届かない謝罪
――カリナ、ユーヴェン!
目の前にいる二人に話し掛ける。けれど、反応してくれない。
――二人とも、どうしたの?
不安になって聞くけれど、楽しそうに笑い合う二人はそのままで、私には何も答えてくれない。
――あ、待って!
そのまま二人は離れていく。歩いている訳じゃないのに、どんどんと姿が見えなくなっていく。
ユーヴェンとカリナに、私の姿が見えていない事に泣きそうになってしまう。
私を、置き去りにしないで。
――ローリー。
柔らかい声。優しいと感じるこの声は、きっとアリオンだ。
――アリオン……。
笑っているアリオンが、私の頭を撫でる。なのに、なんの感触もない。アリオンの大きくてごつごつした、温かい手を感じない。
そっか、これは夢なんだ。
夢だとわかると、アリオンが歪んで見えたので思わず目を瞑った。
『困らねーよ。お前が助けてほしいなら、いつだって行く』
響いてくる、アリオンの言葉。いつでも助けに来てくれると言って、嬉しかった。
『ま、どっちにしても休み明けに教えてくれよ。お前の話、聞きてーから』
そうだ、休み明けに話を聞いてくれるって言っていた。……今でも、有効なんだろうか。
甘えちゃ駄目なのに、何を話せばいいんだろう。
『話ならいくらでも聞いてやるから』
優しい言葉に、言えないと言ってしまった。
『なら、聞かねーから。でも一人で落ち込むなよ』
なのに、返ってきたのはもっと優しい言葉で。辛そうに言わないで欲しいと願った。
大丈夫、落ち込んでなんか、ないもの。
『……ちゃんと泣け、バカ』
切なかった、アリオンの声。
大丈夫、泣くことなんて、ないもの。
『へいへい。せいぜいお前に甘い俺を利用しろ。それに俺だってお前には助けてもらってるしな』
利用なんて、できないよ。
私がアリオンを助けてるのなんて、きっと微々たるもので。だって私は、ずっとアリオンの優しさに甘えて頼ってしまっていたもの。
『いいに決まってるだろ。むしろお前が俺に気を遣って言わなくなる方が、俺は嫌だからな』
……そう、言っていた。
気、なんて……遣って、ないもん。落ち込んでも、泣いてもないから、何も、言わないだけ、だもの。
『休みだったんだけどな、ちょっとお前に会いに来た』
まるで、知らない人が聞いたら勘違いしてしまいそうな言葉。アリオンの言葉の選択にも問題があると思う。
『お前一人で抱えちまうとこがあるからな、心配なんだよ』
抱えて、ないもん。だから、心配しなくても、大丈夫、なの。
『……まあ俺じゃなくてもいいから、誰かに言えよ。言えねぇなら言えねぇでもいい。ただ、お前が一人で落ち込んでんのだけは嫌だ。一人では、落ち込むなよ』
アリオンが、よかったのに。
言うなら、アリオンが、よかった。
大丈夫だもん。落ち込んでないから、誰にも、何も、言うことなんて、ないもん。
『ローリー。俺はいつでも話聞くし、話すの急かしたりしねぇから、話したい時に話せばいい。話したくねぇなら聞かねーし。ただ、お前が落ち込む時には傍に居させてくれればいい』
優しくて、頼もしくて、私に甘い、アリオン。
そんなの、駄目なのに。
『ん、頼むな』
頷くと、柔らかく優しい声で言って、頭を撫でてくれた。
……ごめんね。
『……ローリー。……俺は……お前じゃねぇと、こんなことしねぇからな』
そんな、言葉。
まるで。
……まるで、何?
