プロローグ
私と同じ血が流れているとは思えないくらい美しい容姿に、素直で甘え上手な性格。
それが私の妹だった。
「ごめん、別れて欲しいんだ」
彼が私を映していた瞳がいつからかあの子〈私の妹〉を映すようになったことに、本当は気付いていた。
けれど相変わらず彼は私に優しくて、気付かないフリをしていた──実際は、別れ話をするのが面倒だっただけなのけれど。
「……はぁ」
妹──百合の、唾液で濡れた赤い唇が私を嘲笑するかのように歪んでいた。
彼女の生き甲斐は私を陥れて笑い者にすることなんじゃないのかと思わずにはいられない。
ここで涙で化粧をボロボロにした私が掴みかかるのでも期待しているらしく隠しきれていない笑みにイラッとした。
同僚であり恋人であった人と妹の濃厚な口付けを目の前で見てしまった私の虚しさったらない。
何よりこんなことをすれば明日から会社に行きにくくなることを、彼はわからないんだろうか。
「ごめんなさいっ、お姉ちゃん……わたし、孝治さんのことが好きになっちゃっの」
どこの女優?と言いたくなるような嘘泣きに、彼はすっかり騙されていた。
これで何度目かと小一時間問い詰めたい気もするけれど、今日はただでさえ残業帰りで疲れていた。
先に帰ったはずの彼からやけに真剣な声で携帯に電話があったときからこんなことになるんじゃないかと予想はしていたのだけれど。
「永那、俺が悪いんだ。お前がいるのに百合ちゃんを好きになったから……」
「孝治さん……」
何だろう、この茶番劇。
甘ったるいというかピンク色の空気を出し始めた二人に、私は無言で踵を返した。
ついさっき入ってきたばかりの玄関のドアに手をかけてからふと気付く。
ここ、私のマンションなのに。
普通出て行くのは彼らなんじゃないのかしら?
「まあ、いいわ」
ここで何か言っても負け惜しみのように聞こえるだけだものね。
百合は、私への歪んだ愛情からこんなことをしているわけじゃない。
自分が誰よりも何よりも愛されていないと嫌だから、私に八つ当たりしているのだ。
私も私で周囲の期待を百合に押し付けたりしたからどっちもどっちなんだけれど。
「ごゆっくり」
万が一シーツやら床やらを汚したりしたら慰謝料を貰えばいい。
たいして執着していなかった恋人と別れられてむしろいい日だと思うことにする。
ガチャッ。
ドアを開けた瞬間目の前に広がったのは、見慣れた景色ではなくどこまでも続いているような鬱蒼と繁る木々──どうやら私は、世界から切り離されてしまったらしい。
立ち尽くすしかない私は、都合よく飛び出してきた黒い物体に逆らうことはせず意識を手放した。