アスラム王国のお姫様 前編
「アイシア、大丈夫?」
「えぇ、心配いりませんわ。ルーシーこそ大丈夫ですの?」
アイシアは、自分の前を歩く、ルーシーという名の少女の身体を気遣う。
大丈夫?と聞いてくるルーシーの肩は、出血により真っ赤に染まっている。
応急処置をし、止血はしてあるけど、痛みは残っているはず。
それなのに、そんな事をおくびにも出さず、逆に気遣ってくれる少女に、アイシアは頭が下がる思いで一杯だった。
「しかし想定外でしたわ。」
アイシアは、ルーシーの傷を慮り、話題を変える。
自分ことを気遣うより、他事を考えている方が気が紛れるかと思ったからだ。
「なにが?」
「アトラス王国ですよ。まさか既にラーとの同盟を結んでいるとは思いませんでしたわ。」
「うーん、ボクにとっては、アイシアがあっさりと国を見捨てたことの方がびっくりだけどね。」
「仕方がない事ですわ。それなりに格式のある貴族たちの殆どは、アトラスと繋がっていましたから。あのまま国元に帰れば、父様たちと同じように捉えられ、処刑されるのは目に見えてましたから。私はまだ死にたくなくてよ?」
「うん、気持ちはわかるんだけどね……。」
タイミングが悪かった……とルーシーは思う。
アイシアが、ルーシーの他十数人の供を連れて大国アトラスへ表敬訪問をしたのが約1週間前の事。
あの時点ですでに詰んでいたことに気づかなかったのが、アイシアたちにとってのマイナスポイントだった。
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「……ラーと、同盟を?」
アイシアはアトラス王国の壮麗な謁見の間で、その言葉を聞いた瞬間、まるで時が止まったかのように感じた。
アトラス王は静かに頷いた。その目には哀れみとも、冷徹さともつかぬ色が宿っている。
「君の懸念は理解している。しかし、ラーは今や抗えぬ潮流だ。我が国も生き残るためには、波に乗らねばならなかったのだよ。」
アイシアは拳を握りしめた。心の奥で何かが軋む。だが、アトラス王の次の言葉は、その比ではなかった。
「加えて……君の祖国アスラムでは、既に政変が起きた。新政府は、ラーとの友好関係を築く方針を表明している。君の帰る場所は――もはやないかもしれぬ。」
世界が崩れ去る音が、耳の奥で反響していた。彼女の信じていたもの、守ろうとしていたもの、そのすべてが、足元から崩れていく。
だが、アイシアの瞳にはすぐに別の火が灯る。燃え尽きぬ炎のような決意。
「そうですか……でも私は……信念を曲げる気はありません。ラーが世界征服を企んでいることは明白です。私はこの世界のため、ラーと戦いましょう」
アトラス王は静かに目を細めた。若き王女が歴史の奔流に抗う姿を見つめる。それは、自分がなくした若さを眩しく思っているのか、若さゆえの無謀を哀れに思うのか……。その視線からはなにも読めない。
「それを許すと思うかね?」
アトラス王の声は低く、だが玉座の間の空気を切り裂くように鋭かった。彼の言葉に応じるように、重厚な扉の陰から武装した近衛兵たちが音もなく現れる。
「アイシア=アスラム。アトラス王国に対する反逆の意志ありと判断し、拘束せよ。」
「くっ……!」
アイシアは一瞬だけ目を閉じ、覚悟を決めた。だが、次の瞬間――
「アイシア、こっちっ!」
ルーシーの声が響く。近くにいた仲間たちが、一瞬の隙を突いて煙幕を放つ。
混乱の中、アイシアはルーシーの手を握って走り出す。廊下を、回廊を、裏道を駆け抜ける。後方からは怒声と足音。命を懸けた逃走劇の始まりだった。
数時間後――
王都の門を抜けた頃には、もはやルーシーしか残っていなかった。共に来ていた侍女、護衛、忠臣の一部は捕らえられ、ある者はその場で命を落とした。
「……ルーシー。あなただけなのね。」
「ん。仕方がないよ。今はここから脱出することを考えて。」
ルーシーの肩から血が流れている。逃げるときに斬りつけられたのを交わし損ねたものだ。かなり痛いだろうに、ルーシーがアイシアを見つめる瞳は、決して揺らがない。アイシアはコクっと頷き、先を急ぐ。ルーシーの手当てをするにも、この場所では不向きだからだ。風にたなびくアイシアのマントは、血と煙の匂いをまといながらも、確かに希望の色を帯びていた。
