第3話 天才魔導士の検証実験と、呼び捨ての破壊力
僕が連れて行かれたのは、女の子が研究を行っているという町外れの小さな一軒家だった。
家に入ると僕は、「ごめんね」と、後ろから目隠しをされ椅子に座らされた。
気のせいかもしれないけど、女の子は僕に触れるたび、「はぁはぁ」と呼吸が荒くなるような気がした。
「おっと、すまない……。なんだか、魔力を使いすぎたみたいで呼吸が荒くなってしまった……。さて。ボクの名前はシオン。君の名前は?」
「助けてくれてありがとうございます、シオンさん。……ぼ、僕は。ルカって言います」
僕はかすれる喉から、声を必死に絞り出した。
「ルカくんっていうのか! いい名前だねぇ」
シオンの声が、心なしか弾んで聞こえた。
「で、ルカくん。一体君、女神に何を授けられたんだい?」
シオンの声が急に低くなる。
まるで、僕を尋問するような鋭さだった。
「実は――」
視界を奪われた暗闇の中。
インクと古い紙の匂いがするこの奇妙な部屋で、僕は震える体を必死に抑えながら、女神様とのやり取りの一部始終を話した。
シオンは黙って、僕の話を聞いていた。
「なるほど」
僕の話が終わると、シオンは小さくうなずく。
そして、続けた。
「いいかい、ルカくん。君が授けられたのは魅了の力だ。祝福なんて生易しいものじゃない。はっきり言って、これはもう呪いだよ。それも国を滅ぼしかねないほどのね」
「呪い……ですか」
「そう。あの大聖堂の惨状を見ただろう? あれが君の力だ。君がただ見つめるだけで、あらゆる人間が理性を失って君を求めてしまう」
シオンの言葉に、僕はブルリと身震いした。
全力疾走で迫ってきたおばあちゃんの顔や、号泣する神官の姿がフラッシュバックする。
「そ、そんな……。じゃあ、僕はどうすれば……」
「安心していい。ボクがなんとかしてあげるよ」
目隠しをされているせいで姿は見えないが、シオンがドンと胸を叩く気配がした。
「改めて自己紹介しよう。ボクは魔道学院始まって以来の秀才にして、将来の賢者候補! そしてうら若き十八歳のレディ、シオン様だ! 今は女神のスキル授与について研究していてね、あの大聖堂にもその一環で来ていたんだ」
「じゅ、十八歳!? 賢者候補って……じゃあ、立派な大人なんですか?」
「なんだい、目隠し越しでも分かるくらい驚いて! なにか不服かい?」
「だって、さっきちらっとみた時や、声の感じや手の小ささから、僕と同じ十二歳くらいの子かと思ってました……」
「失礼な! ボクは天才ゆえに脳みそに栄養が全部いっちゃったから、身体の成長が少し遅れてるだけだ! ……こほん。まあいい。ボクがすごい魔導士だってことは分かっただろう?」
「は、はい……すごい人なんですね」
「ふふん、そうだろう。でも、君のその呪いは、このボクの最高位の自動魔法結界すらも容易く貫通してきた。はっきり言って、今の君が外を歩けば、街一つが愛への執着で簡単に崩壊する。普通の生活なんて、絶対に送れない」
目隠しをした僕の耳に届いたのは、死刑宣告にも近い、避けられない事実だった。
突きつけられた現実に、目の前がさらに真っ暗になる。
「そんな……僕、孤児院にも帰れないんですか……?」
僕がうなだれると、シオンの息遣いが再び「はぁっ」と荒くなった。
「帰れないね! 絶対にダメだ!……こほん。だから、君はしばらくここ――このボクの研究室で暮らすといい」
「えっ」
「言っただろう? ボクは女神の研究者だ。君のようなイレギュラーな存在は、間違いなく最高の研究対象になるからね!」
シオンはなぜか、ものすごく早口でまくし立て始めた。
「だ、だから、決して君を独り占めして、誰の目にも触れさせたくないとか、そういう不純な動機じゃないんだ! これはあくまで学術的な興味! そう、世界を救うための偉大な研究なんだよ!」
「は、はぁ……」
顔は見えないけれど、なんだか必死に自分に言い聞かせているような声だった。
「その呪いを抑え込む方法が見つかるまで、ボクが君を保護して、研究させてほしい。もちろん、君にとっても悪い話じゃないはずだ。……どうかな?」
「でも……迷惑じゃないですか? ただでさえ、こんな呪いをもらってしまって……」
僕が恐る恐る尋ねると、シオンは再びものすごい勢いで食い気味に答えた。
「迷惑なものか! むしろ大歓迎……いや。ボクの知的好奇心を満たす最高のテーマだと言っているだろう! それに、ボクが君を放っておけるわけない……いや、放っておけば世界が滅ぶからね!」
そっと、僕の手に温かいものが重ねられた。
シオンの手だ。
先ほど路地裏で握られた時よりも、さらに熱を帯びている気がする。
「……わかりました。よろしくお願いします、シオンさん」
他に頼るあてもない僕は、その小さな手を握り返した。
すると、シオンはコホンと一つ咳払いをして、少しだけもじもじと言った。
「ああ、よろしく! ……それと、ボクたちはこれから共に暮らす研究パートナーなんだから、『さん』付けなんて堅苦しいのはなしだ。シオン、と呼んでくれ」
「えっ……でも、年上ですし、賢者候補で……」
「いいから! ほら、試しに呼んでみて!」
ぐいっと顔を近づけられ、僕は気圧されるように頷いた。
「よ、よろしくお願いします。……シオン」
僕が恐る恐るそう呼ぶと、シオンの息を呑む気配がした。
そして、握られた手にさらにギュッと力がこもる。
「う、うんっ! いいね、すごくいいよ、ルカくん!」
◆SIDE:シオン
「よ、よろしくお願いします。……シオン」
ルカくんが、少し照れたようにボクの名前を呼び捨てにしてくれた。
その瞬間、ボクの心臓がドクンドクンと限界を突破するようなテンポで鳴り始めた。
(や、やったぁぁぁ!! 呼び捨てゲットぉぉぉ!! ……じゃなくて!)
