騎士団長から婚約破棄を告げられた令嬢は地味化計画を推し進めることにした
私は王宮騎士団で働く事務官、リリー・クロフォード。
名門伯爵家の令嬢──ではあるが、
派手なドレスも、芝居がかった立ち振る舞いも、まったく性に合わない。
「ほどほど」を信条に、目立たず、出る杭とならぬように、
無難な笑顔だけを武器に、今日まで生きてきた。
──これでも、『地味化計画』を始める前の話だ。
隣に立つのは、世界一寡黙な銀髪碧眼のイケメン騎士団長、クラウス・ヴェルナー様。
なぜ私が、こんな派手な存在と婚約しているのか。
......正直、私自身が一番知りたい。
きっと前世で、川に流された子猫を百匹ほど救ったに違いない。
その日、私はクラウス様から「話がある」と呼び出された。
普段から石像と見紛うほど、表情筋が死んでいる彼だが、
今日はさらに輪をかけて石畳のような表情をしている。
その硬い表情に、「馬小屋の掃除を頼まれるのかもしれない」と察し、密かに身構えた。
クラウス様は寡黙な人である。
三言以上喋ろうものなら、ひと言ごとの間に訪れる沈黙があまりに重く、息苦しく、
「ここ、急に酸素薄くなりました?」と心配になるほど。
けれど、寡黙なくせに、いざ口を開けば──
「文句は私に言え。責任は取る」
なんて格好いいことを言うから、騎士団内では信奉者が日々増殖中だと聞く。
責任感が強く真っ直ぐで誠実な、まさに騎士の鑑のような人だ。
──だが、今日の彼は明らかにおかしい。
落ち着きなく指で机を叩き、飲み干したグラスを意味もなく傾けている。
「水差しをお持ちしましょうか?」と声をかける隙すら、どこにもない。
延々と傾くグラスに液体を注ぐのは至難の業だろう。
いくらなんでも、馬小屋の掃除を頼むだけで、ここまで言いづらそうにするだろうか。
……いや、馬糞相手に人を働かせるのだ。躊躇も当然だろう。
私は納得して、静かに頷いた。
「リリー」
クラウス様に名前を呼ばれて、私の背筋はピシッと伸びた。
本人に自覚はないが、彼の声には自然と人を正す力がある。
沈黙が、長かった。
およそ二分。体感五分。
私の肺が悲鳴をあげた頃、
ついにクラウス様は沈黙を破り、ようやく重たい口を開いた。
「君と……婚約を破棄したい」
──ふむ。
馬小屋の掃除どころではない。
馬糞ではなく、私の人生そのものが回収されそうな頼みだった。
「……理由を、三点ほどお聞きしてもよろしいでしょうか?」
表面上は冷静を装いながらも、内心は激しく動揺していた。心臓が一回、変なリズムを刻んだ気がする。
クラウス様は少し顔を伏せ、逡巡したのち──絞り出すように言った。
「……君が、可愛すぎるからだ」
一瞬、脳内で一羽のカナリアがぷつりと絶命した気がした。
真っ白というより、逆にものすごく理性的に、私は問う。
「それは、問題点に該当しますか?」
「問題だ。私は、君の前で理性を保てない。……だから、離れたい」
──なるほど。
全然わからない。
これが愛の告白でないなら、一体何が告白なのか。
理由を問うたのに謎が深まったが、
彼が「問題」だと思うなら、そうなのだろう。
彼なりに思うところがあって、
“可愛すぎる”私から離れたいというのだ。
つまり──
(私がもっと地味になれば、問題は解決するのでは?)
