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涙と膿 4

 日野江進之助は、和歌山県の田舎町で育った。


 特産品はミカンで、人口の半分くらいは、それを栽培して暮らしている町だ。山も川も海もあって、風光明媚で知られ、一部の人間はこの観光資源に目をつけて商売に利用したりしている。


 特定の季節になると、海水浴場やキャンプ場、道の駅といったところに大挙して人が押し寄せるのだが、たいていの地元の人間はそれを交通渋滞の元くらいにしか考えていない。

 住民はこの上なく保守的で、百円儲けるよりも十円を使わないでおくことが美徳であると考えている者たちがほとんどだ。


 ケイザイコウカ?ナニソレ?オイシイノ?


 両親は共に教師で、父親は将臣、母親は祥子。五つ年上の姉と二つ年上の兄がいて、それぞれ志穂、啓一という。


 父が建てた家は分譲住宅地の一角にあった。周辺は同じ時期に売りに出た土地だったので、必然、父と同じくらいの年頃の人が多く、近所の子供たちも年が近かった。


 祖父と祖母は進之助たちが暮らす家から車で十分ほどいったところに住んでおり、例に漏れずミカン農家を営んでいた。ときどきは家に顔を出し、機嫌が良ければお小遣いをくれることもあった。


 だが、まるっきり絵に描いたような幸せな子供時代というわけにはいかなかった。


 どうやら進之助は両親の実の子供ではなかった。


 スミコさんという近くに住むおばさんが小学二年生の進之助にそう言うまで、彼はそんなことなど想像すらしていなかった。


 スミコさんは由緒正しい大きな農家の娘で、一度は結婚して家を出たが、結婚生活は一カ月と続かずに戻って来たという。

 跡をとっていた弟夫婦をいびり倒して追い出し、両親も早く死んでしまったので、大きな屋敷に一人で住んでいた。

 車の免許を持っておらず、最寄りのスーパーマーケットまで4キロメートルもあるこの町で、自転車だけを頼りに暮らしていた。

 まるで自分が不幸なのは世の中のせいだとでも言うような、自分以外のすべての人間を憎んでいるような、そんな目をしていた。


 このおばさんの話だけで、一編の小説が書きあがりそうだが(サイコサスペンスか、ホラーだろう)、本編とは無関係なので、ここでは〝進之助少年の心に深い影を落とすきっかけとなった人物〟ということだけに留めておく。


 スミコさんが進之助にそう言ったとき、意外にも本人はすんなりとその事実を受け入れてしまった。


 考えてみれば、思い当たる節はたくさんあった。

 どうみても自分一人顔の系統が違っていたし、上の二人に比べて頭が悪かった。

 飽きっぽいところも、短気なところも、足がやたらに速いところも、他の二人とは違っていた。

 だいたい日野江という姓に対して、進之助という名前はひどいミスマッチに思えた。


 何より悪いことには(当時進之助が一番気に食わなかったことには)、姉と兄がその事実を知っているらしいことだった。


 むしろ、それまで進之助に気付かせなかった両親、彼を実の子供たちと平等に扱った両親こそ賞賛に値すると思われた。


 とはいえ進之助がそう考え始めたのは、ここ最近のことで、彼は絶えずわだかまりを抱えながら子供時代を過ごすことになった。


 短気ですぐカッとなる。家庭に不満がある。しかも喧嘩がめっぽう強い。

 小学生の頃から、学校に行けば喧嘩して帰るという毎日を過ごした。


 父、将臣は身長190センチ、体重120キロの巨漢だ。柔道四段で高校の柔道部顧問も受け持っていた。

 彼が物心ついた頃から続けている柔道は、彼にとって人生のバイブルであり、生きていくのに欠かせない、水や食物のようなものだった。


 しかし子供たちがやりたいと言い出さない限り柔道はやらせないという教育方針で、上の二人も柔道を習うことはなかった。


 将臣はその素行の悪さを心配し、思案した結果、進之助に柔道をやらせることに決めた。


 小学四年生の進之助は、父に連れられて柔道教室に入門した。

 指導者は父の後輩で、オリンピックの代表候補にも選ばれた吉野という男だった。


 初めての稽古の夜、将臣が遅くなった仕事から帰ってくると、リビングのソファに、吉野と進之助が並んで腰かけていた。


 進之助は柔道着のままだった。顔中に痣があり、唇が切れて血が滲んでいた。憮然としていて、将臣と目を合わそうともしなかった。

「何があったんだ?」

 将臣が訊くと、吉野は膝に両手をつき、土下座するように頭を下げて、

「申し訳ありません、先輩!この子は自分の手には負えないです!」


 最初、吉野は進之助の持つ天性の運動能力をみて喜んだという。

 覚えも早く、この子はいい選手になるかもしれないぞと期待した。


 しかし組手になると、まったく歯が立たない。

 当然だ。相手はもう何年も柔道をしている子供だった。しかも年齢は進之助より三つも上だった。


 最初は果敢に立ち向かっていった進之助だったが、何度も投げられるうちに腹が立ったのだろう。いきなり相手を殴りつけた。


 相手はまさか殴られるとは思っていなかったから面食らった。その隙に進之助は相手の襟首を掴み、力任せに引きずり倒した。

「どうだ!俺の勝ちだ!」


 殴られた方は怒って「ふざけんな!反則だぞ!」と抗議した。


「反則でも俺の勝ちだ!」


「コノヤロウ!」と、今度は相手の方が進之助に殴りかかった。


 これでコテンパンにやられていれば、進之助も少しは・・・、いや、そんなことでめげるような玉ではないだろうが、少なくとも、ここまで大事にはならなかっただろう。


 進之助は逆に、相手を何度も殴りつけて泣かしてしまった。


 吉野は進之助に対して「柔道の試合では殴っちゃダメだ。もちろん練習でもダメだ」と教えた。


「なんでだよ。喧嘩の練習だろ?」と、進之助は不満そうに言い返した。


「柔道は喧嘩じゃない。不当な暴力から身を守るための手段だ」


「どう違うんだよ」


「まったく違う!」

 吉野は根気強く説得を続け、進之助も一応は納得したように見えた。


 だがそれも一時のことで、投げられて頭にくると殴る、の繰り返しで、さらに二人と大喧嘩をやらかすはめになった。


「進之助くんは、筋は良いんですが、暴力的なところが問題です。

 武道はまさにそういった精神を磨く場でもあるので、根気強く指導するのが本当のところなのですが、私も他所の子供さんを預かっている立場ですんで・・・」


 吉野が帰った後、将臣は進之助に向かって、「もう柔道教室には行かなくていいぞ」と言った。


 進之助は「そうすると逃げるみたいでかっこ悪いから、来週も行く」と言った。

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