反撃のアスラム その2
アーデルハイトは、燭台に照らされた小さな部屋の中央に立っていた。
重い空気の中、レイをはじめ、主だった者たちが無言で彼を取り囲む。その中にはかつての主アイシア姫の姿もある。
「……じゃぁ、その、何とか伯爵の所に?」
レイが口を開く。声は静かだが、その奥に鋭いものを滲ませていた。
アーデルハイトはわずかに頷く。
「はい。国王陛下をはじめ、王族、そして忠義厚き貴族たちは、現在、辺境伯ヴォルフガング殿下の庇護下に身を寄せております。」
その言葉に、部屋の空気がわずかに揺れた。
辺境伯――ヴォルフガング・フォン・アイゼンシュタイン。武名高い男だが、野心を秘めた者だとも噂されている。
「辺境伯、か……」
レイが眉をひそめた。
「しかし、現状では……クーデター派が優勢です。」
アーデルハイトは苦しげに続けた。
「首都はほぼ制圧され、各地の領主たちも動向を見極めようと静観している有様。味方に引き入れられるかどうか、各領地の反応が鍵となるでしょう。」
レイの隣にいたケイトが小さく呟く。
「それだけではないでしょう。私達の集め情報では、辺境伯の動き……何やら妙な感じです。」
アーデルハイトもそれを否定しなかった。
「はい。ヴォルフガング殿下は王家を庇護しているとはいえ、決して無償の忠義ではありません。彼は、この混乱を利用して更なる力を得ようとしている節がある……」
沈黙が広がる。
蝋燭の火が揺れ、壁に不気味な影を落とした。
「……つまり、王を守るふりをして、いざとなれば王座すら奪いかねないってわけだ。」
レイの声は低かった。目の奥に、冷ややかな光が宿る。
アーデルハイトは深く頭を垂れた。
「……その可能性も、否定できません。」
重苦しい緊張が、誰の喉にも重くのしかかった。
レイはしばし考え込み、やがて静かに言った。
「……まずは動向を探る。こちらが先に、手を打たねばな。」
主だった者たちが、無言でうなずいた。
「それで、今更だけど……」
レイが腕を組み、ゆっくりとアーデルハイトを見据える。
「アーデルハイト、お前は俺たちに力を貸してくれる、ということでいいのか?」
問われたアーデルハイトは、一瞬だけアイシアへ視線を送った。
その瞳には、忠誠と、微かな敬愛の色が宿っている。
そして、膝をつき、深々と頭を垂れた。
「私はアイシア姫の剣であり、盾でもあります。姫が見初めた御方であれば、我が力、存分にお使いください。」
その言葉に、アイシアの白い頬がぱっと朱に染まった。
肩をすくめ、両手で顔を隠すようにして、彼女は小さな声を漏らす。
「み、見初めたって……そんな……っ」
だが、そんな甘やかな空気に水を差す者がいた。
「はい、ストーップ!」
カナミが両手を振りながら、ずかずかと前に出てくる。
「アイシアはまだ嫁でも何でもないからねっ!? 勝手に既成事実みたいにすんなー!」
「なっ、ななな何を言っているんですかカナミ!? そ、そんな、わたくし、レイ様にそんな……!」
アイシアは耳まで真っ赤になり、あたふたとカナミに抗議しはじめた。
「でも顔が真っ赤だし、まんざらでもないってことでしょ?」
「ち、違いますっ! わたくしは……っ、レイ様には、し、深い尊敬を……っ!」
顔を真っ赤にしたまま早口で言い返すアイシア。
カナミはにやにやしながら肩をすくめ、周囲の兵たちは何とも言えない顔で目をそらす。
本来、重々しい空気に包まれていたはずの作戦会議の場は、すっかり温室のような混沌とした雰囲気に変わっていた。
レイは小さくため息をつき、頭をかきながらぽつりと呟いた。
「……真面目な話だったはずなんだけどなぁ。」
◇
場所は変わって、辺境伯ヴォルフガング・フォン・アイゼンシュタインの私邸、重厚な執務室。
高い天井と暗い色合いの木目に包まれた室内で、暖炉の火が静かに揺れていた。