あっさりと結論に達した私は、その場で深く頷いた。
「承知しました。改善に努めます」
なぜかクラウス様は困惑していたが──まあ、気のせいだろう。
翌日から、私の"地味化計画"は始動した。
まず、髪型を変えた。
ふんわり巻いた髪をやめ、ぴしっと一つ結びに。
控えめな髪飾りも撤去。
元より華美とは無縁だったドレス類もすべてブラウン&カーキに統一した。
テーマは『最後まで枝にしがみつく落ち葉』だ。
結果──
「リリー、体調が悪いのか?」
クラウス様に、真剣な顔で心配された。
……距離を取りたいんじゃなかったのか。
どうやら彼の中で「可愛すぎる問題」より
「顔色死んでる疑惑」の心配が上回ったらしい。
パーソナルカラーの重要性は再認識させられたものの、
私の地味化計画は初日から効果アリと言っていいだろう。たぶん。
さらに余念なく、表情訓練にも着手した。
なるべく感情を出さないように、徹底して無の表情を心がける。
鏡に映った自分を見て、「これは生きた人間か?」と一瞬本気で思った。
“無の境地”に至る練習も繰り返し行った。
私はいつ「ブッダ」と呼ばれても構わない。
人生ほどほど、という信条をかなぐり捨てて努力したつもりだ。
その成果か──
三日後、クラウス様に問われた。
「……リリー、怒っているのか?」
健気にも彼のために無の境地を極めたというのに、怒っていると誤解されるとは。
(地味の道は、三夜にしてならず……)
私は静かに肩を落としたが、
それでも、地味化計画をやめるわけにはいかなかった。
(だって──婚約破棄なんてしたくない)
本当は、誰にも言えないけれど。
私、クラウス様のことが、びっくりするくらい、好きなのだ。
──そして、事件は起きた。
その日、私はクラウス様に呼び出され、
騎士団長室に通された。
私の顔を見るなり、クラウス様は珍しくそわそわとし始める。
いつもは剣の方が雄弁といっても過言ではない人が、なんだか落ち着きがない。
(まさか……正式に婚約破棄を……?)
喉がからからに乾くのを感じながら、私は姿勢を正した。
「リリー、少し……散歩に行かないか」
思わず私は耳を疑った。
──散歩?
あの無口・真面目・実直の権化が? 質実剛健を地で行くクラウス様が?
職務中に?
(これは、もはや……修復不可能かもしれない)
覚悟を決め、私は無言で頷いた。
騎士団塔の裏手には、小さな森が広がっている。
この時期は、木漏れ日がきらきらと地面に落ちて、
風が通るたびに光が揺れる風景が、きれいだ。
私の落ち葉コーデもさぞかし映えることだろう。
歩きながら、クラウス様がぽつりと言う。
「リリー、君は……悩みがあるのか?」
「いえ、特に」
悩みの種が何を言う、と思った。
「なら、なぜそんなに元気がない?」
努力の成果が、裏目に出たらしい。
「体調は問題ありませんので、ご安心を」
メンタルの問題ですと口に出さなかった私、偉い。
だが、顔側は黙っていられなかったらしく、クラウス様は明らかに動揺していた。
そして──彼は意を決した顔をして、急に立ち止まり、私のほうへ向き直った。
「リリー。身勝手に振り回してすまなかった。
──私は、君と婚約を破棄したくない」
耳を疑った。
「えっ、でも……
私が"可愛すぎ......」
「乗り越える」
食い気味の即答だった。
あの沈黙の達人──ひと言に五分かける男はどこへ消えたのか。
「君と離れた四日間、遠くから可愛すぎる君を見ていて、痛いほど分かった。
無表情な君も、顔色が土気色の君すら、全部――愛しくてたまらない。
もう、これ以上、君を遠くから眺めるだけなんて耐えられない。
リリー。
……好きだ。私と結婚してくれ」
──クラウス様が、たくさん喋ってる。
間違いなくこの耳で聞いた。
この目でも見た。
私の心臓は、ひと跳ね、ふた跳ね、三段跳びを華麗にキメた。
嬉しくて、胸がいっぱいで、呼吸すら忘れそうだ。
言葉にしなければ。
今すぐ、伝えなければ──!
「……はいっ!責任は取ってもらいます!」
軽い酸欠のまま、口走った。
自分が何を言ったかよくわからなかったが、
この歓喜する気持ちが彼に伝われば問題ないはずだ。
クラウス様は、驚いた顔をしたあと、ふっと苦笑して──
そっと私の頭に手を置いた。
「安心してくれ。責任を取らされるのは、得意だ」
彼はそっと私の手を取り、真っ直ぐに言った。
「これからも、一生君の隣にいたい。
それが、私の願いだ」
私は顔を輝かせた。
「私も……クラウス様の隣で、一生責任を取らせます!」
少しニュアンスが違う気もしたが、まあいいだろう。
彼は責任を取るのが上手いのだから。
森に差し込む光のなかで、
私たちは手を握り合い──
確かに、未来を誓った。
──まだ始まったばかりの、けれど、たしかな未来に向かって。
【完】