第5話 隠しきれない二パーセントと、聖女の胸に灯る熱い炎
分厚いレンズ越しに見る、四年ぶりの街の景色。
行き交う人々、屋台の香ばしい匂い、活気ある喧騒。
すれ違う街の人たちは、誰一人として僕を見てよだれを垂らして迫ってこない。
(すごい……本当に、普通の生活ができてる!)
僕は感動に打ち震えながら、隣を歩く天才魔導士に尊敬の眼差しを向けた。
「あの、シオン。これからどうしますか? まずは宿屋を探すか、それとも魔道王国へ行くための馬車の手配を……」
「ルカくん。実は、君に言っておかなければならない、極めて重要な学術的真実がある」
「はい……?」
シオンは、コホンと咳払いをして、すんっと得意げに胸を張った。
「君の認識阻害メガネの素材と旅の支度に、ボクの研究費と貯金を全額つぎ込んでしまった!だから今、ボクたちは見事なまでに無一文だ!!」
「えええええっ!?」
「そんなに褒めるな。君を外の世界へ出すためなら、金貨の百枚や二百枚、安いものさ!」
「褒めてません! どうするんですか、今日泊まる宿屋も、ご飯を食べるお金もないじゃないですか!」
ポンコツな天才魔導士の計画性のなさに、僕は頭を抱えた。
四年間で培った精神力も、この絶望的な状況の前では無力だった。
「ふふん、慌てるんじゃない。こんなこともあろうかと、小銭を稼ぐ手段は考えてある。ついてきたまえ!」
シオンに引っ張られるようにして連れてこられたのは、剣や盾の看板が掲げられた大きな建物――『冒険者ギルド』だった。
「ここで冒険者として登録して、手っ取り早く依頼をこなして日銭を稼ぐんだよ」
「な、なるほど……」
中に入ると、武器を持った屈強な男たちがひしめき合っていて、少し怖かった。
僕は緊張しながら、受付のカウンターへと向かった。
「あの、冒険者の登録をお願いしたいんですが……」
「はい、ようこそ冒険者ギルドへ! 登録ですね。では、こちらの水晶に手を置いてください。現在のステータスと保有スキルがカードに印字されますので」
笑顔で応対してくれた若い女性の受付嬢さんの言葉に、僕とシオンはピタリと固まった。
(……え。スキルの鑑……定?)
(……しまった。無一文になった焦りで、完全に失念していたよ……)
僕たちは顔を見合わせ、滝のような冷や汗を流した。
この四年間、隠れ家に引きこもって研究ばかりしていた弊害だ。
冒険者になるための基本中の基本を、僕は知らなかったし、天才魔導士もすっかり忘れていたのだ。
「どうかされましたか?」
「い、いえ! なんでもありません!」
怪訝な顔をする受付嬢さんに促され、僕は震える手で水晶に触れた。
淡い光が灯り、手元のギルドカードに文字が刻まれていく。
「はい、完了しました。えーっと、お名前はルカくんで……保有スキルは……」
カードを覗き込んだ受付嬢さんが、コテッと首を傾げた。
「【固有スキル:女神の寵愛】……? なんだかとっても神々しい名前ですけど、私、こんなスキル聞いたことないですね。一体どんな能力なんですか?」
「あっ!そ、それはですね!!」
受付嬢さんがさらに深く尋ねようとした瞬間、シオンがバンッ!とカウンターに身を乗り出した。
「そ、それは……! なんというか、あまり口に出せないというか、なんというか……!あー、えっと!」
いつもは立て板に水のように喋るシオンが、かつてないほどしどろもどろになっていた。
当然だ。僕たちは「呪いをどう抑え込むか」しか考えておらず、「他人にどう誤魔化すか」なんて全く打ち合わせしていなかったのだから。
「口に出せない……?」
受付嬢さんが不思議そうに目を瞬かせる。
もうダメだ。こんな得体の知れないスキルが知れ渡ったら、絶対に教会や国に報告されてしまう。
「あ、あのっ……!お願いです、そのスキルは誰にも言わないでください……っ!」
僕は身を乗り出し、すがるような思いで受付嬢さんを見つめた。
絶対に知られたくないという焦りで、情けないほど声がうわずってしまう。
至近距離でバチリと目が合うと――その瞬間、受付嬢さんの動きがピタリと止まった。
受付嬢さんの美しい瞳が、僕の顔――分厚いメガネの奥にある目元をじっと見つめる。
(しまった、メガネがずれた!?)
