新生・アスラム王国 その3
「大罪なる卑劣で臆病者のクーデター軍に告ぐ!」
ヴァイスを通じ、澄んだ声が王都全域へと響き渡る。
それは冷静さを装っていたが、耳を澄ませばわずかな震えと熱が潜んでいるのがわかった。
王宮を占拠し、街を人質に取る反逆者たちへの投降勧告。
それが、アイリスが選び取った手段だった。
王都に暮らす民の命を、少しでも守るため。
しかし、クーデター軍もまた簡単には屈しない事は分かっている。
それでも、アイリスには王宮を攻める、という選択肢は取れないでいたのだ。
民を盾に徹底抗戦の構えを見せ、王都の空気は張り詰めていく。
城門前で警戒に当たる兵士たちは、互いに顔を見合わせ、わずかに背筋を伸ばす。
市場や路地に集まった民衆の胸にも、見えない火が灯る。
彼らはその声に、ただの命令以上のもの――心を懸けた訴え――を感じ取ったのだ。
王宮の奥深く、指揮所に座るクーデター軍の司令官は、苛立ちを隠せない。
冷静に聞こえる声ほど、人の心を揺さぶる。
このままでは、兵の士気は崩れ、包囲網はじわじわと締め上げられる。
司令官の拳が、机を叩いた。
だが、その音すら王都のざわめきには飲み込まれていった。
「――決着をつけよう。我らは贖いの荒野で待つ」
ヴァイスを通じて響いたアイシアの宣告は、鋭く突き刺さる刃のようにクーデター軍の心を裂いた。
幹部たちは蒼ざめ、互いに視線を交わし、声にならぬ動揺を漏らす。
その空気を切り裂くように、司令官の低く冷たい声が響く。
「王女たちには、王宮へ攻め入る術がない。我らが有利な王都から、わざわざ出て戦う理由がどこにある」
理路整然としたその一言に、狼狽していた幹部たちは息を整え、現実へと引き戻される。
やがて号令が飛び交い、兵たちは王都での決戦に向け、武器を整え、城門を固め始めた。
しかし、その司令官の目の奥には――ほんのわずかな不安の影が揺れていた。
贖いの荒野――。
それは、アスラム建国の折、蛮族との最終決戦が行われた地。
以後、自らの正義を賭けて退かぬ者同士が、神聖なる決闘の場として選ぶ土地であった。
そこでの勝敗は絶対であり、たとえ国王であっても異議を唱えることは許されない。
ゆえに、アイシアが決戦の地としてそこを指名したのは、誰にとっても自然なことだった。
だが、司令官はそれを拒絶し、あくまで王都防衛を選んだ。
その判断は、戦略としては正しい。
しかし――兵舎の片隅や見張り台の上では、下級兵士たちの間に静かなざわめきが広がっていく。
「……贖いの荒野から逃げたのか?」
「神聖決闘を拒むのは、敗北を恐れている証じゃないのか」
その声はまだ小さく、軍全体を揺るがすものではない。
だが、戦場に立つ者の心に、疑念は毒のようにじわじわと回っていった。
◇
アイシアは、クーデター軍を反逆者と断じた。
「正統なる王家が、正当な権限を取り戻す」――それが彼女の大義であった。
一方、クーデター軍も怯まない。
「王家の腐敗こそが、この苦難を招いた。もはや無知蒙昧なる王家に国を任せてはならぬ」――自らを、立ち上がった正義の士と称した。
互いの主張は正面から衝突し、譲る余地はない。
そして、その対立は日を追うごとに激しさを増していく。
だが――その狭間に立たされた民衆にとって、どちらが正しいかを考える余裕などなかった。
王都の通りでは、母が子を抱きしめ、扉を固く閉ざす音が響く。
市場の店先は半ば閉まり、人々はただ怯え、嵐が過ぎ去るのを待つばかりだった。
怯えと沈黙が、王都を覆っていた。
通りは閑散とし、扉の影から覗く瞳も、すぐに引っ込む。
両者は互いに譲らず、膠着状態に陥る。
そして民衆は、その両者に挟まれ何も出来ず、ただ嵐が過ぎ去るのを待つかのように、怯え隠れているだけだった……。
その静寂を破ったのは――轟音だった。
城壁の外、アイシアの軍勢から放たれた一発の砲弾が、弧を描いて飛来する。
次の瞬間、人気のない中央広場で眩い閃光とともに爆ぜた。
石畳を焦がす煙と火花が空へと舞い上がる。
誰も傷つけぬ一撃。だが、その光景は否応なく人々の視線を奪い、息を呑ませた。
そして――。
煙の中から、白銀のマギアグレイヴがゆっくりと姿を現す。
陽光を反射するその巨躯は、まるで神話の英雄が現世に降り立ったかのようだった。
煙の帳を裂いて、一機の巨影が現れる。
アスカの操るシグルドリーファ――白銀の装甲は陽光を受け、まるで天より降り立った女神のように輝き渡る。
その機体は「白銀の戦乙女」と呼ばれるにふさわしかった。
神々しさと艶やかさを同時に宿したその威容に、広場を取り巻く人々は息を呑む。
恐怖で膝を抱えていた者までもが、思わず立ち上がり、その姿を見上げた。
そして敵陣では、見上げた兵士たちの間に、言葉にならぬざわめきが広がっていく。
それは畏れか、敬意か、それとも――敗北の予感か。
広場にそびえ立つ白銀の機影――シグルドリーファから、澄み切った声が響き渡った。
「アスラムの国民たち。あなたたちはまだ、怯え続けるのですか?」
その声は決して怒号ではない。
