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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
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短編集

友達ってずるい

作者:

 高校三年になっても補欠のまま。

 それでも毎日ここに残って、練習をしていた。

 バスケットが好きだから。


 ある夕方。

 入口の扉が、ギイッと鳴った。


 誰も来ないはずの時間なのに、って思った瞬間、足音が近づいてきた。

 振り返ると、背が高くて、髪を短く切ってて、ジャージの上に古いパーカーを羽織ってる。

 ボールを持った一条葵だった。


 私はまともに話したことがない。

 葵は、はるか遠くにいる感じの人だった。

 同じ体育館にいても、同じコートに立ってても、存在感がしっかりしている選手だった。


 人気もあった。

 怪我してからも、ただ消えたわけじゃなくて、リハビリをしながら、いろんな子にフォームを直したり、声をかけたりしてた。

 誰かの横に立つのが自然で、みんなもそれを当たり前みたいに受け取ってる。


 帰宅したと思ったのに、なぜここにいるんだろう。

 そう思った瞬間、目が合った。


 葵は少しだけ驚いた顔をした。

 でもすぐに、口の端を上げてニヤッと笑う。


「……ここ、使ってた?」


 葵の声は低くて、少し掠れていた。

 体育館の広さのせいか、思ったより近くに響く。


 私はボールを抱えたまま、少し迷ってから首を振った。


「……もう、みんな帰ったし」


「そっか」


 葵はそれだけ言って、コートの端に立った。

 ラインの外側。邪魔にならない場所。

 その距離の取り方が、いかにも彼女らしくて、少しだけ胸がざわつく。


 軽くボールを落とす音がした。

 ドン、と乾いた音。


 葵がドリブルを始める。

 無駄のない動き。音が安定していて、床に吸い付くみたいだ。


 私のシュート練習のリズムと、最初は少しずれている。

 でも、気づいたらその音が、自然に混ざっていた。

 体育館に、二つのリズムが重なる。


「……さすがだね。ブランク無いように見える」


 私がそう言うと、葵はボールを止めて、短く息を吐いた。


「そうかな」


 それだけ。

 褒められて嬉しいって顔でもないし、否定したいって顔でもない。

 ただ、軽く受け流すみたいな感じだった。


 怪我のことも、いろいろ知ってる。

 だから私は、それ以上踏み込めなかった。

 聞いた瞬間に、空気が変わりそうで。


 葵はまたドリブルを再開した。

 一定のリズムで、床を叩く音だけが広がる。

 さっきより少しだけ、強い。


 私は邪魔にならないように距離を取って、シュート練習を続けた。

 同じ体育館なのに、空気が変わった気がする。

 誰かがいるだけで、音の重なり方が違う。


 しばらく、言葉はなかった。

 でも気まずさはなくて、むしろ集中しやすい沈黙だった。


 数分くらい経った頃、葵が急にドリブルを止めた。

 そして、何の前触れもなく、ボールがこっちに飛んでくる。


 反射的に、受け取ってしまった。


「……一対一、やろ」


 軽い声感じだったけど、その目を見たら、私もやる気になっていった。


「……負けたら?」


 私が聞くと、葵は口の端を上げた。


「私が勝ったら、友達になろ」



「……うん」


 そう答えた途端、胸の奥が少しだけ熱くなる。

 言葉にしたら、何かが変わってしまいそうで、ずっと言えなかったのに。


 もし私が勝ったら。

 そのときは、私から言おう。

 友達になろって。


 葵がドリブルで距離を詰めてくる。

 音が低くて、一定で、床に吸い付くみたいだ。

 怪我したって、本当に?って思う。


 私は一歩下がって、本気でディフェンスに入った。