分厚い絨毯が足音を吸い、室内には、ただ低く押し殺した声だけが満ちている。
「……今が潮時かと存じます、閣下。」
声を上げたのは、まだ年若い貴族だった。
燃えるような情熱を瞳に宿し、ヴォルフガングに向かってまっすぐに訴える。
「ここで王族を救い上げれば、未来の王に恩を売れます。宰相の座を得るどころか、国そのものに対して発言力を持つことも夢ではありません!」
ヴォルフガングは、深々とした椅子にもたれながら、若者の言葉を無言で聞き流した。
その横で、落ち着き払った壮年の貴族が、冷ややかに口を開く。
「甘いな。」
彼は一瞥するだけで若者を退け、ヴォルフガングへと視線を戻す。
「現実を見なければなりません、閣下。クーデター派は既に首都を抑え、兵も補給線も万全。我々が王族を庇えば、今度はこちらが敵とみなされるやもしれません。」
壮年の貴族は、低く続けた。
「ここで王族の身柄をクーデター派に渡せば、確実に閣下は新政権内で大きな地位を得るでしょう。遅れを取れば、閣下とて例外では済まぬ。」
意見は鋭く対立し、部屋の空気は重く、張り詰めたものになっていった。
ヴォルフガングは、肘掛けに指をとんとんと叩きながら、二人の意見を聞き流していた。
表情は、読むことのできない冷たさをたたえている。
戦況は膠着している。
クーデター派もまた、王族も、決定的な一手を欠いている。
だからこそ、どちらにつくか――その選択が、己の未来を決める。
だが、今この場にいる誰一人として、何が正解かは分からなかった。
「……面白い。」
ようやくヴォルフガングが口を開く。
低く、重く、部屋中に響く声だった。
「両方に賭ける、というのはどうだ?」
若い貴族も、壮年の貴族も一瞬言葉を失う。
ヴォルフガングは薄く笑った。
その笑みは、獣が獲物を前に舌なめずりするかのようなものだった。
「どちらが勝っても、我が勝つ。そう仕組めばよい。」
暖炉の火が、ぼうっと揺れた。
密やかに、だが確実に、国を揺るがす謀略が動き始めていた――。
ヴォルフガングは立ち上がった。
黒い軍服の上に羽織ったマントが重たく揺れる。
そして暖炉の前に歩み寄り、燃えさかる火を見下ろしたまま、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「……まず、王族どもは今しばらく、我が庇護のもとに置く。」
低く、冷たい声だった。
「彼らを守り、忠義を尽くすふりをする。表向きには、正統なる王家のために剣を掲げる"忠臣"となる。」
ヴォルフガングは片手を上げ、指先で宙をなぞった。
「だが裏では、クーデター派とも水面下で交渉を続ける。条件は一つ――"王家の身柄"だ。」
部屋の空気がぐっと冷えたようだった。
若き貴族も、壮年の老臣も、無言でその背中を見つめるしかない。
「……もし王家が復権し、国を取り戻すならば、私はその立役者となり、宰相の座を手に入れる。
だが、王家が敗れれば――クーデター派に王族の首を差し出し、新政権での地位を約束させる。」
ヴォルフガングはふっと笑った。
その笑みには、一片の情も、ためらいもなかった。
「どちらに転んでも、我が勝つ。」
指先でパチンと弾かれた火の粉が、暖炉の奥で小さく爆ぜた。
「大義も忠誠も、力を手にするための道具に過ぎん。」
彼は振り返り、目を細めた。
「貴様らも、覚悟はできているな?」
その一言に、室内の者たちは、重く首を縦に振るしかなかった。
ヴォルフガングの策略は、既に動き出している。
炎のゆらめきが、まるでこれから燃え盛る国土を暗示しているかのように、激しく揺れていた。
「では、手始めに、国王陛下に拝謁に参るか。」
ヴォルフガングは豪快に笑いながら部屋を出ていくのだった。
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