夜明け前の風は冷たく、東の空がわずかに白んできていた。
アイシアは振り返り、遠く霞むアトラスの城壁を見つめた。静かな怒りと哀しみが、胸の奥で渦巻いている。
「……捕まれば殺される。国へ帰ることも出来ない……けれど……逃げ続けるだけじゃ、何も変えられない。」
「だったら、やるしかないよね。……ボクにあてがあるよ……アイシアは信じてくれる?」
「ふふ……頼もしいわね、ルーシー。あなたを信じずに誰を信じるというのかしら?あなたとなら、きっと乗り越えられる気がする。」
アイシアの言葉に、ルーシーは少し照れたように顔を背けた。
「ボクは、アイシアに命を拾われたんだ。その恩を返す時が来た、ただそれだけだよ。」
アイシアは微笑み、まっすぐ前を見据えた。目指すは西、ユーロ連合。
アスラムやアトラスと違い、多様な民族と理念が交錯する連邦国家。そこでなら、身を隠すことは容易であり、また仲間たちを探すことも出来るはず、とルーシーがいう。
「行こう。私の物語はこれから始まるのよ。」
アイシアの言葉に、ルーシーは頷き、夜明けの光を背に受けながら、新たな運命の地へと歩き出すのだった。
そして現在……。
あれから4日経つが、追手の影は見えず、空気もどこか穏やかに感じられた。地平線に、ユーロ連合の国境都市の尖塔が見えてきたとき、アイシアは小さく安堵の息をついた。
けれど、すぐに現実が襲ってくる。
「さあ、もうすぐユーロ連合よ……。だけど、この格好じゃマズいわよね?」
アイシアは泥と血に汚れたマントを摘まみ上げて眉をひそめた。返り血が乾いて赤黒く染みついている。旅の間、洗う暇も、替える服もなかった。
このままでは、門の衛兵に目をつけられてしまう。
「……こんな姿じゃ、間違いなく足止めされるわ。」
ルーシーは少し考える素振りを見せてから、小さく笑った。
「じゃあ、正面から行くのはやめよう。ボクに、ちょっとだけ時間をちょうだい。」
そう言って、ルーシーは周囲を歩き回り、小川のほとりにあった放牧用の洗い場を見つけ出した。
古びた桶と、使い古された布切れ。それでもないよりはずっとマシだった。
「アイシア、川で服をざっと洗っちゃおう。乾かす時間はないけど、血の臭いを落とすだけでも印象は変わるよ。」
「……なるほど、最低限“怪しい人”に見えなければいいのね。」
「それと……あそこの農家、見える? 門のすぐ近くだし、家畜の世話をしてるから荷の出入りも多い。ボクがひと芝居打ってくるから、ちょっと待ってて。」
そう言うやいなや、ルーシーは泥だらけの服のまま、果敢にその家の裏口を叩きに行った。
数分後。
戻ってきたルーシーは、手に汚れた麻袋を抱え、口元をにやりと歪めていた。
「おじさん、ちょっとした荷物運びの手伝いに困っててさ。報酬代わりにこの袋と荷台の端っこを貸してくれるって。アイシアは袋の中でちょっと寝たふりしてて。ボクはただの農家の手伝いって顔で行く。」
「まさか、荷馬車に潜り込むなんて……!」
「バレたらアウト。でも、バレなきゃ勝ち。ボクたち、負けられないでしょ?」
アイシアは一瞬ためらったが、やがて小さく頷いた。
ルーシーが荷車を引いている姿を見て、門番は怪しむどころか、頑張ってるなぁと、激励してくれる。軽く荷の確認をされるも、形だけであり、もちろんアイシアが見つかることはなかった。
「坊主、頑張れよ。」
「ボクは女の子!」
「そうか、悪い悪い」
門番は笑いながら「気をつけろよ」と言い、道を開けた。
その先、ユーロ連合の街並みが静かに広がっていた。
街に入ってすぐ、裏路地に入ると、荷車を放置し、ルーシーとアイシアは何事も無いかのように歩き出す。
「……やるわね、ルーシー。」
「取りあえず第一関門突破ってところかな。でも……。」
「どうしたの?何か気になる事でもあった?」
「ウウン、取り敢えずは着替えを買って……お風呂入りたい。」
「うん、私もそう思うわ。」
二人は互いに小さく頷き合い、喧騒の中へと歩き出した。
あの時バラバラになったルーシーの視点です。
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