しかし、静かな響きの奥に宿る力は、聞く者の胸を打ち抜いた。
「クーデター軍の耳障りのいい言葉を信じ、王女に刃向かうのか。
それとも、これまで国民を守ってきた王家を信じ、クーデター軍に立ち向かうのか――選びなさいっ!」
アスカの言葉は、容赦なく民衆の心の迷いを突く。
「どちらも選べないというなら、今後一切、人としての矜持を捨て、家畜のように生きていくことになるでしょう。
……それすら嫌というのなら、今すぐ王都から出て行きなさいこの王都に心弱きものは相応しくない!」
突き刺さるような厳しい響き。
だがその根底には――生き方は自分で選ぶものだという、揺るぎない信念があった。
広場に沈黙が満ちる。
やがて、困惑と動揺がざわめきに変わり、ざわめきは熱を帯びていく。
そして……一人、また一人と民衆が立ち上がった。
その目には、恐怖ではなく決意の光が宿っていた。
アスカはさらに、言葉の刃を振るった。
「クーデター軍が王都を支配して数か月……それで何が変わりましたか?あなたの暮らしは良くなりましたか?飢えや病気に苦しむ者はいなくなりましたか?あなたは今幸せだ、満足だと心から言えますか?」
低く、しかし街中に届く確かな声。
「民衆に、兵士たちに――全アスラム国民に告ぐ!」
「アスラムは生まれ変わる! 既に新しき指導者レイの元、新たなるアスラムが動き出したっ!新しき指導者レイは、正しき選択をした者を決して見捨てはしない!」
一瞬の沈黙。
そして、その声は命令ではなく呼びかけとなって放たれる。
「志ある者は、蒼を纏え!レイの下に集い、アスラムの未来を夢見んとするものは蒼を纏えっ!それが未来への象徴となるっ!」
その言葉が火種となり、広場の空気が爆ぜた。
青い外套を羽織る者、服がなければ青い布を腕や額に巻く者――その波は瞬く間に民衆へ、そしてクーデター軍の兵士たちの中へと広がっていく。
……後に「蒼の騎士団」と呼ばれるアスラム王国最強の騎士団の始まりだった。
恐怖で固まっていた足が、今や確かな一歩を踏み出す。
やがて、青の群れは一つの奔流となり、城壁の門へ、そして王宮へと押し寄せた。
その光景は、まるで大河が堅牢な岩壁を飲み込む瞬間のようだった。
◇
王宮へ雪崩れ込む青の奔流を、アイシアは思わず息を呑んで見つめた。
民衆の蜂起は彼女の計画にもあった――だが、これほど急で、これほど圧倒的な形になるとは想定していなかった。
その隣で、ルーシーが肩をすくめ、小さく呟く。
「……アイシアが時間かけすぎたから、美味しいところ、全部お姉ちゃんに持ってかれちゃったよ」
アイシアが一瞬言葉を失う間に、通信機から落ち着いた声が響く。
『現状を見ての判断だ。タイミングを逃せば、この熱は冷める』
それは、状況を見かねたレイが放った、膠着状態を崩す一手だった。
アイシアはふくれっ面で腕を組み、ぽつりと呟いた。
「もぅ……レイ様は私のこと、全然信じてくれてないんだから」
それを聞いたルーシーは、肩をすくめて少し困ったように笑う。
「まあまあ、アイシア。おにぃちゃんはただ、アイシアが困ってると思ったから手を差し伸べてくれたんだよ。アイシア、愛されてるねぇ。」
アイシアはむくれて口を尖らせる。
「ぶぅ……嘘だぁ。レイ様はイジワルなんだよ。」
「いつもはアイシアが好きだから意地悪してるんだよ。今回だって同じだよ。」
ルーシーの軽い言葉に、アイシアの顔に少しだけ柔らかな表情が戻った。
「……ふん、そういうことにしておいてあげるわ……。レイ様が私のこと愛してるって?そんな……ぽッ……」
(全部聞こえてるよ……まったくアイシアは単純なんだから……。)
「まぁ、おにいちゃんが一番愛してるのはボクなんだけどね。」
そう呟くルーシーをキッと睨むアイシア。
そんな二人のやりとりは、緊迫に包まれていた艦橋の空気を和らげるのだった。
◇
「サクラム指令、このままでは……ぐわっ!」
かつて忠誠を誓ったはずの兵士たちが次々と青い布を纏い、先ほどまでの上官である貴族を力ずくで押さえ込み、縄をかけていく。
もはや、クーデター軍の命運は尽きたも同然だった。
追い詰められたサクラムは、かろうじての体面を保つため、贖いの荒野での一騎打ちをアイシアへ申し込んだ。
「今更、都合のいい話だとお思いか?」と憤るアイシアに、アスカは冷静に答えた。
「目に見える形で決着をつけるには、ここが最良の場所だ」
確かに、今はアスカの呼びかけで士気は高まっているものの、民衆も兵士も素人同然。
戦いが長引けば、避けられぬ犠牲が膨れ上がるだけだと、彼女は強く憂慮していた。
「では……」とアイシアは決断を下した。
蒼の者たちに見守られ、贖いの荒野。
そこに、サクラムの乗機「ギブルヘイム」と、アスカの「シグルトリーファ」が、静かに対峙する。
風が砂塵を巻き上げ、二つの機体の影を揺らした。
神聖なる決闘の時が、今、幕を開ける――。
次回は、マギアグレイヴの一機打ち、そして西方動乱変が一息つきます。
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