閉じていたはずの目を開けると、見慣れた天井が見えた。
夢を、見ていたらしい。
なんだか、頭がぼーっとしている。寝起きだからだろう。
ふと目を擦ると、何かが乾いた、ザラッとした感触が指に触れた。
――……ちょっと、嫌な夢、見てたからだわ。
だから、泣いてないし、落ち込んでもない。
ユーヴェンとカリナが、私を見てくれない夢。
現実にはそんなこと、有り得ないのに。
――なんか、アリオンの言葉、思い出しちゃってた……。
私は、あんなに色々言われていたのか。あれでも一部だと思う。
でも、アリオンに甘えちゃ駄目だから。
――……いきなり離れちゃうと、アリオンがまた、辛そうな表情を浮かべてしまうのかな。
それは本意じゃない。
――どうしたら……。アリオンの彼女という噂も消さないとダメなのに。
そう考えて、気づく。
――そっか。私に、彼氏ができればいいんだ。
そうすれば、自然とアリオンから離れなくちゃいけなくなる。気遣い屋さんのアリオンの事だから、彼氏ができれば必要以上に接触することもなくなるだろう。
……ちょっと、寂しい気もするけれど。でもそれは、アリオンがいつも構ってくれてたからで。
きっと……彼氏ができれば、彼氏が……構ってくれるかもしれない……。
……それに、私に彼氏ができれば、私がアリオンの彼女って噂も消えていくはずだ。
――うん、すごくいい案だわ。
問題は……相手を、どうするかだ。
私だって、誰でもいいなんて思ってない。なるべくなら、ちゃんと長く付き合いたい、と思う。
……過保護な兄も納得してくれるような人がいいな。
そうじゃないと、相手に悪い。
『むしろお前が俺に気を遣って言わなくなる方が、俺は嫌だからな』
アリオンの言葉が、思い浮かんでしまった。
――アリオンに、紹介、頼もうかな。
このくらいは、頼ってもいいんだろうか。アリオンなら兄と仲が良いから、兄が納得してくれそうな人に心当たりがあるかもしれない。それにアリオンも兄みたいに過保護だから、きっといい人を紹介してくれるような気がする。
下手な人なんか絶対に紹介しなさそうだし、そんな事があったらきっと、助けてくれる。
顔を両手で覆う。
――ダメね、無意識にアリオンが助けてくれるなんて思ってる……。
まあ、アリオンはそんな感じの人なんて絶対に紹介しないだろうから、この仮定は必要ない。
やっぱり、アリオンに紹介してもらうのがいいだろう。
それに紹介をアリオンに頼むことで、噂も早めに消えていくかもしれない。
そうだ、それにユーヴェンへの想いは叶わないんだから、ちょうどいい。想いを忘れるのに、ちょうどいい。
だから。
――うん、それでいい。
心を決めると、ベットから起き上がる。
――大丈夫。落ち込んでなんか、ないもの。
だから胸も痛んでないし、傷ついてもいない。
ふと窓の方を見ると、外にぶら下げている伝達魔法用の止まり木に、二つの伝達魔法がとまっていた。
金の体躯と漆黒の体躯は、ユーヴェンとカリナの伝達魔法だ。
二つの伝達魔法が寄り添うその姿は、まるで……二人のようで。
――大丈夫。何にも、思ってない。
だから、落ち込んでも、ない。
窓を開けて、伝達魔法を中に入れて確認する。
二人とも、私を心配する言葉が書かれていた。内容的に私があの伝達魔法を送ってから返事に送ってきたんだろう。
……危なかった。すぐに距離を測られていたら近くにいた事がバレてしまう所だ。それを指摘する文面はないので、恐らく私が家に帰ってから送られてきたのだろう。ちゃんと家に帰ってから伝達魔法を送るべきだった。
――……でもバレてても、向かってる途中で気分が悪くなったって言えばいっか……。
ああ、こんな嘘がすぐに出ちゃうなんて、つくづく、ユーヴェンやカリナには、ほど遠い。
ふるふると頭を振ってから、二人に返事をしなきゃと考える。お大事に、という内容なので返す必要はないかもしれないけれど、嘘なのに必要以上に心配させてしまうのは悪い。
「寝たから大丈夫、治った」と送っておこう。実際寝ていたし、そこまで嘘じゃない。
やっぱり、あの夢は有り得ない。こうやって心配してくれてるんだから、ユーヴェンとカリナが私を置き去りにするなんてないのに。
そんな夢を見たことに、罪悪感が湧いてしまう。
伝達魔法を構成しようと、距離を測る。
――あれ?