一瞬、四年前に大聖堂で神官やおばあちゃんが襲いかかってきた恐怖の記憶がフラッシュバックし、僕の背筋が凍る。
「……っ」
受付嬢さんの白い頬が、ぽっと薄紅に染まった。
彼女はなぜかモジモジと身をよじり、上目遣いで僕を見つめてきた。
「な、なんて必死な顔……!可愛らしくて、知的なメガネ男子が、潤んだ瞳で私に頼み事を……っ! はっ!? いけない、私としたことが……!」
受付嬢さんは両手で自分の頬を押さえ、熱っぽい瞳で僕を見つめてきた。
完全に、空気が変わったのがわかった。
「……わ、分かったわ! 誰にも言いたくない、特別な事情があるのよね!?」
「えっ?」
「安心して! 理由はよく分からないけど、ルカくんがそこまで言うなら、本来はダメなんだけど……スキルの欄は私が適当に改ざんしておくから! 私とルカくんだけの秘密ってことで!」
受付嬢さんは、そう言って僕にウインクをすると、信じられないスピードで書類にペンを走らせ、あっという間にスキルを偽造したギルドカードを発行してくれた。
「ところでルカくん、私はイルダっていうの。好きな食べ物は? あ、あの、もしよろしければ、私が個人的に街を案内しましょうか……?」
イルダさんの声は甘くとろけ、やたらと距離を詰めてくる。
「えっと、その……」
「ちょっと待ったあああっ!!」
たまらず僕が後ずさりした瞬間、シオンがイルダさんと僕の間に割って入った。
「な、なんなんだい君は! ギルドの受付嬢ならもっとプロ意識を持ちたまえ! この子はボクの……ボ、ボクの専属の助手なんだからね! 気安く話しかけないでほしい!」
「な、なによ、ただ親切に案内しようとしただけじゃない!……ちっ、邪魔な緑髪ね」
シオンが威嚇し、イルダさんが小さく舌打ちをする。
(……なるほど)
僕はホッと息を吐きながら、一つの真実に気がついていた。
シオンの作ったメガネと僕の精神力で、女神の魅了は九十八パーセントカットできている。
だから、大聖堂の時のように理性を失って襲いかかってくることはない。
しかし、漏れ出している『残りの二パーセント』のせいで――女性から異常なまでに好意を持たれやすくなってしまうのだ。
「とにかく、ルカくんには将来性を感じるわ! だから普通は一番下のFランクからのスタートだけど、特別に私の権限でDランクからにしてあげる!」
「えっ、いいんですか……?」
「もちろん! 困ったことがあったら、いつでも私『だけ』を頼ってね……?」
イルダさんはカードを渡しながら、僕の手にそっと触れ、チラチラと甘い視線を送ってくる。
「……シオン。なんか、すごく怖いんだけど」
「チッ。やはり、残りの『二パーセントの漏れ』は防ぎきれないか……。ルカくん、簡単なクエストをもらって、さっさとこんなギルド出るんだ!」
顔を真っ赤にして怒るシオンを尻目に、薬草採取クエストを受注すると、僕たちはイルダさんの熱い視線を背中に浴びながらギルドを後にした。
○SIDE:フェリシア
「フェリシア様。間もなく、大聖堂に到着いたします」
豪奢な馬車の中で、護衛の騎士シエラの声が響く。
わたくしは、小さくため息をつきながら「ええ、ご苦労様です」とだけ返した。
今日は、このスタッテの街の大聖堂での慰問行事。
沿道にはわたくしを一目見ようと、多くの民衆が歓声を上げている。
幼い頃から聖女として育てられ、神に祈りを捧げるだけの日々。
正直に言えば、少しだけ退屈だった。
(……わたくしの人生は、これからもずっと、こうして籠の中で守られて生きていくのですね)
そんな憂鬱な気分を誤魔化すように、わたくしは馬車の窓のカーテンを少しだけ開け、外の景色を眺めた。
ちょうど、冒険者ギルドの前を通りかかった時のことだった。
ギルドの扉が開き、一人の少年が出てきた。
分厚いメガネをかけた、黒髪の少年。
彼がふと顔を上げ、馬車の窓から覗いていたわたくしと――バチリと目が合った。
ドクンッ!!
――え?
その瞬間、わたくしの心臓が、今まで経験したことのないほどの激しい音を立てて跳ねた。
(な、なに? 今の、胸の苦しさは……っ)
視線を外すことができない。
あの少年の、不安げで、どこか庇護欲をそそる瞳。
今すぐこの馬車の扉を蹴り開けて、彼のもとへ駆け出したい。
彼を抱きしめ、わたくしのすべてを捧げたいという、狂気にも似た衝動が腹の底から湧き上がってくる。
「……っ!!」
わたくしはハッとして、慌ててカーテンを閉じた。
胸を強く押さえ、荒くなる呼吸を必死に整える。
聖女としての高い神聖力と精神力がなければ、本当に馬車から飛び降りていたかもしれない。
(あの少年は、一体……)
火照る頬を両手で包み込む。
たった一瞬、目が合っただけなのに。
彼の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
これが、本で読んだことのある『初恋』というものなのだろうか。
淡く、けれど決して消えることのない熱い炎が、わたくしの胸の奥で確かに灯ったのだった。
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