ボクは心の中で頭を抱え、床を転げ回りたい衝動を必死に抑え込んだ。
「一緒に暮らそう」だなんて、なんて大胆な発言をしてしまったんだ、このボクは!
相手は十二歳の少年だぞ。
いくらボクが十八歳にしては見た目が幼いからといって、同棲を申し込むなんて犯罪スレスレじゃないか。
(ち、違う! これは純粋な学術研究だ! 女神のイレギュラーなスキルを解明することは、将来の賢者候補であるボクの使命!)
そう、ボクには正当な理由があるのだ。
落ち着け。まずは、事後処理だ。
後で学院長に手紙を書かないと。
大聖堂での事件は、集団催眠的な何かってことにしてもらう必要がある。
そこは、学院長がうまくやってくれるはずだ。
こういう時に、普段の借りを返してもらわなければ、いつ返してもらうって言うんだ。
ルカくんの孤児院には、学院長経由で「魔力に見込みがあるから特待生として引き取る」とでも手回ししてもらおう。
大聖堂の人々には記憶忘却の魔法をかけたし、これで彼が国中から狙われるお尋ね者になることはないはずだ。
我ながら完璧な隠蔽工作である。
「よし、ルカくん。さっそく君の『女神の寵愛』の能力を検証させてもらうよ」
ボクは咳払いを一つして、努めて冷静な、天才魔導士らしい声を出した。
「検証……ですか?」
「そうだ。敵を知らねば対策は立てられない。まずはボクが身をもって、君の能力の強度を体験する」
目隠しをしたまま首を傾げるルカくんに、ボクは麻のロープを手渡した。
「後ろから、ボクをこの椅子に縛り付けてくれ」
「えっ!? ぼ、僕がシオンさんを縛るんですか!?」
「そうだ。万が一のことがある。君の目を見たボクが、理性を失って君を押し倒し……ゲフンゲフン、君に何をするか分からないからね!」
戸惑うルカくんに細かく指示を出し、ボクは研究室の頑丈な椅子にグルグル巻きにしてもらった。
「いいかい。もしボクが正気を失って暴走するようなら、そこにあるバケツの水をぶっかけるなり、頬を思い切り叩くなりしてくれ。それでもダメなら、机の上にある薄い金属のお盆で、ボクの頭を容赦なく叩き割る勢いで殴ってくれて構わない」
「そ、そんな恐ろしいことできませんよ!」
「やるんだ! これは研究のためだ!」
ボクは大きく深呼吸をし、体内の魔力を限界まで練り上げた。
大聖堂で展開した自動魔法結界をさらに強化し、対精神干渉の多重結界を幾重にも張り巡らせる。
脳内の化学物質の分泌をコントロールする魔法も付与した。
これなら、いかなる強力な魅了魔法だろうと完全に抵抗できるはずだ。
「準備はいいかい、ルカくん。目隠しを外して、ボクの目を見てくれ」
「……はい」
ルカくんが、おずおずと目隠しの布を外した。
そして、不安そうな黒い瞳が、ボクの目を真っ直ぐに捉えた。
ドクンッ!
(……っ、来た! 凄まじい精神干渉波! でも、ボクの結界が……結界、が……)
数秒後。
ボクの視界は、バラ色に染まっていた。
「ああっ……ルカくん……! なんて、なんて可愛いの……! その不安そうな顔、最高だよ! ねえ、縄を解いて? ボクを抱きしめてぇっ!」
「シ、シオンさん!? 目が血走ってます! よだれも出てますよ!」
「いいから! 早くボクと一つに――」
ガァンッ!!
凄まじい金属音が部屋に響き渡った。
「あだっ!?」
頭頂部に走った激痛で、ボクの意識は急浮上した。
涙目で上を見ると、ルカくんが薄い金属のお盆を両手で握りしめ、ガクガクと震えていた。
お盆を握りしめ、必死に謝るルカくんの顔。
上目遣いで、少し涙ぐんでいて、申し訳なさそうにハの字に下がった眉。
その庇護欲をそそる表情を至近距離でまともに食らって――。
ドクンッ!
「ああっ……! ごめんなさいって怯えている顔も、最高に可愛すぎる……! ねえ、もう一回叩いて……!」
「シ、シオンさん!?」
ガァンッ!!
再び響き渡ったお盆の金属音と共に、ボクは今度こそ床に突っ伏した。
「……い、いや。連続の打撃、よくやってくれた……」
ボクは頭にできた二つのたんこぶを押さえながら、自分のポンコツ具合に絶望していた。
最高位の魔法障壁を張ったのに、数秒ももたなかった。
(……恐るべし、女神の呪い)
ボクの長くて過酷な、そして少しだけ幸せな研究生活が、こうして幕を開けたのだった。