二人の距離が、違う。ぱっと時計を見る。約束は13時だった。今は15時近くになっている。
早い……ような気がする。もしかして、私が行かなかったから、早めに解散してしまったのだろうか。……そもそも、遊んだのかもわからない。やっぱりカリナには男性と二人きりという状況は早くて、遊ばなかったのかもしれない。
――あの様子を見て、大丈夫だと思ってしまったけど……。
そうだとすれば、やっぱり二人に酷いことをしたんだ。ユーヴェンとカリナの二人ともを、傷つけてしまった。
――やっぱり、こんな事じゃ駄目。
二人の為にも、私は私の想いを忘れなきゃ。
だから、紹介してもらった人を、好きになろう。それで、彼氏になってもらうんだ。
――頑張らなきゃ。
ぎゅっと胸元を握る。ふと、ベッド脇の机のガラス瓶を見て、手を伸ばす。蓋を開けて飴を取ろうとして、手を止めた。
――やっぱり、やめておこう。
カチャンと蓋を閉じる音が鳴った。
落ち込んでないから、大丈夫、だもの。
伝達魔法を構成していく。
ユーヴェンとカリナに大丈夫になったと送らないと。それで、休日明けには言うの。ごめんね、って。それで、それで……また今度、遊ぼうって。
きっと、次遊ぶ時には、きっと。平気になってるはずだから。
纏め終わった伝達魔法を窓から飛ばす。それぞれ別方向に飛んで行くのを、見えなくなるまで見送った。
見えなくなると、息を吐いた。窓枠に腕を乗せてその上に顔を置く。
――明日も休みだから、大丈夫。
明日は……アリオンの好きなクッキーでも焼こう。それで、休み明けに紹介を頼むんだ。他にも何か渡した方がいいだろうか。……アリオンの返事で、決めればいいか。
そんな事を考えながら外を見ていると、見慣れた色の伝達魔法が飛んできた。
――アリオンの、伝達魔法だ。
時計を見る。時刻は15時を過ぎている。……朝早いから、王都の見廻りが終わったら早めに終わるって言っていたっけ。事後処理があるから僕は帰れないけど!と、兄が愚痴っていた。
鷹サイズで橙色に近い茶が混じった体躯と灰褐色の瞳の伝達魔法が私の目の前に降り立つ。少し、唇が震えた。
ふわりと形を崩して、文字を浮かび上がらせる。
書いてあったのは、「平気か?」なんていう一言で。ふっと笑ってしまう。その伝達魔法の魔力が尽きて消えるまで、アリオンの短い言葉を眺めていた。
――……やっぱり、アリオンは優しい。
でもそれは、私が甘える言い訳にはならない。アリオンの為にも、私は、頑張らなきゃ。
返事の伝達魔法を構成する。ああ、私の書ける文章が、短くてよかった。端的に書いても、不審には思われないもの。
「平気。休日明け、昼、話す」そう書いて伝達魔法を纏めていく。これで、お昼に話を聞いてもらえる。お昼が駄目なら、就業後でもいい。それで、言うんだ。いい人を紹介してって。
纏まって、私と同じ亜麻色の体躯と青の瞳を持った鳥の形の伝達魔法が出来上がった。それを暫し眺めてから、手を離す。伝達魔法が見えなくなるまで、見送った。
***
休み明け、深呼吸を一回してから、魔道具部署に入る。すると先にカリナが来ていて、私を見ると近寄ってきてくれた。
「おはよう、ローリー」
「おはよう、カリナ」
私が軽く笑って挨拶をすると、カリナは少し戸惑ったようだった。
……これは、もしかしたらあの時近くにいた事が、バレているのかもしれない。なら、とる行動は決まっている。
「ローリー、あのね……」
少し言いづらそうに視線を動かしている。きっと、聞こうとしてる。どうして帰ったのか。
だから、私は眉を下げてカリナに謝る。
「この前はごめんね、カリナ。ちょっと待ち合わせに向かってる途中で気分が悪くなっちゃって。出た時は大丈夫だと思ってたんだけど……大丈夫じゃなくて。連絡も直前になっちゃって悪いことしちゃったわ……」
カリナは大きな翠玉色の目をパチパチさせた。
「そっか……。もう、大丈夫?」
カリナは頷いて、笑ってくれた。
「ええ、寝たら治ったわ。寝不足だったのかしら?」
そう私が首を傾げると、優しく笑う。
「ふふ、しっかり寝ないと、ダメだよ」
「そうね、気をつけるわ。心配してくれてありがとう、カリナ」
嘘なのに心配をかけてしまったことが心苦しくて、申し訳ない。だから、ちゃんと笑ってお礼を言う。
「ううん」
カリナも笑って首を振った。
「カリナ、あの日はユーヴェンと遊んだの?」
気になっていた事を聞くとカリナは少しだけ肩を揺らした。
「あ……あの日は、帰ったよ。私には……やっぱり、二人で遊ぶのは……早いと思って」
カリナは目を伏せながら言う。その顔には陰りが見えた。
――ああ、そうか。カリナはきっと……私がユーヴェンを好きかもしれないと、考えているんだ。
きっとあの日直前で来なかったから、もしかしたらと思っているのだろう。だから、カリナは進まないようにしてるんだ。
カリナは優しいから、きっと自分の気持ちを抑えてしまう。もう、二人はきっと、両想いのはずなのに。
「そっか……。ごめんね、カリナ。私のせいで……。また、計画立てるから、一緒に遊びましょうね」
カリナにそんな事を思わせてしまっているのが、申し訳なくて。そんな風に落ち込んだ顔なんて、してほしくなかったのに。
私の言葉にばっと顔を上げて、ぶんぶんと頭を振る。その表情は必死だ。
「ううん!ローリーのせいじゃないよ!私が……ちょっと勇気、出なかっただけだから……。……うん、でもやっぱり……一緒に遊んでくれる方が、いいな」
最後は少し自信がなさそうに、眉を下げて言う。やっぱり、そうだ。カリナは……ユーヴェンと二人で会わないように、している。
「……うん、わかったわ」
そう頷いて、笑った。
――やっぱり、私が頑張らなきゃ。
カリナが席に戻る背中を眺めながら、心を引き締めた。




