ、だとかいう恥ずかしい音を立てて彼が離れて我に返る。
「……これで、何が試されたのかしら?」
敵意を向けられているのに、彼はうっとりとした様子で自身の唇をなぞる。
「エイナでなければすぐに死に至る程度の力を奪った。魔力を持たない人間なら、下位の魔物なら、一言も発することなくここから消えている」
力を奪った。魔力、下位の魔物。人型になれる上位の魔物。触れるだけで魔力や生命を奪える──ああ、魔物の知り合いなんて、ついさっき二人出来たばかりだと思っていた。
「下手したら死んでいたわけね」
「言葉が通じている時点でそなたがエイナで間違いはなかった。契約している相手を間違えたりはしない」
まあ、結果的に死んでもいないし消えてもいないし別にいいけれど。
「ところで、契約っていうのは何かしら?」
「そなたは飢えていた我に魔力を差し出し、我はそなたと知識を共有した……もっとも、我がそなたに与えられたのは言葉程度だが」
それって奪われ損というやつじゃないかしら。
「貴方は魔物?」
「ああ、我は魔物だ。恐ろしいか」
「……魔物であろうと、人間であろうと、私に命の危機がないのならどちらでもいいわ」
既に魔物とは知り合いだ。
それに、これから魔物に世話になるつもりなのだから恐がってはいられない……というか、強がりでも何でもなく全く恐くないだけなのだけれど。
「エイナ、そなたは我の『特別』だ。そなたが覚えていなくとも、我が覚えている──嗚呼、見付けた」
不意に、私から手を離した彼はにやりと笑った。
心なしか瞳の赤が鮮やかになっている気がする。
「こんなに近くに、いたのだな。そなたの魔力が我を満たさなければ、気付けなかった」
ぶつぶつと呟くような声で言う姿は、不気味だ。
名前を呼ぼうとして、その名前を知らないことに気付く。
「ところで、貴方の名前は何かしら?」
「名前……ああ、忘れているのだったな。我は──いや、魂ではなく生身のそなたに触れて名乗ることにしよう」
え、これ魂なの?と問う間もなく彼は跡形もなく姿を消した。
あまりに一方的過ぎないかしら。
「慌ただしいわね」
気絶して、起きたと思ったら魔物と知り合いまた気絶させられて、夢の中では魔力を奪われて、どうやら夢の中の彼とは前にも会っているらしいけれど、全く覚えていない。
そのおかげで言葉が通じるのは喜ばしいことだけれど、一方的に知られているのは……怖い、というか、きもちがわるい。
『エイナ──』
嗚呼、どうやら今度は強制的に目覚めさせられるらしい。
見えない力に引っ張り上げられる感覚に、抗う理由もないので身を委ねた。