 頭では動きが読めてるつもりなのに、体がほんの少し遅れる。

 近い。

 肩が触れそうで、視線を外したくなる。


 フェイント。

 反応した瞬間、重心がずれた。


「……っ」


 簡単に、抜かれた。


 でも、その一瞬。

 葵の動きが、ほんの少しだけ鈍った気がした。

 私の視線を気にしたみたいに。


 シュート。

 リングに当たって、乾いた音が体育館に響く。

 決まった。


 私は息を吐いて、その場に立ち尽くした。


「……負け……た」


 私がそう言うと、葵はボールを拾って、私のほうを見たまま小さく息を吐いた。


「……ちゃんと付いてこれたね」


 私は何のことか、すぐには分からなかった。


「ディフェンス。ちゃんと付いてきた」


 それだけ言って、葵は私の横に腰を下ろした。

 距離は近いけど、触れない。

 触れないから、余計に意識する。


「……怖かった?」


「……うん」


 正直に言うと、葵は少しだけ笑った。


「私も」


 それ以上、言葉は続かなかった。

 でも、沈黙が嫌じゃない。


 私は膝の上で指を組んで、床を見た。

 ラインの白が、少し剥げている。


「……さっきの」


 私が言いかけると、葵が視線を向けてくる。


「友達の話?」


「……うん」


 葵は一瞬だけ考えるみたいに、視線を落とした。


「無理に、って意味じゃないよ」


「分かってる」


「ただ……」


 そこで言葉が止まる。

 葵は、続きを言わなかった。

 でも、その沈黙が、さっきより近い。


 私は立ち上がって、ボールを拾った。

 一度、床に落とす。音が、少しだけいつもより軽く感じる。


「……もう一本、やってもいい?」


「うん」


 短く、でもはっきり。

 二人でコートに立つ。

 さっきより、少しだけ距離が縮まっている気がした。


 ボールをつく音が、また重なる。

 体育館の中に、同じリズムが生まれる。


 この時間が、まだ名前のつかないままでいいと思った。

 でも、心のどこかで分かってる。

 もう、ひとりで打つ音には戻れない。


 次の日から、葵が残るのは当たり前みたいになった。


「今日、残る?」


 更衣室の前とか、片づけの途中で、葵が短く聞く。


「うん。シュートだけ」


「了解」


 それだけのやり取り。

 でも、その一言があるだけで、帰り道の気持ちが変わる。


 部活が終わって、最後の片づけが終わる。

 体育館の照明が半分だけ残って、コートの端に影が伸びる。


 私がボールを持って戻ると、葵はもうストレッチを始めてる。

 先に来てるんじゃなくて、ちゃんと一緒に残ってる感じ。


「始めていい?」


「うん。見てる」


 その距離が、いちばん落ち着く。


 私がシュートを打ち始めると、体育館の音が変わる。

 部活のときより静かで、でも空っぽじゃない。


 葵はコートの端に座って、ストレッチを続けてる。

 視線はこっちに向いてるけど、じっと見つめる感じじゃない。

 必要なときだけ、見る。


 シュートを放つと、ボールはリングを弾いて床に落ちた。

 私は拾いながら呼吸を整えて構える。

 もう一度リングを見てシュートする。

 ボールは放物線を描いて、枠に触れずにスポッとネットに吸い込まれた。


 葵が小さく、指で丸を作った。

 何本か続けるうちに、足が少し重くなってきた。

 フォームが崩れそうになるのが、自分でも分かる。


「……休も」


 私が言うと、葵はすぐ立ち上がった。


「水、飲んで」


 差し出されたボトルを受け取る。

 冷たくて、少し甘い。


「最近、無理してるでしょ」


「……分かる?」


「分かる。最後の一歩、浅くなってる」


 責める言い方じゃない。

 事実を置いてるだけ。


 私はボトルの口を閉めて、床に座った。

 背中を壁に預ける。


「……試合、近いから」


 言った瞬間、胸がきゅっとした。


