033. 濁り始めた聖水
「本当にありがとうございます――!」
「そんな……」
頭を下げたまま倉田先生がお礼を言うと、晃生さんは慌てたように言います。
「顔を上げてください。俺にはそのアーティファクトを効率よく使う力はないので――当然のことです。
……それより、こちらを」
聖水の入った瓢箪を腰から外し、先ほどのアーティファクトと一緒に差し出しました。
「龍石神社の聖水で、クオリティは最上の物です」
倉田先生は顔を上げて二つの物を受け取ると、胸ポケットに入れていた眼鏡をかけて瓢箪をじっと見つめました。
「これは――⁉︎
とても助かります! このままでは重症患者にしか手が回らないかと思っていたところだったので……!
コレがあれば避難所に集まっている方々全員を治癒しても残るでしょう――」
どうやら眼鏡は鑑定系のアーティファクトのようですね。
聖水の力を正確に理解し、どれくらいの患者が救えるのかを一瞬で計算して――興奮気味に言いました。
「重症患者にしか……?」
晃生さんは何かが引っかかったのかつぶやきます。
「クオリティが下がってるとはいえ、この病院の裏に流れてきている水は龍石神社の聖水。
軽度の者たちなら、それでなんとかなっているんじゃないのか?」
「……それが――――」
倉田先生はとても言いにくそうに、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めました。
「……数日前から水質が著しく落ちてしまっているんです……。
このまま下がり続けたら飲み水にもならないほどに」
「――!――」
「それは――おかしくないか――?
龍石は――まだ力を保っている。なのに――――」
「ですが……事実、ここに集まってきた軽傷者の方々を治す力すら……」
チラリと、部屋の入り口の方を見る倉田先生。その視線の先には、大きな水差しが――
「――あの水差しの水……ですか――?」
私は思わず声に出してしまいました。なぜなら龍石からいただいた瓢箪、それに小瓶に移した聖水は白く淡い光を放っているけれど、水差しの水にはその気配が全くなく、それどころか――
「透明度は高そうだが――」
え――⁈
晃生さんの言葉に、私は改めて水差しを見ました。何故ならその水は……私には墨を薄く溶かしたように、黒く濁って見えていたから――
「龍石神社からここまでの間に何か問題が起きているのかもしれないな――」
「神社からここまで、水のルートは地中なんですか?」
「いや、地上と地下と半々だったはずだ」
あの湖の水全てを、ハイクオリティな聖水に変化させるのにどれくらいの時間がかかるのかは想像もつきませんが――
自分の目で見た湖の水と、その水差しの水とでは……あまりにも違いすぎて、胸がざわつきます――
「見に行ってみますか」
私は晃生さんに向けて言いました。
「……そうだな。ここの裏山から登っていってみるか」
「――行ってくれるのですか?」
晃生さんの口から、すんなりと同意の言葉が出てきたことが意外だったのか、倉田先生は不安げに聞いてきました。
「あぁ。俺の今月の仕事は完了してるし、龍石が頑張ってくれている聖水がここまで届いていないだなんて……俺が我慢ならないからな」
「ありがたいです――! 上からは聖水に頼らずに技術の向上をと通達が出されているのですが……あまりにも急ですし、心許なくて――」
技術の向上だけではどうにもならないこともあるだろうに……。
いつの時代も無茶を言ってくる組織とは無くならないものなのかしら――。
「いずれにしろ技術の向上は必須だ……人も、アーティファクトも……。
人の方はよろしく頼むよ、先生。俺には……難しいから」
晃生さんは苦笑しながら言いました。
そうして私たちは避難所を後にして、裏の滝から水源への道を遡り、原因を確かめに行くことに――




