サイド:アスカ その1
私があの人の事を意識したのは、入社して3ヶ月を過ぎた頃だった。
あの人……春日零……センパイ。
私が入社した時から、あの人の悪評はすぐに入ってきた。
曰く、やる気ゼロのゼロセンパイ。
曰く、女の子があざとく迫れば、一応協力してくれるけど、男は無視のムッツリセクハラセンパイ。
曰く、課長の弱みを握っているから、課長も強く言えない。
等など……。
内情をよく知らない新入社員が、みんなからそう聞かされれば、そうなんだと信じてしまうのは仕方がないだろう。
実際、私もロクでもない先輩だと思っていた……あの時までは。
私の入社した『SEIKO・Pro』は様々な企画を立案・サポートする総合サービス会社だ。
と、いってもそれだけでは何をする会社なのか分からないだろう。
私もよくわかってなかった。ただ、色々なことに手を出している、って事だけはよくわかった。
わかる範囲で簡単に仕事内容を説明すると、クライアントに、イベントやサービス内容を提案し、それが成功するまでサポートする、というのが主な業務らしい。
例えば、私が入社直後に携わったプロジェクトは、モバイルキャリアの販売支援というもので、大手家電メーカーと折衝し、その店舗の一部を間借りして、イベントを行い集客し、そのキャリアへの契約へと誘導する、と言うモノだった。
会社が携わるのは、そのイベント前日まで。
イベントによって予定数が見込めれば、その案件は成功。
見込めなければ失敗という事で、報酬が減額される。
だから、みんな必死で頑張っているのに、その先輩……春日センパイだけは、そんな苦労も知らないとばかりに、定時で退社してしまう。
自分たちはこうして残業してるのに、っと、センパイに対するヘイトはたまるばかりだった。
私も、最初はそうだった。
入社して三か月足らずの私が、遅くまで残業してるのに……と、定時でタイムカードを押すセンパイを見てムカムカしていた。
特にその日は、上司に言われて、クライアントの担当者さんと、夕食を共にしながら打ち合わせすることになっていたから、余計だった。
その打ち合わせも、本当はその上司が行くはずだったのが「女の子の方がウケがいいだろ?」という訳の分からない理由で行かされることになって、正直とても嫌だった。
場所は駅前、待ち合わせの5分前につくと、相手はすでに待っていて、そのまま言われるがままについて行った。
案内されたのは個室の有る居酒屋。打ち合わせなので個室なのはわかるけど……。
だけど、相手はお酒をぐいぐいと飲み、私のプライベートな事ばかり聞いてくる。
「打ち合わせを……」といっても、「そんなの後でいいじゃん?それよりお互いをもっとよく知らないと、こういうのって上手くいかないと思うんだよねぇ」と言ってくる。
そう言うものかもしれない、と思いつつ、何故かベタベタと身体に触れてくるのが気持ち悪かった。
それでも「仕事だ」と我慢して、何とか打ち合わせをしようにも、話は空回りするばかり。
お酒の量だけが進み、居酒屋を出た時はかなりふらついていた。
「くふふっ、明日香ちゃん、歩けないでしょ?少し休んでいく。」
私がふらつくのを見て、クライアントの担当さんがそんな事を言ってくる。
酔いが回り、思考能力が低下していた私は、その言葉に頷きそうになったところで、偶然にも春日センパイの姿が目に入った。
彼はゲームセンターから出て来たところらしく、その手に大きなぬいぐるみを持っていた。
それを見た私は、カチンとくる。
彼のもっていたぬいぐるみが、私のお気に入りのキャラクターだったことが災い……いや、幸いしたのだ。
自分もアレが欲しかった。私がこんなになってまで働いているのに、彼は悠々と遊んでいて、私が欲しかったものを手に入れている。許せないっ!
その時の私は、かなり酔っていた。だからこその行動だった。
「せんぴゃぃっ、あにしてるんでしゅかぁ!」
「ん……湊さん?デート中?」
彼は、私と担当さんを交互に見ながらそう話しかけてくる。
「しぎょとですぅ。打ち合わせなのぉ……。しぇんぴゃいみたいにあしょんでないれすぅ。」
そう言いながら彼に寄りかかる。正直立っていられない。
……ふわふわのぬいぐるみの感触が気持ちいい。
「えっと、ミルモードさんですよね?黒岩さんはお元気でしょうか?」
……センパイが担当の方と何か話している。担当さんは、しどろもどろに二言三言何か喋った後、逃げるように去って行った。
「……たく。……おい、湊さん、歩ける?」
「ふにゃぁ……にゃっきぃ……。」
「あー、困ったなぁ……。タクシー乗れるか?自分の家分かる?」
「ピンクのにゃっきぃ……私のモノ……。」
「いや、それ俺の……結構苦労したんだけど……ってまぁ仕方がないか……。」
……センパイが何か言ってたけど、私の意識はそのまま闇へと……。
……ん?