 葵は少しだけ間を置いて、隣に座る。

 肩が、軽く触れる。

 触れたところだけ、妙にあたたかい。


「試合には出たい?」


「……うんでもそれと同時に怖いの」


「なぜ?」


「どうしても失敗を気にするから、戦犯になって攻められるのが怖いの」

正直に言うと、葵は頷いた。


「それでいいよ」


「え?」


「恐怖がない方が危険。でも感じすぎるのもだめだから練習するんだよ。試合でも練習と同じようにできるようにね」


 そう言って、葵は前を見た。


「でもね」


 葵は少しだけ息を吐く。


「休めってサインを見逃して、無理して続けた結果、私は身体を壊したの」


 その言葉が重いのに、胸の奥に落ち着く場所があった。

 怖さを消せって言われてない。

 無理で塗りつぶせって言われてもない。


「今日は、ここまで」


「……まだ、打てるけど」


「だめ」


 短いけど、きつくない。

 止めるって言葉が、ちゃんと守るみたいに聞こえた。


「明日も残るでしょ」


 その言い方が当たり前みたいで、少し安心した。


 私は立ち上がって、ボールを片づけた。

 照明を落とすと、体育館が一気に夜になる。

 出口に向かう途中、葵が言った。


「明日、ミニゲームあるよ」


「……うん」


「名前、呼ばれるかも」


 心臓が、少しだけ跳ねた。


「呼ばれたら、居残りのときみたいにやればいい」


「……うん」


「私も見てるから」


 軽い声だったけど、目は私から外れなかった。

 靴を履いて外に出ると、夜風が肌に触れて、熱がすっと引いた。

 並んで歩く。

 でも、隣に影があるだけで、帰り道が短く感じた。


 次の日。

 ミニゲームは、思ってたより急に始まった。


 部活の最後。

 いつものように整理体操に入ると思ってたら、監督が笛を鳴らした。


「時間あるから、軽く回すぞ」


 コートの空気が、少し変わる。

 名前を呼ばれて、何人かが前に出る。


 私は無意識に、葵の方を見た。


 葵は何も言わない。

 ただ、視線だけで頷いた。


 コートに立つと、足元が少し落ち着かない。

 練習なのに、本番みたいに心臓がうるさい。

 それが恥ずかしくて、私は顔を上げた。


 ボールが来た。

 一瞬迷ったけど、あの居残りの時間が背中を押す。

 最後まで打ち切って、外れた。


 自分の中で、何かが縮む。

 でも、誰も何も言わなかった。

 ただ、次のプレーが始まる。


 もう一度ボールが来た。

 ターンしかけた瞬間、葵の顔が見えた。

 あの練習で言われたことが、頭の中で戻ってくる。


 私は一回ドリブルを入れて、味方にパスするふりをした。

 相手が一瞬止まる。

 その隙に、体が勝手に動いた。

 一歩、踏み込んで、手首を返す。

 ボールは練習通りに、枠に触れずスポッとネットに吸い込まれた。


「ナイス」


 誰かが言った。

 それだけで、胸の奥がほどける。


 ミニゲームが終わって、笛が鳴る。

 私は息を切らして、ベンチに戻った。


 葵が、すぐ横に来る。


「……ナイスゴール」


 周りには聞こえない小さい声だった。


「……うん」


「もう大丈夫だよ」


 それだけ言って、葵は水を飲んだ。

 普段通りのその普通さが、嬉しかった。


 着替え終わって、体育館を出ると、空はもう暗い。

 外灯の光が、地面に影を落とす。


 地区大会当日。


 体育館に入った瞬間、空気が違うって分かった。

 声が反響して、足音が重なって、コート全体が落ち着かない。


 私はベンチに座って、ユニフォームの袖を無意識に握っていた。

 

 前半、相手チームの試合の入りがよくて攻め込まれてる。

 でも、まだ焦る時間じゃない。

 頭ではそう分かってるのに、胸の奥がざわつく。


 初戦の公式戦の雰囲気に、少しだけのまれてる。

 笛も、床を叩く音も、応援も、全部が近い。

 私はベンチで呼吸を整えながら、コートだけを見ていた

 