「……知らない天井。」
私はそう呟いて、ハッと気づく。
……ここは?
私は飛び起きて周りを見回す。
知らない部屋の知らないベット。
横には知らない男の人……じゃなくて大きな猫のぬいぐるみがある。私はさっきまであれを抱きしめて寝ていたみたい。
下着姿で、スーツは壁に無造作に掛けてある。
「えっと、どういうこと?」
私は呟きながら昨晩の事を思い出そうとした。
……確か打ち合わせという事で、居酒屋に行って、その後、バーに行って…それから……
緊張もあり、かなり呑んでいたので、記憶がハッキリしない……。
って、私お持ち帰りされちゃったって事っ!?
ハッと、そのことに気づき、慌てて身体を確認する。
……身体は異常がない感じだけど……。
……シーツも汚れてないし……。
恥ずかしくて言えないけど、私はまだ未経験だ。
だから、もしそう言う事が有ったのなら、シーツは汚れていると思う。
……初めてがこんなんじゃいやだ。
私はつい、ほっと安心のため息をつく。
「起きたのか?」
そう声がしてドアが開く。
「キャっ!」
私は思わず毛布を手繰り寄せ、身体を隠す。
「アッと、悪い。」
男……春日センパイはそう言って後ろを向く。
「いっとくけど、俺が脱がせたんじゃないからな。お前が自分で脱いだんだからな。」
「えっとセンパイ……私に何か……した?」
「なにかってなんだよ?」
私がそう言うと、センパイは不機嫌そうにそう返してくる。
「……女の子の口から言わせるの?バカぁッ!」
思わずそんな言葉が口をついて出る。
「してねぇよっ!」
……よかった、この様子だと、本当に何もなかったみたい。
そう思ったら心に余裕が出てきて、つい揶揄いたくなってしまった。
「……ヘタレ?」
「誰がヘタレだっ!今から襲ってやろうかっ!」
口ではそう言いながら、部屋を出ていくセンパイ。
……ヘタレでも何でも、センパイがいてくれてよかったぁ。
私は閉められたドアを見ながらそう思う。
正直なところ、昨日の状況では、私は初めてを失っていてもおかしくなかった。
今思えば、あの担当もそれを狙って、あんなにお酒をすすめてきたのだと思う。
そう考えると、ブルブルッと体が震える。
……とりあえず着替えないと……。
私はベッドから起き上がり、壁にかけられているスーツを手にする。
……みられちゃった……よね?
お気に入りの可愛いランジェリーだったのは、不幸中の幸い、だろうか。
私は着替え終わると、ドアを開ける。
そこは辛うじてリビングといえなくもないスペースで、そのソファーに春日センパイが腰かけていた。
「湊さん、一応確認しておくけど、昨晩のミルモードの社員とは個人的なお付き合い?」
「いいえ、お仕事で……打ち合わせだって……森岡主任が……。」
私は、昨日の顛末に至るまでの事を、問われるがままに話す。
「……ん、分かった。今のプロジェクトから外してもらえるように伝えておく。今日は仕事休むって伝えておくから、家に帰っていいよ。」
「えっ、あのっ……でも……。」
「いいから、今日の所は大人しく帰るように。」
センパイはそう言って、私に鍵を渡し、帰るときには鍵をかけてポストに入れておくようにといわれた。
時計を見ると、出社には少し早い時間だが、センパイはいつもこの時間に出て、会社の近くの喫茶店でモーニングをするらしい。
「後、ニャッキは持って帰っていいからな。」
センパイはそう言い捨てて部屋を出ていった。
……これが、私がセンパイを始めて意識した時の物語。
ヒロイン……予定のアスカちゃんのお話です。
今後どう絡むかはまだナイショ。
次回、明日香ちゃんの話の後編。これで、少しは関係が分かる……かも?