 葵の横顔は、ずっと静かだった。

 声を張らないのに、目だけはコートを追っている。

 その落ち着きに、私は救われてしまう。


 前半が終わる。

 点差は小さい。チームも踏ん張ってる。

 でも流れは、まだ相手に寄っている。


 後半に入って、残り時間が削れていく。

 一本返しても、すぐ取り返される。

 気づけば残り五分。点差は詰まりきらない。


 そこで、タイムアウトがかかった。


 監督が指示を出しながら、ベンチを見回す。

 その視線が、一瞬だけ私のところで止まった。


「……綾」


 呼ばれた。

 心臓が跳ねて、音が遠くなる。

 立ち上がろうとした瞬間、背中に軽く触れる感触があった。

 振り返らなくても分かる。葵の手。


「大丈夫。私も一緒に戦う」


 小さな声だったけど、それだけで足が前に出た。


 背中に触れたところが、まだ熱い。

 息は浅い。なのに、音だけがやけにくっきり聞こえる。

 コートに立つ。床が硬い。靴底がきゅっと鳴った。


 顔を上げると、リングがある。

 いつもと同じ場所に、いつもと同じ高さで。


 でも今日は、視線が刺さる。

 客席も、相手も、味方も、全部。


 その中に、葵の目があった。

 逸らさない。

 それだけで、勇気が出て周囲が広く感じられた。


 ボールが回ってきた。

 一瞬だけ、手のひらが冷たくなり、迷いそうになる。


 でも、葵の目が浮かんだ。

 考える前に、体が先に出た。


 右に一回、低くドリブルをつく。

 腰を落として、パスを出すふりをする。

 相手の重心が、ほんの少しだけ横に流れた。


 その瞬間、私は逆に踏み込み、もう一回だけドリブルをして止まる。

 膝を沈めて、跳ぶ。指先で押し出すみたいにボールを放りこんだ。

 ボールは放物線を描いて、枠に触れずスポッとネットに吸い込まれた。


 歓声が、少し遅れて耳に刺さった。

 私は息を吐いたつもりなのに、肺の奥がまだ熱い。

 視線が勝手にベンチへ飛ぶ。


 葵がいた。

 私を見て、口元だけで笑う。

 今までで、いちばん柔らかい顔。


 拳が、一瞬だけ固くなる。

 すぐにほどける。

 その動きを見た途端、胸の奥が熱くなった。


 点を取った実感より先に、その熱だけが、残った。


 試合がどう転んだか、細かいことは覚えていない。

 走って、息をして、音の中にいた。

 怖さもそのまま、私の中にいた。

 でも、怖さが私を止める前に、葵の手の感触が思い出せた。

 笛が鳴って、終わった。


 足がふらついて、ベンチに戻る。

 自分が戻ってきたことだけで、少し泣きそうになる。

 葵が立っていた。


「おつかれ」


 それだけ。派手な言葉も、笑顔もない。

 でも、その一言で、足の力が抜けた。


「……怖かった」


 私が言うと、葵は一瞬だけ目を伏せた。


「うん」


 否定しない。


「でも、点を取れたよ」


 私はその場にしゃがみ込んで、ユニフォームの裾を握った。

 汗と、床の匂いと、少しだけ涙。


 葵は隣にしゃがんで、何も言わずにタオルを差し出した。

 受け取ると、指が触れた。

 一瞬。でも、離れなかった。

 そのまま、タオルの端を握ったまま、葵が小さく息を吐く。


「……ほんとにさ」


「なに」


「友達って、ずるい」


 私は顔を上げた。

 葵は笑ってない。

 でも、目だけが少し柔らかい。


「友達って言ったら、近づいてもいい気がする」


 胸がどくんとした。嬉しいのに、怖い。

 でも、その両方が、今は嘘じゃない。


 喉の奥で声が引っかかって、うまく言葉にならない。

 だから指先に力を入れた。タオルの端を、握り返す。

 葵が少しだけ驚いた顔をして、すぐに視線を外す。


 周りでは、片づけの音が増えていく。

 ボールが転がる音。ベンチを引く音。誰かの笑い声。

 私たちはそれに紛れるみたいに、ゆっくり立ち上がった。


 タオルを返すとき、もう一度だけ指が触れた。

 今度は、すぐ離れた。


 荷物をまとめて、着替えて、廊下に出る。

 まだ耳の奥に歓声が残ってる。


 そこで、葵が小さく言った。


「……帰る?」


「……うん」


 立ち上がる時、葵が先に立つ。

 でも、そのまま歩き出さない。

 一歩だけ、待つ。


 私はその隣に並ぶ。

 体育館の出口に向かう短い通路が、いつもより長く感じた。


 外は夕方で、空がオレンジ色に傾いていた。

 冷たい風が頬に当たって、汗の熱が引いていく。


「もう、居残りしなくてもいい?」


 私がぽつりと言うと、葵は少しだけ眉を動かした。


「したいなら、すればいい」


「……したい」


「じゃあ、しよ」


それだけ。

でも、その返事が、胸の奥をゆっくりほどいていく。


 並んで歩く。

 距離は肩ひとつ分。

 触れないのに、触れてるみたいに感じる。


 バスケットは続く。試合もまだある。

 試合の怖さも、たぶん消えない。

 でも、ひとりで残る場所は、もう必要ない。

 葵が隣にいるなら。


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